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仏か神か?古代の論争 物部氏対蘇我氏

日本には神社とお寺が共存していますね。
そのわけは実は聖徳太子の時代、新しい外国の思想であった仏教を正式に受け入れたからなのです。

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「日本ってどんな国だったけ?日本という国をどのように説明しようか?」
素朴な疑問がわくときってありますよね。
特に外国文化に触れる時。

そんな時、歴史をひも解けば、日本という国の【かたち】が明らかになります。古代の日本の【かたち】は飛鳥にヒントがあります。

今日のテーマは神道と仏教です。

もともと、日本は八百万(やおよろず)の神々に象徴されるように、古代から神道が根付いた国でした。
古代神道とは言い換えれば「アニミズム」。
山や川、植物や動物、自然現象ありとあらゆるものに精霊、神性が宿る、という考えは、例えば「三輪山信仰」に象徴されますね。

☆三輪山は奈良県桜井市にある山。↓(ウィキペディア「三輪山」より画像を拝借)

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 山そのものが信仰の対象です。『日本書紀』に三輪山の伝説があり、興味深いです。


 正式に仏教が伝来したのは、欽明天皇の時代。欽明天皇は聖徳太子の祖父に当たります。
百済の聖明王から贈られたという仏像を見て、天皇はひどくカルチャーショックを受けます。(その様子は『日本書紀』に描かれています。)
「顔は端厳である(端正で威厳がある)。これを敬い、崇拝すべきかどうか?」と臣下に問いました。

・・・・これまでの大和の神様は、生き物や植物、自然現象に宿るもので具体的に、目にみえるものではなかったのですね。
それなので、いきなり人?の形をして見せられてしまうと、

「一体、これは・・・?」
という気持ちになりますよ。

そこで、「仏教を敬う派」と、「仏教を受け入れない、日本古来の神道を大切にする派」に分かれます。
前者の代表は蘇我氏。後者の代表は物部氏だったのですね。


蘇我氏はもともと、海外の文物に興味があり、どんどん取り入れる派でした。ですので、他国が敬う仏教を取り入れてもいいのでは?という考えを支持。
その反対が物部氏。
我が国古来の神を大切にすべし、との考えで両者は激突。

この崇仏論争に勝利したのは蘇我氏でした。
この戦いに端を発して、蘇我氏は大化の改新で蘇我入鹿が暗殺されるまで、勢力を伸ばします。(下の写真は暗殺された蘇我入鹿の首塚。)

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