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川端龍子と会場芸術 その1

皆さま、こんにちは。
ついにスマホに替えました。
替えましたが、ネットに繋がるのは断然PC派です。

もうあのタッチパネルの感触の無さに慄いております。
しかしながら便利なものですね。

何だかわからないながらも便利なことは確信しております。

もう少し人間が出来てから持ちたいくらい便利!

さて、珍しく今回はリクエスト記事です。
以前のこちらの記事で少し触れました「川端龍子と会場芸術」について。


話が本題から逸れていきそうなところをオイトイタのですが、
意外とこの話を聞きたいというリクエストを頂きましたので
俄然お応えしますの回シリーズです。

とはいえ、川端龍子をメインに!なのか、会場芸術をメイン!になのか
はっきり確認しないまま。
いつもの通り好きに書いて参りましょう。

それでは早速。

おいとかないことになりました



まずはみんな大好き、華やか鮮烈!川端龍子からのお話です。

川端龍子、
1885年(明治18年)和歌山県生まれ、 1966年(昭和41年)死去の日本画家です。

・10歳で画家を志し、挿絵画家として成功
・洋画から日本画へ転身した後に横山大観に寵愛され院展所属
・独自路線を突き進むべく院展を出て青龍会を旗揚げ
・会場芸術を成功させて在野の画家として異例の文化勲章受章
・病床にて「絵が描けない画家は死んだ方が良い」と言って絶食
・自身の死去と共に青龍会を解散する

まぁ鮮烈!


そして肝心の絵で有名どころと言えばこちらでしょうか。

『愛染』足立美術館蔵

昭和9年(1934) 168.2×168.5 cm
「愛染」は愛し執着すること、また愛欲煩悩といった意味を持つ。つがいの鴛鴦が見つめあう一瞬をとらえ、細やかな夫婦の愛情を表現している。装飾性と写実が見事に一体化した名作である。

https://www.adachi-museum.or.jp/archives/collection/kawabata_ryushi



この絵を初めて見たのは、おそらく何がしかの美術教科書です。
日本美術のあれやこれやが詰まった、全体的にワビサビな色調の教科書。
その中に突如として現れた、この華やかかつ情感に満ちた画面!

このメッセージ性の強さとわかりやすさ、
それが無理なく華やかな画面とあわさっていることに
ある種の愉快犯か!と愕然としたことを覚えています。
(浅田次郎氏の小説や、さだまさしの歌詞に感じるあの巧さです)



それに加えて、
その本には「川端龍子が提唱した会場芸術」との言葉がありました。

こんなに煌びやかな絵を描いて、しかも大型作品を提唱したとは…!
瞬間的に私の中ではこの方程式が立ち上がってきました。

川端龍子=劇場型愉快犯

(なんでか宮部みゆきさんの『模倣犯』と結び付いてしまったのです)




そんな川端龍子が提唱した「会場芸術」。

それ以前の絵画媒体は、もっぱら掛け軸などが多かったようです。
絵を描くための材料にも絹が定番。
描いて、御軸に仕立てて床の間に飾る。

床の間に掛けられた一幅の絵が
四季折々の季節の景色や、清冽な山水となって
室内外・公私の境界をぼかすとともに
主人・客人のやわらかな架け橋となる…

こんな奥ゆかしくもちょっと高潔なアートシーンにですね
龍子はババンと打って出ちゃったわけです。

ばばんと!

『金閣炎上』東京国立近代美術館蔵
https://publicdomainq.net/kawabata-ryushi-0033231/


「金閣炎上!これは絵になる!」

もうここだけ見ると本当に愉快犯な感じが甚だしいのですが
どうやらそれは早計だったようです。




次回も続けて「川端龍子と会場芸術」についてお送りします。
知っている方も知らない方も
どうぞお楽しみに!




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