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2020年も終わり…

今年ももう少しを残すところとまりました。「振り返り」をして、忘備録的なのだけど、誰かに聴いて欲しいって気持ちも正直ありまして、ここに記す事に相成りました。よろしくお願いします。

と言いましても、何だか纏まりそうにないので、思いのまま気づくままで、纏まらないので、そこはご勘弁。と色々捏ねてから 笑

今年の始まりは、痛かったのを思い出しました。「覚悟」というハンマーで頭をかち割られて、その欠片を拾い集めて大切に胸の奥にしまい込みました。その欠片に導かれるように、一歩一歩進んだ一年でした。ちょっと孤独を感じながらです。

そう、それから…、丁度同じころに購入したカメラが、寄り添ってくれたので、それはとても有難かったです。様々な自然をファインダーを通して見る、同じものでも、何か違ったものが見えてくる楽しさです。それはとてもとても【美しい】世界だったのです。その魅かれてしまう世界を見ながら、私は、人間である自分を認めました。というか、自分の人間部分を受容したっていったらいいのでしょうかね…。これは、考えたこともない変化だったですね。不思議。

それから、出会ったいくつかの言葉。「自己一致」「孤独と孤立と孤高」「俯瞰」など。

自己一致について考えた時、自分に正直になるという事も同時に考えることができました。それから自分との対話を意識化することとか、色々スッキリしてきました。事実何も変わらないけれど、認識が変わると、状況は変わってくるんだなと思いました。

孤独と孤立と孤高。似たような言葉だけど、微妙に違うんですね。「スナフキンにみる孤独」を書いたテキストを読みました。「孤独にもプラスとマイナスの二種類がある、と私は思います。誰にも束縛されず、自由でいられる豊かな『独り』の時間と、誰からも理解してもらえない悲しみ。後者はむしろ『孤立』に近いものです。スナフキンは、自分が自分であることを邪魔されたくない。そして、ムーミンたちは、そんなスナフキンを理解し、一緒にいても、彼が彼であることを邪魔しません。だから、スナフキンは、ありのままの自分でいることができるんじゃないかと思います」

そして「俯瞰」。これは私にとってとても難しいことだったですが、一年ずっと試みてきました。今学んでいる「ヨーガ療法」の中でも、何度も出てくる「客観視」と近いと思いました。自分を客観視することで、自分で自分の状況に気づくことが大事で、そこから修行の全てが始まるのだろうということとも共通点でした。自分が他者の一人になっていく感じを味わい、他者が自分になっていく感じがあります、他者と自分を視ている「わたし」って誰?この「わたし」と「他者(自分含む)」との距離感がとても大切な気がしています。自分を好きになり、同時に他者も好きになり…。

それから、何かアクションを起こせば、そこに何かが生まれる。良いものか悪いものか?なんて考えても意味が無く、それは受け手によって変わってくるからなって思います。それより、生まれたものに気づくことが大切なんだろうなって思いました。

今年は、例年と色んな面で違った年でした。今までにない閉塞感、時間、物、人など、流れが滞り、先の見えない不安という薄い膜がはられたような、不自由さもありました。でもゆっくりになって、良かった部分もあると思うのですが。

そんな外の出来事を感じながらも、私の裡は、新しい別世界を広げて、歩き出していることを感じた、そんな一年だったのかな…と。

でもね、自分の裡なる世界に変化をもたらすのは、外との交わりであることも、すごく感じました。来年も、どんな交わりがあるのかな…と、気づきがあればいいな、あったらラッキーと、思いながら…。

駆け足の振り返りですね 書き足りないような、忘れてることもたくさんあるような…、欲張ってもしょうがない。こんなところで、シャンシャン 笑

私って、幾つになっても、ヨチヨチ歩きだな…、でも歩けるのだから大丈夫でしょう? 笑

読んでくださったなら、とても感謝です。ありがとうございます(^^)

来年も、私の写真(ちょっと暗めかな 笑)を、気の向くままに見て頂ければ、幸いです。よ・ろ・し・く〜 \(^.^)/

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