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マレーシアでの生活を樂しむことを明らめる

最近、仕事への心構えというかどういう気持ちで現在の仕事に向き合ったらよいのか?という点について自分なりに適切な対応方法が見つかった気がする。

簡単にいうと、割り切っている。

これまで発信してこなかった背景には、理由がある。

2024年1月、日本からマレーシアへ渡航してそろそろ4ヶ月が経とうとしている。今の今まで、軽い鬱状態に陥っていた。
なぜ縁もゆかりもないマレーシアに来てしまったのか。
選択を誤った自分を責めていた。何度も何度も。

そもそも、日本で会社員として働いていた時、充実感や幸せは全く感じていなかった。縛られるのが嫌で独立したいという理由でパッと会社を辞めてしまった。

お勤めしながら当時、自然療法に興味があったわたしはクレイセラピストの資格を取得するべくオンラインで学びはじめた。
クレイに出逢ったことで自分の幅も広がったし色々な出会いや学びもあった。

そして、発信活動をしてゆくなかでクレイはわたしじゃなくてもいいと思うようになり、また自分の気持ちがふらついた。そんな自分だから、全くクレイセラピストとして稼ぐことができずクレイセラピストとして食べてゆくことができなかった。当然のことだと思う。中途半端なことを齧るから、結果が出せない。
結果的に、お世話になっていたコミュニティからも卒業した。

そして、その頃友人の紹介で国際幼稚園でアルバイトとして働くようになった。それも、お金の不安があってたくさんシフトを入るようにしたら、半年すぎた頃から精神的におかしくなってしまった。極めつきは3歳の園児に手が出そうになり、ああ、もうここにはいられないと思った。いるべきではない。わたしはここにいてはいけない人間だと自分を恨んだ。ましてや他人の子供だ。

国際幼稚園は、人手不足で常に人を雇っていたような環境だった。当日になって、”午前中のシフト入れますか?”とLINEで連絡が入るほど人の入れ替わりが激しい不安定な職場だった。そこでわたしは、無理して収入も必要だったし、入れます!と返信をして空いたシフトを埋めたけれども、心は全く幸せではなかった。
いつの間にかお金に自分の心を支配されるようになって、またこうやって発信活動をしていたことが国際幼稚園のスタッフに見つかって最終的には解雇された。
そりゃあ、そうなるよなあと今振り返ると思う。

ちょうどそのタイミングでライバーにならないか?と声をかけていただき英語、日本語、タイ語を用いながら活動を始めた。
これはこれでまた全然稼げなかったけれど、とても楽しかった。
わたしのやるべき活動はここにあると確信した。
話すこと。それも多言語で。
わたしは日本語と英語を混ぜながら話すことができるらしい(フアンの方に言われた)。
また、中学時代、大好きだったハイスクールミュージカルを思い出した。
あんな風に歌って踊って生きたい。
現代社会を生きる人間は、頭脳ばかり使って、人間として生きていない。

本来わたし達は、外側から何か持ってくる必要はない。
すでに内側にあるものを引き出す。
得意を提供すること。

海外と日本を繋ぐ活動をしたい。
そんなふうに今は感じている。
なかなか、ずっと文章を書けずにいて、やっと心の内側をこうやって吐き出すことができていると思うと嬉しさが込み上げてくる。

表題とは、かけ離れた内容になってしまった気もするが、これはこれでよしとしよう。
マレーシアは、住んでみて思うが、わたしには合っていないようだ。人によっては住みやすくて心地よくて離れたくない人もいるだろう。わたしは違う。
現地のご飯は美味しくないし、車社会なので車を持っていないわたしにとっては移動が容易ではない。インフラが整備されていないので道はとても歩きにくい。毎日雨が降るので気分の落ち込みが激しい。

以上。

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