あれから18年

2005年4月25日の朝9時過ぎ、JR福知山線(JR宝塚線)の尼崎~塚口間で、宝塚発同志社前行き快速が脱線し線路脇のマンションに衝突し、運転士を始め100名以上の死傷者を出す鉄道事故がありました。

世に言う「福知山線転覆脱線事故」です。

まずは亡くなられた皆様にて哀悼の意を、負傷された皆様にはお見舞いの意を改めて表します。

直接の原因は現場直前のカーブを大幅な制限速度超過で進入し制御が利かなくなったことですが、そうなってしまった遠因というのが、当時話題になっていた「日勤教育」とされています。
ダイヤが遅延するような運行トラブルをしてしまった乗務員はシフトから外して、日勤教育を受けさせていたそうです。
ただ内容がハラスメントとされてもおかしくない内容だったそうで、乗務員にはそれから逃げたいプレッシャーもあったそうです。

ちなみに、この頃のJR西日本の近畿エリアのダイヤは極めてカツカツで、さらに広域的に稠密なダイヤ構成にもなっていました。
今で言う「エグい」レベルで。
大阪・京都・三ノ宮など乗降の極めて多い駅でも停車時間は1分しかありませんでしたし、途中駅では30秒も無かったでしょう。
ということはどこかで何かが起きて遅延が発生するとその影響が恐ろしく広域に出てしまうのです。

その年の夏、米原~京都間で新快速に乗ったときに私も実感しました。
滋賀県内の停車駅で開扉したら即閉扉するくらいの勢いでしたし。
さらに駅の案内表示には「1分遅れ」と出てもいましたし。
(少なくともJR東日本では視たことがありません)
あれはビックリしましたし、同時にああいう事-福知山線転覆脱線事故-が起きてしまうわけだとも納得してしまいました。
余裕のないカツカツのダイヤで、1分でも遅れたら日勤教育を課されてしまうという乗務員のプレッシャーは半端なものでは無かったことでしょう。

この運転士-事故当日は実名が報道されていましたが後に匿名に-は直前の停車駅である伊丹で停止誤り-いわゆる停車位置超過-をしてしまい遅れを出してしまったそうで、それを取り戻すべく無茶なことをしたとも言われています。

本来はそれを止めるためのハードウェアも整備されていなければならなかったのですが、そこまで高度なATSが当該区間には設置されていなかったのです。
高度なATSに変わっていて、当該地点-現場直前の急カーブ-に地上子が設置されていれば防げたと専門家達は後の祭りのように騒いでもいましたが。

この後JR西日本は考えを改めたようで、ゆとりをもったダイヤ構成にシフトしました。
ダイヤも余裕を持たせて、駅での停車時間を増やしたりしましたし。

ただ、この事故における司法の判断は(私の中では)玉虫色な決着になった気がします。

この事故の資料等は大阪近郊の自社の研修センター内にあり、また事故現場のマンションの土地を買収して追悼の場としているようですし。

ちなみにこの事故では多くのボランティアが出動し救出活動やその後方支援活動をしていたそうです。
現場近くの会社から総動員で負傷者を病院に運んでいたそうですし、医療機関からも応援があったともききますし。

この時は発生から夜までNHKラジオ第一はこの事故のことを伝え、テレビは現場上空から線路脇のマンションに衝突して編成の先頭がひしゃげた207系を映していました。

私の中では日比谷線脱線事故や信楽高原鐵道列車衝突事故と並ぶ鉄道事故と思っていますし、この手のレベルで言えば日本航空123便墜落事故-私がよく言うJA8119-に匹敵している位記憶に鮮明に残っています。

ただこれとてミレニアム世代やZ世代は「教科書の歴史」レベルでしょう。
ま、当然なのですけどね。
直接視てませんし、2005年以降幸いにもこの手の鉄道事故が起きていませんし。

とはいえJR西日本もその後もたまにですがやらかしています。
1件ごとのやらかし度が中々なインパクトですし。
ある意味本当の意味で大丈夫なのか?と思ったりもします。
福知山線転覆脱線事故以外にも信楽高原鐵道列車衝突事故とてJR西日本が当事者として関わっている事案なのです。
恐らくこの世代の管理者層はリタイアしているはずですが、その遺伝子が残っているとすれば面倒な事にもなるわけですし。




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