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【一首評】街灯がしっかり地面を白ませてだれもならんでいないバス停

短歌の凄いところは、三十一文字という短い(人によっては長い)文字列に、作者の感じた気持ち・目にした景色・あるいは想像世界を圧縮し、読者に届けることができる点だと思う。

散文に限りなく近く、しかし定型詩の韻律は保っていること。
それが短歌の強力な武器だ。いわば短歌は、散文の自由さと俳句のストイックさを両立した、ハイブリッドな詩である。


さて、今回の一首を見てみよう。

街灯がしっかり地面を白ませてだれもならんでいないバス停

『ビギナーズラック』、阿波野巧也、左右社、2020、p17より引用

一読して、静かで澄んだ印象を受ける。
内容としては、「街灯が無人のバス停を照らしている」というだけなのだが、どうも惹かれてしまう。

こういう情景って、容易に想像できる割に、実際に見たことはあんまりない気がする。心には思い浮かぶし、既視感すら抱くのに。

また、どちらかといえば、田舎というより都会的な印象を受ける。白々とした街灯がシステマティックで、冷淡な印象を受けるからだろうか。
これが例えば「街灯がしずかに地面を照らしつつ」だと、また違うのではないか。この例だと逆に田舎や都市郊外の駅前っぽい印象を受ける。あくまで自分の感想だが。

となると、この歌の芯は「しっかり地面を白ませて」というところにあるのだろう。意味としても、また「”し”っかり”地”面を“白”ませて」という「し(じ)」の心地よい連続からも、それを読み取ることができる。

下の句の「だれもならんでいないバス停」からは、表記の使い分けの妙を感じる。
「だれもならんでいない」という平仮名表記から、「バス停」というカタカナ・漢字表記に飛躍することで、最後の「バス停」が目に入りやすくなっている。まさに無人の、ぽつんとひとつ立っているバス停が脳裏に思い浮かぶ。

表記に着目すると、漢字表記の「街灯」「地面」「バス停」が目に留まることに気付く。これらは全て人口物ということもあり、文字から硬く無機質な印象を受ける(「地面」は「舗装されたアスファルト」だと解釈した)。先ほど私が感じた都会的な印象は、これらの人工物が夜の街に佇んでいることから生じたものだろうか。

また一方で、平仮名表記の「しっかり」「だれもならんでいない」という文字からは、作者の主観的な抒情を感じられる。
街灯が地面を「しっかり」照らすのも、普段人がいるはずのバス停に「だれもならんでいない」のも、作者の主観であり、言ってしまえば感想である。

だからこそ惹かれるのだろう。
無機質なモノの中に、心を感じ取る。自分の視点から見る。生じた感想をつかみ取る。
それでこそ”詩”であると感じる。

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