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暗順応

一昨日は風の音と変わらない具合で、さあさあと霰が降っていました。昨日今日は雪が降りしきっていました。
やっぱり冬が好きです。

しかしシルクの枕カバーは、冬に使うにはつめたいということに気がつきました。

うつくしい時計

このマガジンを書くにあたって「100歳」や「18歳」という明確な年齢を添えるのは、なんだか卑しくないか、キャッチーな部分を食い物にしていないか、と考えたりしました。下心として、その面も確かにあると思います。
 ですが私はエイジズムに関心があって、このマガジンを書くことは私自身の偏見を彫り出す意義があるんじゃないかと、今は考えています。

「よぞら」という名前のガラス

自分の手綱を握れていません。

ここ最近は調子が良かったのですが、今朝おじいちゃんが
「いつだって死ぬ覚悟はできてんだ。明日死んだっておかしくねんだもんだ」
「みんな死んだ。おれは兄弟の長男だけども、みんな、死んだ」
と言ったあたりから、喪失について考え始めてしまって、しばらくは落ち込んでいました。

年配の人にとって(すべてかはわかりませんが)死という概念は裏返しのジョークらしく、おじいちゃんはそう言った後、かりんとうを口の中でコロコロと転がしていました。

暴力

「暗順応」という言葉があります。
明るいところから暗いところへ急に移動した際に、はじめは見えなかったものが、徐々に見えてくることを言います。

おじいちゃんとの生活についてその言葉を使うとするなら、私はようやく物の輪郭が見えてきたあたりなのでしょうか。
 曽祖母が亡くなってから、おじいちゃんが一人で過ごした、あまりにも膨大で、途方もない時間のことを考えて、さみしくなりました。

薄桃色の菊

おじいちゃんは歳をとることにあまり肯定的ではないようです。
「100歳まで生きちまった。死のうにも死なれねんだもん」
と言って笑います。

“昔は姥捨山(うばすてやま)という、働けなくなった産みの親を背負って行って捨てる山があった”
“若い人が制度を作って、働いて税金を納めてくれているおかげで、おじいちゃんのような老人が、安心して過ごせるから幸せなのだ”

というようなことを、繰り返すのです。

おじいちゃんにはおじいちゃんが積み重ねてきた個人の歴史があり、それは尊ぶべきもので、歳をとることは一概に非生産的になることではない、また、人を生産性で語るべきではない、のに、筆談でそれを伝え切ることはできませんでした。

日記に謎の記述


聖書から、語られたと感じた部分を引用します。

どのようにして若い人は自分の道を
きよく保てるでしょうか。
あなたのことばに従ってそれを守ることです。

詩篇119:9

私は、このくちびるで、あなたの御口の決めたことを
ことごとく語り告げます。

詩篇119:13

いまだに、生活することにはさみしさと恐ろしさが散りばめられていますが、祈りながら歩もうと思います。

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