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赤門上古墳 浜松内野地域にある4世紀首長墓と三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)
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浜松市浜名区内野にある赤門上古墳。この古墳は遠州地方で4世紀に力を持っていた首長の墓だ。
4世紀といえば古墳時代前期にあたる。この赤門上古墳は古墳時代の前期に大流行した三角縁神獣鏡が副葬されていた、ということで、注目される。
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なぜ三角縁神獣鏡が注目されるのか
三角縁神獣鏡とは横からみたときに三角の縁を持っていて、鏡の背面に神や動物の文様があるものを指す。
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もともと鏡とは中国から伝来したものである。(弥生時代、卑弥呼は魏国より鏡を贈られている)
三角縁神獣鏡は未だ謎が多く、中国製なのか、国産なのかはっきりしない。
また、たくさんの三角縁神獣鏡を比較してみると、真ん中の模様がはっきりとしていて、本物の感じがするものや、模様の稜線が甘い、まるで本物のコピーのような三角縁神獣鏡がある。
そして、このタイプの鏡は、ウィキペディア「三角縁神獣鏡」の情報によれば
畿内を中心に広い範囲から出土
主に古墳時代前期の古墳から出土
同笵鏡(同じ鋳型もしくは原型から作成された鏡)が多い
早くから中国製という説が唱えられたが、中国に出土例がない
という特徴が挙げられている。
私は、この鏡は奈良県中心のヤマト地方を起点とする政権が、当時の倭人(日本人)がいかにも好みそうな鏡を選んで、コピーをたくさん作り、地方の首長に配ったと考えている。
鏡を配ったヤマト政権は、こうしたことで、自らの力を誇示することができる。
一方で配られたほうの地方の首長は、ヤマト政権から流通してきた珍しい鏡を手に入れたことで、まるで自分が公認の首長だ、ということを地域に知らせることができる。
赤門上古墳に眠る首長も、そうした4世紀の流行に乗って、三角縁神獣鏡を手に入れたのだ。ヤマト地方から来た鏡を副葬されたのが赤門上古墳に眠る首長だった。
ただ、残念なことに、赤門上古墳出土の鏡は、造りがとても甘い印象を受ける。本物の感じがあまりしない。もしかしたら本物の鏡から型をとって、日本で複製したコピーのかもしれない。
下の久津川車塚古墳出土の三角縁神獣鏡のはっきりとした稜線があるつくりとは大違いだ。
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ウィキペディア「三角縁神獣鏡」より
前期古墳は鍵穴の形と鏡が流行
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赤門上古墳は奈良県天理市にある行灯山古墳(第10代崇神天皇陵)と鍵穴の形の類似形だ。どちらも4世紀の古墳と考えられている。
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ただし、異なるのはその大きさだ。
浜松市の赤門上古墳は全長56メートル。一方で奈良県天理市にある行灯山(あんどんやま)古墳(崇神天皇陵)は242メートル。ランクの違いは明らかで、これだけでも、行灯山古墳が政権の中心で、浜松市の赤門上古墳は地方の首長の墓だ、ということがわかる。
こうしたことから赤門上古墳に眠る首長は、ヤマトの政治権力に対抗したわけでなく、崇神天皇に認められた地方豪族なんだ、という意識があっただろう。
鏡についてはまだ解明されていない謎が多いが、私の考えでは、第10代崇神天皇(ミマキイリヒコ)は政権の全国経営に乗り出したヤマト地方の豪族。
彼は中国製の鏡を参考にし、倭人好みの形を採用した三角縁神獣鏡を大量生産した人物だとしたい。
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もともと舶来品で貴重すぎた鏡を、ヤマト地方で生産し、複製を作り、全国的に頒布できる、ということで崇神天皇(ミマキイリヒコ)は日本史上、大切な役割を担っただろう。
『日本書紀』によれば御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と表現されている。
「はつくにしらしめす」とは初めて国を治める、という意味。
御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)とは初めて国をおさめた天皇だよ、ということになる。
崇神天皇は中央と地方という立ち位置を作り上げた重要な人物だった。
そのヤマト政権の影響があって、赤門上古墳は築造された。
そんな目で古墳をながめ、散策してみると、楽しいし、4世紀にタイムスリップした気分になれる。そこが古墳巡りの醍醐味だろう。
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