あれから17年

2005年4月25日の9時過ぎ、福知山線(JR宝塚線)の尼崎~塚口間で、宝塚発同志社前行き快速列車がカーブを制限速度を大幅超過の速度で進入し、沿線のマンションに衝突して、107名の死者を出しました。

まずは亡くなられた皆様に哀悼の意を、ケガをされた皆様にお見舞いを改めて申し上げます。

あの頃のJR西日本のアーバンネットワーク(近畿圏各線)は非常に異様でした。
稠密に練られたダイヤで蜘蛛の糸を重ね合わせるようにできていました。
速さを求めるがゆえに、主要駅の停車時間すらも大幅に削っていました。
ゆえにバッファーがほとんど無かったのです。

事故が起きた夏に乗ったときなのですが、米原から新快速に乗って京都に向かっていった際に、途中駅(具体的には彦根と能登川)でドアを開けた瞬間にもう閉めるということを普通にやっていて驚かされました。

こう言うダイヤですので、ちょっとしたトラブルがあると当然後続に影響が出てくるわけですが、その原因を作った乗務員を半ば懲罰として乗務から外して「日勤教育」というのをしていたわけです。

先日のでパワーハラスメントでしょ?と指摘したものですが。

その列車の運転手(当初は実名報道→後に非公開)は手前の伊丹駅でオーバーランをしてしまったそうで、どうやらそれをリカバーしようとして無茶をしたようです。
列車に乗っていた客のインタビューで普段より飛ばして怖かったという談話もありましたし。
現場手前のカーブにあったはずのATSは作動してたのか?というのがその時は異様に話題になっていましたし。
ただ作動していたとしても高速状態であり衝突には間に合わなかったと思われますし。
実は下り線側で特急列車が尼崎を出発していたのですが、現場直前で緊急停車して事なきを得たそうですし。

これがきっかけになり、JR西日本のダイヤもかなり見直され、全体的に緩和され、スピード至上主義はなくなりました。

ただ起こされた裁判を見ていて個人的には玉虫色に終結してしまった印象が拭えませんでした。

で、JR西日本はJALにおける安全啓発センターのような施設を大阪は吹田市の自社の研修センター内に作るようです。

JAL123と信楽高原鐵道事故(これもJR西日本が関わっている)、日比谷線脱線事故につぐ事故だけにきちんとしたものを後世に残していく責任はあろうかと思うのです。

安全というのを改めて考える一日でもありました。

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