船の汽笛
北海道に住んでいます。
私は私の生まれた時期が冬だったことをこの上なく誇らしく思っています。
冬に生まれるべくして生まれたのだと思えることは幸いです。
冬が好きです。冬はうつくしいから。
ずっと冬でいいとすら思っています。
すべてが無彩色になるし、北の木は背が高く、裸の枝に白い雪がしなだれかかる姿は圧巻です。
この記事は回顧録です。友人と会った日のことを、私が忘れないように、あるいは忘れても立ち返ることのできる地点として、残しておきます。
文字は現実のなにをも動かしませんが、精神の灯台にはなり得るのです。
少し前に友人と、
北海道博物館、開拓の村へ行きました。
朝六時に起きて準備をし、冷たい空気を吸いながら歩くのは気持ちが良かった。
私たちが公共機関に不慣れなために、地下鉄を降りてから博物館へ直行するバスを逃してしまいました。ですが、博物館へ行く道すがら、取り留めのないことを話しながら雪道を歩くことができて、私は嬉しかったです。
友人とは三年ぶりに会いました。
私は人間関係を持続させること、育むこと、大切にすることが特別苦手で、気を抜けば一ヶ月、一年、と連絡を取ることもおろそかにしてしまいます。
友人は底抜けに朗らかで魂の形の綺麗な人です。雪はあらゆる音を吸い込み消してしまいますが、友人の高い声は芯を持ち、陽光が射したり消えたりする後ろ姿を見て、うん、かなり良いな、と思っていました。
博物館は、建物の造りから素晴らしかったです。
光を全面に取り込むガラス張りの大きな箱。
山の奥深くを歩いていくと、この建物が突然現れるので割と驚きます。あとかなり大きい。
展示も素晴らしかったです。行って良かった。
北海道の開拓の歴史と並行して、アイヌ民族の文化の進展、その過程にあった和人による差別、暴力、掠奪の記録。戦争の遺物や経済的な過渡期の資料。
先人がしてきた行いの是非は留保しつつも、やはり知ることはすべてのはじまりだと実感します。
開拓の村は博物館から近いところにあり、博物館で、開拓の村とセットの入場券を買いました。
開拓の村は、北海道の開拓時代に点在した歴史的な建造物を一箇所に集めたような場で、広大な敷地に一つ一つ、積み重ねてきた年月の重厚な建物たちが静かに立ち並んでいました。
有島武郎の住んだ家も展示されていました。
興奮して、帰りのバスの時間も迫っているというのに、友人にねだって家の前で写真を撮ってもらいました。なにも考えずにピースをしましたが、今思うとなんだか不謹慎すぎるあまり、愉快に思えます。
ずっと昔に死んだ人の家の前でピースをする。
私は港と名のつくものがかなり好きです。
漁港の、無機質な空気と灰色の海。
空港の、うんと高い天井、行き交う知らない人々。
港に、ずらりと並び休んでいる船たち。
船といえば町田洋の「船場センタービルの漫画」を思います。
「ボー」と汽笛を鳴らす、黒くて大きな船が現れたコマを見たとき、不意を突かれたように笑ってしまいました。この人は漫画が上手です。
博物館と開拓の村へ一緒に行ってくれた友人に、詩を贈ったことがあります。その中の一節に
と書いていて、ふと改めて読み返すと、笑ってしまいます。
この詩において主体はおそらく私に近いのですが、あたりまえのように友人と一緒の列車に乗りこみ、あたりまえのように隣あるいは正面に席をとっている。
一挙一動を目にできるほどに、近く存在している。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」みたいですね。
あらゆる表象を船と仮定したときに、私はそれの入船や出航をおだやかに甘受する港でありたいです。
歴史、記録、文化としての船の往来、それらが港である私のなにかを確実に傷つけては削り、またなにかを新たにし、見知らぬものを置いて去ってゆく。
人間の営為を、そのくらいの距離感で見つめていたいと思います。かなりむつかしいことです。
または、上で書いた詩のように、乗り込む列車に大切なひとがたくさんいるといいなと思います。
人のために用意する席はいくつあっても良いですからね。
相変わらず散漫な記録になりましたが、私がこれを読み返すとき、うつくしい船となり光り輝くことを願います。
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