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適応障害で1ヶ月間会社を休職するが何でこうなったのかという覚書③一番手強いのは自分らしい

「仕事ができる、頼りになること」で「周囲や世間」に評価されたい、愛されたいと、そういうものを外側に求めていた自分は、時間をかけて解消してきた。
でも、自分が「自分自身」に「できる奴」として評価されたい、と思っていた。そのことが私を責めている。
「できる奴」であろうとなかろうと、自分で自分をただ認めて愛するだけでいいはずなのに。

もう限界だとわかっていて、心の中では「いや、私はもっとできるんだから」と、確かにかすかに思っていて、それで無理をしつづけた。
そんな自分を、私はきちんと見てあげるべきだった。
私をつぶしたのは、直接の原因は公私ともに仕事量だが、自分で自分に与えたプレッシャーが、限界を超えさせた一因だと思っている。

逆に言えば、プレッシャーを与えていたのは「自分自身だけ」だったからこそ、ここまでもったのだ。
会社や家族や世間の目を気にしていたら、もっと早くつぶれていただろう。
(そんなものを気にする奴が、会社のスケジュールシステムにラグビーの試合日程を書き込み、チケットやグッズに100万ツッこみました!とか堂々と会社で発言して回ったりしないわな。もちろん、世間がラグビーで盛り上がる前からです)

そんなこんなで、3週間弱、通院と薬でお茶を濁しながらいくつかの仕事を終わらせ、引き継ぎが終わらないとつぶやく私を無視して、医者は先日診断書と言う名の最後通牒を突き付けた。
そこには「一ヶ月間の休職を要する」と書いてあった。
不思議なもので、引き伸ばしたのは会社だけでなく自分自身でもあるのに、診断書をもらったら、思わず口をついて出た。
「私、休んでいいんだなあ……」

わかっていたけどね。もう、休んでいいって。休むしかないって。

休職してまだ数日。
朝は起きられないし、薬を飲まないと動けないが、ただ、家の近所ぐらいなら、動悸がすることはなくなった。
医者は、適応障害の場合は、原因から離れるとすっと良くなりますよと言っていたが、確かにそうかもしれない。
問題は、復職後だと言っていた。

同僚たちは、私がこうなったのを機会に、課長や部長に強く環境改善を要望しているのだと言う。
「これで変わらなかったら、俺はもう異動願を出す」
同僚の一人はそう言った。出世欲むき出しだった彼は、この一年で心が折れ、すっかり疲れ果てていた。
「いや、その時は私も出す!」
と返すと、同僚は「そうだよな~~」と笑って言った。

そうだ、8月まで頑張れた理由がもう一つ。
こんな仲間がいるから、なんとかやってこれたのだ。
ありがたいと本当に思う。
一ヶ月しっかり休むから、その間に戻れる環境に(ちょっとでいいから)しといてくれな。
で、もどったら、また一緒に闘おう。
あれ? これって医者がダメというヤツかしらね?

ということで、一ヶ月間、休職します。

(おしまい)

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