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自宅でも出来なくもないことを金と時間と労力を使ってわざわざ遠くでするという贅沢な週末についてのただの記録②

突然思い立ち、女一人でも泊まれる宿があったから、という理由だけで、東京から長野の湯田中まで無計画に行き、暑さから逃れたくてケーブルカーに乗り、ソラテラスという高いところまで登ったものの、雲で何も見えないのでカフェに入った……というのが①の話。
↓その①はこちら

そのカフェで何をしていたのかというと、一時間余り、本を読みふけっていた。買ってしばらく、積ん読状態だったものだ。
読む気にならないから放っておいたのではない。読み出したら止まらないから、忙しい間はやめておこうと思っていたのだ。

でも、「時間がない」だの「時間がかかる」だのは、大抵の場合、自分に対する言い訳でしかない。
だから、例えば今回のように、旅先で景色を見たくとも曇っていて見えないという状況は、時間に関する言い訳を吹っ飛ばすには実に向いている。

それにしても、せっかく長野に来たのだから、読むものも『風林火山』とか『真田太平記』辺りなら、旅の風情も出ただろう。
が、なにせ行き当たりばったりで選んだ土地だ。本のチョイスも自己都合で、塩野七生の『十字軍物語』。長野にかすりもしない。
不毛な第二次十字軍が撤退したところで、ケーブルカーの時間。私も真っ白い山頂から撤退する。

温泉街に戻るバスでは、乗り物酔いをするので、本を読まない。だから車窓からぼんやり景色を見るばかりなのだが、それでふと気づいた。
湯田中の温泉街ではアジサイが咲き誇るなかで蝉が鳴いていた。山頂では竜胆が咲いてトンボが飛んでいた。
途中の道ではコスモスが咲いているのがみえたし、後の話だが、夜になったら秋の虫が鳴いていた。
これが異常気象のなせる技か、それとも高原あるあるなのか、私にはわからない。

湯田中に戻ると、ちょうどチェックイン時間を過ぎたところ。宿に着くと、荷物を預けた時と同じ女将が迎えてくれる。こんどは、きっちり着物に着替えていた。
どういうわけか、予約した部屋は、宿で一番広い部屋だ。8畳と6畳の二間に、縁側とトイレにバスルーム、パウダーコーナーまである。自分の家よりふたまわりは広い。
これを一人で使う。王侯貴族か、私。

そこで、宿の内湯に入りに行く。内湯は二つあり、時間帯で男湯と女湯が交代するという。
内湯に向かうと、ちょうど他のお客が湯から上がるところで、私が入ると貸切り状態だった。いや、ほんとに王侯貴族か?
体を洗い、露天の岩風呂に入る。汗まみれだったので、気持ちよい。風呂は最高のご馳走だと言ったのは、誰だったか。思い出せない。

風呂から上がると、宿のサービスで色浴衣を借りられるというので、柄を選ぶ。一瞬、赤の大きな花柄に惹かれるが、これは着物ではなく浴衣だからと、思い直す。
最終的に選んだのは、白地に淡い紫紺とピンクの柄。帯は紺。
うむ、我ながら古風でかつエロいチョイスなり。

食事は宿から徒歩3分離れた系列旅館の食事処で。
通されたのは、なんと仕切られた半個室。もともと一人外食は平気だが、さらに気楽になる。
食事はどれも旨く凝っていて、野菜と果物のイメージしかなかった長野県の、意外な食材の豊かさに感動する。そのうえ、料理を運んでくる年配の仲居さんに浴衣姿を褒められ、いい気になる。

すっかり調子に乗ってきて、メインの肉を食べたところで、普段飲まない酒を飲むことにした。
風情と性格から、酒豪のように思われがちだが、私はアルコールに極度に弱く、酔うとすぐに吐く。
だが、アルコールはダメでも、酒の味は好きなのだ。そこで、いろいろ条件がそろった場合にのみ、酔わないように気を付けて飲む。
酒を飲む意味がない、と言われそうだが、酒で好きなのは味だけだから仕方がない。

宿に戻ると、今度は夜の温泉に入る。
宿に着いた直後に貸し切り状態の内湯に入ったが、今回の宿泊プランには30分の貸し切り温泉がついていた。しかも家族風呂ではなく、普通の内湯が使える。なので、夜も再び温泉を独占。
夕方に入った方とは別の内湯に入る。ヒノキの露天。見上げれば、星。満天の、とまではいかないが、当然、東京よりははるかに多い。

湯からあがり、身支度をして、本の続きを少々読んで、眠くなったから、寝た。何時だったのかは、覚えていない。
そして翌朝、起きて、湯に入り、朝飯を食べて、宿を出た。昼過ぎには、東京に戻っていた。

湯田中でやったことと言えば、本を読み、風呂に入り、食事をしただけ。ただ、場所が山の上だったり温泉宿だったりしただけだ。
ただ、その間は、何をしていても、思考も感情も心地よく停止していた。目の前のことに思いを馳せはするし、人にも反応する。だが、その時も頭と心はふわふわしていた。
思えば、このところ、考えることも、感じることも多すぎた。頭も心も大忙しだった。逃避したのは正しかった。

風船のようにふわふわとした一日半は、今となっては夢のようだ。
あれが現実だった証拠は、数枚の写真と、カードの明細だけである。

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