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飛鳥古代史への旅 【高松塚古墳へ】

始めに

もう、遠い時代になってしまいましたが、飛鳥時代のお話をこれからしたいと思います。
飛鳥時代、と聞いてあまりピンとこない人は多いかもしれません。

飛鳥時代は今の奈良県明日香村に栄えた宮廷文化です。
推古天皇や聖徳太子、蘇我馬子や蘇我入鹿、そして藤原氏の祖である中臣鎌足が登場します。

仮に、飛鳥時代を平城京遷都(710)までの期間とするならば、
天武天皇や持統天皇、その皇子たちの時代も含みます。

こんにちは。冬月智子です。
2020年8月初め、憧れの飛鳥地方への旅をしてきました。こんな電車に乗りました。↓

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降りたのは、近鉄吉野線の飛鳥駅。
近鉄奈良駅からおよそ45分くらいの距離です。

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明日香村はまるで、生きた歴史の教科書のようで、
たくさんの古代遺跡が点在しています。
とても1日ではまわりきれません。

明日香村を舞台にした飛鳥時代は、
これまでの古墳時代とは違って、
文献資料や考古資料、そして、日本最古の歌集である『万葉集』にも
多くの歌が残されており、想像しやすい、という特徴があります。

飛鳥時代は、古墳も、もちろん造営されたのですが、
新しい寺院文化の風も吹き始めました。

そんな時代の過渡期にあった、
飛鳥時代を楽しんでいただけたら、と思います。

レンタサイクルでまずは高松塚古墳へ

レンタサイクルを借りて、始めに行く先はおそらく、高松塚古墳でしょう。下が高松塚古墳です。

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古墳と聞いて、巨大な前方後円墳を想像していた人は驚くと思います。

例えば大阪府堺市にある百舌鳥古墳群の5世紀代の大王級の墓、
仁徳天皇陵は表面積はピラミッドを超えますが、
これは、自分の権力を誇示して、名実ともに大王に君臨しようとする意志があったのです。

ですが、飛鳥時代の高松塚古墳は7世紀の終わりから8世紀の始めと想定されていて、すでに大王家改め天皇家は古代大和の国を統治する家であると認識されていたのです。

ですから、もはや古墳の大きさで力を誇示する必要はなくなったのですね。
円墳で、径はたったの18メートルになります。

この時代はおそらく、土を盛る量での勝負ではなく、
中身での勝負だったのでしょう。

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この古墳が話題になったのは、
石室の壁画で、北壁に玄武(亀と龍が合体したような守護神)、
東には青龍、西には白虎が描かれていたことです。

下の写真は白虎と玄武。(ウィキペディア「高松塚古墳」より画像を拝借しました。)

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玄武

南壁は残念ながら盗掘孔が開けられていて詳細は不明です。

そして天井は星宿図(天文図)。

玄武・青龍・白虎・朱雀は中国思想にある、四方を守護する神々。

遺体が四方の守護神に守られ、星宿を見上げる位置に置かれたのは、
星々という永遠に近い存在に近づくための呪術だったのでしょうか。

高松塚古墳の被葬者は誰?

さて、気になる被葬者は誰だったのでしょう?
これまでの説だと、天武天皇の皇子(高市皇子、忍壁皇子)説が有力です。

それにしても、四方を守る守護神に見守られながら、
星々が輝く天に帰っていくって、いいですね。

やはり、天皇の皇子という貴人ならではの特権だったのでしょう。

壁画は近くに建てられた、高松塚古墳の壁画館で見ることができます(レプリカです)。守護神だけでなく、飛鳥美人の姿も見ることができます。あなたも飛鳥美人になったつもりで明日香散策するのもいいかもしれません(笑)。下の写真は高松塚古墳壁画の飛鳥美人。(ウィキペディア「高松塚古墳」より)

飛鳥美人


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