中村哲

中村哲さんのこと

数年前、中村哲さんの講演を聴いたことがある。ペシャワール会の存在や、彼の活動の粗方を書籍で知って、どんな人か会ってみたいと思っていた矢先、近くでの講演会の情報を得て、ひとり足を運んだ。

中村さんのこの時の講演会の目的は、アフガニスタンでの活動の様子を日本人に知らせるということもあったのだろうが、理解者を増やし寄付金を募るためもあるのだろうと感じた。

中村さんのお話は、何かを訴えるわけでもなく、悲惨なアフガンへの同情を求めるわけでもなく、ただ淡々と自分のやってることと状況を話された。用水が引かれる前の乾いた風景写真と、後の緑の樹々の並木が用水路の両側に茂っている写真の対比が、今でも目に焼き付いている。

それから…、中村さんの白けた表情と言葉「私は日本に帰って来て正直、落胆した。こんなになんでもあって何でもできそうなのに、何もしないで不平不満をいっている。若い人も就職できないとか、仕事がないとか嘆いているけれど、土があり水があるじゃないですか、耕せばいくらでも生みだせる。離れている間に、日本は自分と遠くなってしまったようで、さびしい。」というような事を言っていた。

アフガニスタンの情勢は悪く、身の危険から、ペシャワール会の殆どの人は現地から撤退して行く中、中村さんは一人帰国せず活動を続けていると言っていた。危険度から言って、撤退するべきと思うが、どうしても彼らを置いて帰ってくることが出来なかった、とも言っていたと思う。

先日、ある人が言っていたのを思い出した。「命を大切にすることは、目の前にいる人を大切にするということだと思う」

何か大仰なことを訴えるでも無く、淡々とした話し方や内容から、中村さんも、目の前のアフガニスタンの人たちを大切に思う気持ちから全てが始まり続けてきたのかなと、勝手に想像している。

かなり前の思い出なので、うる覚えなのだけれど、本棚にあるこの書籍を手に取ると、表紙に書いてある「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」この言葉が、目に留まり、中村さんの言葉と共に、ずっと私の中潜んでいたことに気づき、書き留めたくなったのだけど…、ほんとうる覚え(--)

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