神のちがう人
詩篇147:3「主は心の打ち砕かれた者を癒し、彼らの傷を包まれる。」
今日は朝から雪かきをしました。
その間おじいちゃんは洗濯機の水栓の根元を修理していました。
朝起きたらやすりがけをしていて驚いた。
友人と電話をしました。
話の中で、相手について思ったことを伝えると
「いのりの言葉は全部ほんものだから嬉しい」
と返ってきて、こちらまで嬉しくなりました。
そう言ってくれる人を友人に与えられていて、私は恵まれているのだと思わされました。
冬はいいですね。
植物が休み、虫は眠り、すべてが無彩色になる。
おじいちゃんは違う神さまを信じています。
私の大切に思う人たちが、神さまを知ってくれたらいいのになあ、と思いました。
私が彼らについて一方的に祈ることなら、いくらでもできます。けれど、彼ら自身が神様の御心に触れ、存在を受け止め、自分について悔い改めて祈ることは、彼ら自身にしかできません。
シルヴィア・プラスを詩人として尊敬しています。
ですが彼女は最期に自殺を選びました。
(病気に選ばされたのかも知れませんが)
『日々の光』という聖句選集から、感銘を受けた部分を引用します。
だれが担えるのでしょう。
私は今、自分が祝福され、愛されている子なのだという事実を、恐る恐る確認しながら、ゆっくりと進むような生活を送っています。
神のちがう人に、私ができることは、小説や文を書くことを通して、ほんの少しでも神さまの御心に触れる機会をつくること、神さまが私の体を通して、そう働きかけることに寄り添うことだと思います。
今日はそう思えるような、とても嬉しいことがあって、めずらしく柔らかな気持ちで眠れそうです。
みんなに神さまの恵みがありますように、アーメン。
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