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神のちがう人

詩篇147:3「主は心の打ち砕かれた者を癒し、彼らの傷を包まれる。」

今日は朝から雪かきをしました。
その間おじいちゃんは洗濯機の水栓の根元を修理していました。
朝起きたらやすりがけをしていて驚いた。

「削るんだら、これ爪やすり。したらば直る」


友人と電話をしました。
話の中で、相手について思ったことを伝えると
「いのりの言葉は全部ほんものだから嬉しい」
と返ってきて、こちらまで嬉しくなりました。

そう言ってくれる人を友人に与えられていて、私は恵まれているのだと思わされました。

生きものの足あと


冬はいいですね。
植物が休み、虫は眠り、すべてが無彩色になる。

おじいちゃんは違う神さまを信じています。

私の大切に思う人たちが、神さまを知ってくれたらいいのになあ、と思いました。
私が彼らについて一方的に祈ることなら、いくらでもできます。けれど、彼ら自身が神様の御心に触れ、存在を受け止め、自分について悔い改めて祈ることは、彼ら自身にしかできません。

「霧中の羊」がいっとう好き


シルヴィア・プラスを詩人として尊敬しています。
ですが彼女は最期に自殺を選びました。
(病気に選ばされたのかも知れませんが)

『日々の光』という聖句選集から、感銘を受けた部分を引用します。

アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。(IIサム17・23)打ちひしがれた霊はだれが担えるだろう。(箴18・14)

日々の光〈新改訳 2017〉–伝導出版社

だれが担えるのでしょう。

読んでいる本(左)


私は今、自分が祝福され、愛されている子なのだという事実を、恐る恐る確認しながら、ゆっくりと進むような生活を送っています。

神のちがう人に、私ができることは、小説や文を書くことを通して、ほんの少しでも神さまの御心に触れる機会をつくること、神さまが私の体を通して、そう働きかけることに寄り添うことだと思います。

今日はそう思えるような、とても嬉しいことがあって、めずらしく柔らかな気持ちで眠れそうです。

みんなに神さまの恵みがありますように、アーメン。

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