自分の作った道路の上を歩いていく
映画ブログを始めたと、前回書いたけど、そちらが実に調子が良い。
仕事してないからというのもあるけれど、平均すると4日に一件くらい更新してるんじゃないかなあ。
勢いでもうひとつブログも作ってしまい、そちらでは映画以外で頭に浮かんだことを書いている。
結構、2つのブログで満足してしまっていたのだけど、この話はnote向きかなと。
12月に入ってからは停滞した状態からは少し抜けて、不眠はあるものの、医者から少し強めの薬をもらったので、強制的に寝ている。
そして年明けにはすこーーーーーーーし仕事するのも良いですねと言われた。確かに、今までにように仕事したいわけではないけど、「仕事」自体はしたいんだよね。
その気分があるから、英語の勉強を再開したりしている(あくまで自習ね)。
そんな話をしたら、課長からは、
・在宅勤務
・出社の必要がある時は部長から離す
・業務は裏方をいくつかに絞る
・連絡相手は課長と同僚のみ
・他部門への復帰の公表は、当面しない
との提示があった。
今までのことを考えると、真綿でくるむような優しい話だ。そうまでして復帰を待たれているというのも、嬉しくないと言えば嘘になる。
部長から離すというのは、彼がストレス源のひとつだから。しかも、私にとっては他の要素も含めた、ストレス原因の象徴のようになっている。
実はこの面談に部長が来たがってると言われたのだが、そのとたんに動悸がして、自分で自分にビックリした。
課長が全力で阻止してくれたけど。
復帰を公表しないというのは、すぐに課長をすっ飛ばして、頼ってくる人が多いからだ。
こんなに大量のトラブルや問い合わせや細かい要望を一人で捌いていたのかと、課長に驚かれた。しかも手間がかかることをと。
私がいない今、課長と同僚が処理したり、他部門に押し付けたりして、回している状態だ。正確には回っていないらしいが。
まあ、そういう話が出ているというだけで、年明けの診察次第だけど、医者からは復帰してダメならすぐ止めますから、医者を上手く使ってくだいと言われている。
まあそれならなー、できるかなー、と上向いていたところに、訃報が入った。
仲の良かった先輩が、単身赴任先で急死した。ショックだった。
この時、ショック状態から、私を救ってくれたのは、友人たちと映画とブログで、散々吐き出した。
ブログは、その映画を観たことがないとわからないような内容だったんだけど、絶対に観たことあるだろう読者さんが、★を幾つもつけてくれていた。そのことにも、救われた。
一方で、少し仕事したいと上向いていた気持ちが、少し変化したのも確か。
気持ちはあるが、時間が止まったような感じ。
もうあんなには頑張れない。
でも、楽するのも、どうなのか。
頑張ることが当たり前の世代なので、頑張れるかどうかがどうしても基準になってしまう。
今日、美容室で髪を切った。伸びてるのは平気なんだけど、白髪が多いので、鏡を見ると気が滅入るから。
いつもの美容師に、少し上のようなことを話したら、一世代下になる彼にこう言われた。
「有坂さん、いままで頑張って道路作って舗装までしてきたんだから、そろそろ楽して、その道路の上を歩いていいんじゃないですか」
なるほどな。
いま楽することは、頑張ってきたことが無になる訳でも、否定する訳でもないのだ。
世代の違う彼らの言葉は、時に気付きを与えてくれる。
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