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失われない記憶

最近、朝方の寒さにかまけて、目が覚めてもお布団の中でぐずぐずしている。色々な事を思い出し、あれこれ今までの私の物語を反芻してしまう。

昨日は、母方の祖父のことを思い出した。思い出したといっても、祖父は私が2歳の時に亡くなっているので、物心ついたときには、もう額縁の中に納まって飾ってあった。

なのだけれど…、私はこの祖父を覚えている。

母の実家は大きな農家で広い敷地の奥に母屋があった。私は祖父におんぶしてもらって、母屋から道沿いのかど(入口の意味)まで出た。割烹着に姉さん被りの近所のオバサンがニコニコしながらやってきて、祖父と立ち話を始めたのだ。

と、さも記憶があるように書いたけれど、実は定かではない。私の実際に感じとった出来事をそのまま書くと、

「高いところから見下ろした地面が動いてた。私は足をぶらぶらさせて、気分が良かった。暖かい大きな体にもたれていた。暖かい大きな体からうぅーううう、うぅーという音が響いてきた。頭を上げると、白い光ったものが動いて近づいてきて立ち止まった。暫くうぅーうという響きが続いた。」

思い返すと、これだけが感じたとった記憶なのだ。その時の祖父の顔も前後の記憶も全くないのだ。でもその暖かい大きな背中が祖父で、おんぶしてもらってご機嫌だったという物語が私の中に生まれて記憶となった。それを私は疑ったことは一度もない。

この話は、誰にもしたことも聞いた事もなかったのだけれど、数年前、母の兄の告別式があった時に、母にそのことを話してみたが、母は知らなかった。2歳で別れてるのだから、その前のことを覚えてるとは思えないとも言っていた。

とても不思議なのだが、私は祖父を感じとっていたし、写真の顔を見ると、背中の向こうで笑っている祖父の顔を思い出すかのように、甦ってくるのだ。

とてもご機嫌だったことをはっきり覚えている。今思うととても不思議なのだけれど、極当たり前の事のようにも思えている。

忘れる事はない記憶だろうけれど、書いておこうと思った。



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