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一月往ぬる

ご無沙汰をしました。気が付けば如月。
noteだけでなくインターネットに接続すること自体に間が空きました。

京都に寒波が到来した先月25日~28日あたりは
起きるやいなや、PCで電車の運行状況を調べてましたので
そこから2週間ぶりぐらいにネットつないでいます。

とはいえ、特段「デトックス」していたわけではありません。
単純にPCを起動させなかった日が続きました。
いまだに電話機としてガラケーを使う生活では

通勤前と帰宅後にPCをつけなければそれまでなのです。


思い起こせば先月、3連休をつかみとって自宅設営にかかりきり、
25日から寒波でてんやわんやし、
29日・30日と本棚購入で書庫にこもりきった。

そのためネットを見る習慣が薄れておったようです。

しかしながら一昨日、
夢でnoteの人々が出てきました。

noteの人々というのは、noteで私と交流頂いた方々のことで
1回でもコメントなぞで言葉を交わした人を指します。

どこぞのロッジのようなところでnoteの人々と顔合わせをする。


この「一度もお会いしたことないお顔を現し出さねばならぬ状況」に追い込まれた脳内は、
「私が人見知りを発動させ、なかなか皆様の顔を見られない」という手段
うまく処理を行いました。

夢って不思議なものよな…と起きて感慨深くありました。
そしてやはり
noteをしていないことが気にかかっていたのだな自分よ…と(笑)

私の夢はだいたいが現実と地続きで
たまに突飛な設定のものも見ますが、ほとんどが日常の予習・復習です。
その時に気にしていることが夢に立ち現われたり、
高校時分などから友人が泊まればその友人が寝ている自室を夢に見たりと、
まぁ現実味あふるる可愛い夢ばかりです。


そんなこんな夢に背中を押される形で、
とりあえずご無沙汰noteしてみるかい、とさっそくカタカタしている次第。

さて。



さて、往ってしまった一月を振り返る。

これまで取り上げていませんでしたが、勤め先は医療法人です。

年明け早々の勤め先では、
コロナ自粛で行われていなかった3年ぶりの「医療監視」があり、
担当している技能実習生3名が特定技能へ移行し、
後輩の技能実習生たちに対する3か月監査が行われ、
4月の新卒一斉入職準備が本格化する最中に職員の制服変更が発生し…

ぼちぼち忙しい月でした。

これから年度末・年度初めにかけて更に慌ただしくなります。
年度末に忙殺されるのは、前職で終わりだと思っていたら
こちらはこちらで忙しい。



そんな中で3連休+2連休をねじ込んで自宅の巣作り。

昨年7月に越してきて以来、
とりあえず寝て食べて暮らしていく程度には整えていたものの
「書庫」と定めている部屋には段ボールや廃棄品が置かれたまま。

カーテンも丈のやや合わないものを使っていたり
どうせなら下足箱や居間の机を作ってしまおうと心躍る企画のみ立てていたりと
やや半端な状態で過ごしてきていました。

平常、仕事・アトリエから帰宅し、食べて寝て着替えて出ていく生活のため
それでもあまり差支えはなかったのですが
都合の良い時期というのがこの1月・2月と6月・7月。

既に今年の6月・7月はアテにできないことが確定しているために
今を逃すと来年まで何もしないのは想像に難くない。

とはいえ、腰が重いわけではない。
こういう設営は好きである。

できればしたい。ずっとしたい。

絵を描いていなければひたすら自宅で設営と料理に耽っているであろう。

巣を快適に作り続けるなど、幸福の極みである。


そのため楽しみにしており、年末からいそいそと計画を立て、
レンタカーの予約・買出し先と購入品のリストアップ・本棚のネット注文・資金繰り、果ては巣作り時の飲酒内容にも思いを馳せる始末。

そんなこんな、
買出し先の材木屋さんが年末で閉業していることが下見で発覚したり、
本棚の配送時間が当日急きょ変更となったりで色々あったものの
おおむね収まるところに収まりました。



なにより本がすべて段ボールから出てきたことが嬉しい。
30日は朝から晩まで一人、あぁでもないこうでもないとムフムフ並べ。
本がかぶっていたらそれはそれでムフムフと並べ。

気に入りの並べ方の1つとして、文豪方を互いの人間関係で配置する。

・三島由紀夫と川端康成の近くに太宰治は置かない
・森鴎外と森茉莉は絶対離さない
・森茉莉の近くに三嶋由紀夫をあてがう
・三島由紀夫の傍に澁澤龍彦
・澁澤龍彦からサドの流れで外国小説ゾーンを設ける

本棚の一角に「神話系」→「宗教系」→「戦争史」→「犯罪モノ」→「脳科学」の流れをこさえた!と意気揚々の説明を私からされた友人は「ヤレヤレ」な顔をしてくれました。


廃品をすべて出してしまって、書庫に居心地のいい座り場なぞ設けたらもう
確実に「入ったら最後」な部屋になること疑いなしである。

そして春にはおそらく、大家さん宅の枝垂桜が咲く様を借景に
本棚の立ち並んだ書庫で黙々と耽読できるにちがいない…

なかなか私としては稀な、「春が待ち遠しい」心持ちです。



そうして1月が過ぎ今月3日夜、
アトリエ近くの神社さんで節分会の火にあたる。

大学卒業後、共同アトリエを始めて10年になるものの、
この神社さんで節分の夜にお焚き上げをしていることを初めて知った。
正月飾りのお焚き上げも兼ねているようで
小ぢんまりした境内の一角で、おじいちゃん方が4、5人で火の番。
そこにちらほら近所の人が訪れ、立ち話をして帰っていく。

こちらの神社はなかなかに元気で
祭礼行事が地域の生活と無理なく結びついている。
境内の提灯・燈籠に灯りが点き始めると
近々何かしらの祭礼行事があるのだろうと自然と気付き、
その週末には、やはり氏子さんが集まって何かしら準備に勤しまれている。
参加しないまでも、良い地域に暮らせているなぁと感じるところである。




つらつらと近況を書いてみましたが、
そう、絵があんまり描けていないのです。

あれやこれや楽しい日々でも、絵が描けていないと悶々とするタチで
先週は異様な眠さと緩やかな気落ちで、
憂鬱とまではいかないのですがなんだかねー、な気分で。

そんな時は通勤時も読書一辺倒。
どうせ時間がとれないのだからとあえて黙々と常備菜作り。

本棚増設で表に出てきた谷崎潤一郎を読み漁り、
「宇野 亜喜良 画集」をモフモフ眺める。
絵を描いていない反動で常備菜の種類は増え、お弁当が華やかになる。

谷崎潤一郎の後、続けざまに川端康成を一冊読んだら
川端康成はえらい暗く、谷崎潤一郎はきらびやかでそのギャップがまた面白い。そして宇野さんは描く絵、描く絵が格好いい。

お弁当用に5、6個ゆで卵を作り置いて殻のまま冷やすのですが
生卵と間違わないように殻に絵を描いていて
宇野さんの画集を眺めた時期は「宇野風」の女の子の顔になっていたり。


忙しいような忙しくないような日々でした。

ようやっと今日・明日・明後日と久々アトリエで過ごせます。
ぼちぼち描き出して、今月もつつがなく過ごせますよう。




いつにもまして脈絡のない文章となりました。

たまにはこんな近況も良いかと思いましたが、なんだか、こう、
カッキリしたテーマがないせいか
いやに落ち着いた若干根暗な性分が滲み出ました(笑)

大丈夫、平常運転です。


それでは、最後まで読んで頂きありがとうございます。
また次回の投稿で。



アトリエ近くに咲くロウバイが、毎年よく香ってくれます












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