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年明けて思うこと

昨年は、振り返りをすることもなく一年を終えてしまいました。忙しかったわけでもないのだけれど、あれこれ考えていたのだけれど、振り返りより、前にできた道に興味が向いていたように思います。

今年はどうしようか…正月三ヶ日に考えておこうと思ったりもします。決めたところでその通りにできないかもしれないと分っていても、考えておきたい気持ちになるのがお正月なのでしょうね。笑

私は、昨年末からとても幸せな気持ちでいます。何か良いことがあったと言う訳でもなく、何でもない普段の暮らしなんですが、心が軽やかで何でも楽しく感じたりしてます。夕飯を頂いた後に、「今日も一日が終わったな…よく頑張りました私」と呟く自分がいます。こんな気持ちはおそらく小学4年生くらいまでで終わっていたように思い出されます。

なんの不安も心配もないのかな?ほぼないようです。問題はまだたくさんあります。家族の事も親の事、体調、注意欠陥、へたくそな対人関係も…。でも心配や不安はなくなりました。この気持ちについて「伝えたい」、、そんなことが頭に浮かんできました。

昨年のできごとを思い出しました。私は引きこもりの親の会にかれこれ5〜6年参加しています。そこで同じ悩みを持った方々との会話を繰り返していました。涙も枯れて、魂が抜けちゃったみたいなお母さんが参加しています。そんな中で2回程、輝く笑顔になって帰っていく方がいました。その後ろ姿が、私の目に焼き付いています。元気になった姿を見るのはいいものだなって思ったのでした。

そんなことも相まって、私もこの軽やかな幸せ感、喜びについて、伝えたいと思ったのです。誰にでしょう?以前の私なら、私に興味を持ってる人などいないから意味ないし、なんの役にも立たないって思って止めたでしょう。今でも「私に興味を持ってる人などいない」はありますが、それでも全然いいやって思っています。私が伝えたい人に伝えよう。役に立たなくっていいし、役立てようと思って伝えるのでもないな…と考えは進んで行きます。

「伝える」ってどういうことだろう?私だったら、写真や絵、ことばなど色々あるだろうけれど、それらに当てはめようとすればするほど、ズレていってしまいそうな気がします。当てはまらないところに一番大切なエッセンスがありそうな気がしています。

軽やかな気持ちから生まれた喜びを、とにかく私なりの表現をしてみよう。時には悲しみかもしれないけれど、これから起る様々なできごと、遭遇した時に、私と周りの人や事や物との間に生まれた「創造」を見てもらおう。何より深い彩りがあるはず…それを感じてもらえたら幸せだよね…。目を瞑って心の裡の私にそう尋ねると、やってみたらいいんじゃない〜と返事が返って来ました。(^^)

今年は、「伝える」をやってみます。赤ちゃんが母親に乳をせがむように伝えて、伝わったと感じた時の満足した笑顔や安堵した寝顔も、また見てもらいたいな…と、思ってみたり(○^.^○)

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