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君とのケンカは、僕らの地層。


昨晩からのケンカは、まだ解決を見ていない。
それでも、家に帰ると温かな夕食が用意してあった。

「今日は牛肉が安かったんだ」

彼女は皿に中華炒めを盛り付けながら明るい声で言った。
そちらではもう、昨日のことを怒っていないのだろうか。

そして、夕食を終えると彼女はことも無げに言った。

「ねぇ、お風呂、一緒に入ろう」

大きな瞳が楽しそうに僕を覗き込んだ。
僕はとっさに目をそらした。
一体何を考えているのだろう。
僕たちの間にはそりゃ、ケンカは絶えない。
そしてそのほとんどをどうして起こったものだったのか忘れてしまう。
だけど、昨日のはそれは、そういう類ではなかったはずだ。

僕と、彼女の考え方の違いから起こるもの、つまり、今後も僕たちの付き合いにずっと付きまとってくるテーマなのだ。
それなのに、この態度。
いつの間にか仲直りしたみたいな彼女の態度に僕は何か裏があるのかと身構えた。
しかし、彼女は柔らかな髪を僕の胸に押し付けて、ねぇ、と小声で囁いた。
そして自分の指を僕の指に絡めて静かに息を吐いている。
そのまま数分待ったが、彼女は何も言わなかった。
そしてようやく、

「だめなの?」

その言葉に神経が逆撫でされた。

「当たり前だろ」

乱暴に2人の手をほどき、全てを預けてくる体重を押しのけた。
なんなんだ、一体。何言ってんだ。
要するに、昨日のことは何も考えてないってことだろ。
彼女はうつむき、黙りこくっていた。
それじゃ、問題の解決にはならないじゃないか。彼女は僕と付き合って行く気はないのか。
これからもずっと一緒にいようって、だからいつもどんな時でも長い時間をかけて話し合ってきたんじゃないか。

何も言わず、1人でシャワー室へと向かった。
彼女は追いかけてこなかった。
勢いよく水を出し、全身に浴びる。水が弾丸のように突き刺さる。ちょうどいい。シャンプーをつけたが、髪が泡立たない。
昨日、彼女が使った時にシャンプーとリンスの位置を左右を逆にしてしまったのだ。

「くそっ」

知らず知らずのうちに、泣いていた。
そうやって、昨日のことは何もなかったかのようにできたならどんなに楽か。
ただ久しぶりの2人の時間を楽しむことができたら…。
刹那、彼女の名を呼びそうになった。
その声はわずかに音となったが、僕がぎゅっと力を入れた喉のせいで水音にかき消され、きっとリビングには届かなかった。

彼女のことを抱きしめたかった。
キスをして、笑わせたかった。
それなのに、あんな話を持ち出して今はケンカをしている。
彼女が憎らしかった。


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