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生かされた話 良性腫瘍が大事になった話のおまけ

※この話には流産の話が出てきます。苦手な方、見ると心苦しい方はご遠慮下さい※



私は過去2回妊娠し8週と10週で流産している。

1回目の妊娠は31歳夏のとき、妊娠が分かったときから経過が悪く、心拍確認後の翌日稽留流産となった。
2回目は35歳夏のとき、前回と違い経過も順調で通っていた不妊治療のクリニック(と、いっても人工授精)を卒業した2日後、出産するクリニックの初診日のエコーで心拍が止まっていた。
「なぜ」しか出てこなかった。
前回と違い経過も良好、2日前まで元気に動いていたし何なら2日前より大きくなっている。それなのになんで。流産の事を色々と勉強して何とか気持ちの折り合いを付けようとしているが、愚痴しか出てこなかった。

そんな中、丸っと1年以上休んで、そろそろやりますかね、と、不妊治療を再開したのが2022年10月、丁度胸のしこりが見つかった頃。

バタバタと乳腺外科へ通い、一旦婦人科はお休み、その後コロナや何やらで、年明け1月から不妊治療再開し(と、いっても人工授精)たのだが、何故か育った卵胞が人工授精の前日若しくは十分に育つ前に排卵してしまう。

それも4ヶ月連続で。

今までこんな事はなかったし、これも加齢の弊害なのか、妊娠どころか治療自体が出来ずスタートラインに立つことも出来なかった。

並行して受診していた乳腺外科の主治医は胸の腫瘍は気になるが、年齢的なこともあるので(そりゃそうだ40手前だもの)積極的に不妊治療を、だった。

が、人工授精どころか前倒しで排卵してしまうのだから治療にならなかった。

完全にお手上げである。

不発を繰り返した4月上旬、MRI検査のため向かった放射線科の入り口で見たポスターの「妊娠中、妊娠の可能性がある方は技師にお伝え下さい」の文言があった。

そういえば二人目が無事に産まれていたら丸1歳位かとボンヤリ思ったのを覚えている。
が、その後のジェルネイル溶ける騒ぎで感傷も何も全て吹っ飛んでいった。

この記事↓


4月中旬に乳腺の検査結果が出揃い、過誤腫では無く葉状腫瘍、サイズは4センチまで大きくなっており摘出手術が妥当といわれる、この病気は悪性腫瘍の場合もあるので5月上旬に手術の予約を入れた。

オペ後、病理の結果は良性〜境界悪性、オマケに非浸潤性小葉癌もくっついてきた。

乳がん化する前に取り切れて、本当にラッキーだったと思う。

会計窓口で散財し
何とか家に帰り、ボッーと夕方のニュース番組を見ていた。たまたま新生児の特集番組が流れたいたのだけど、その時直感的に

「あの子が産まれていたら、私は死んだかもしれない」

なんの感情も無く、そう思った。

積極的に不妊治療はしていなかったけど、それでも妊娠出来た時は嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。(それこそ、不妊外来から2日後に産科に行くくらい。嬉しくて、浮かれに浮かれていた。次は大丈夫だろうと。何の疑いもなく無事に産まれてくると思っていた)

それなのに、二人目が無事に産まれていたら間に合わなかったかもしれない。そんな残酷な事を考えていた。

普段こんなことは思わないし、考えもしない。初期流産は胎児側の染色体異常で起こる可能性が高い。人の手の届かない領域で、どうにも出来ない事だと私たち夫婦は考えている。

不発の4ヶ月の間に妊娠していたら、手術の出来る安定期、もしくは産後まで待っていたら手遅れになっていたかも知れない。

そもそも過誤腫と違い、葉状腫瘍は痛みがない(らしい。医師曰く)。たまたま神経に当たる場所に出来たから痛みで存在に気がついただけで、授乳中だったら、場所がズレて痛みがなかったら胸の大きい私は腫瘍に気が付かなかった可能性が高い。

考えすぎかもしれない。

全てがタラレバだけど、私は最高にラッキーな形でこの病気とおさらばした(と、思いたい。再発は心からご遠慮したい)

出来ることなら2人とも何に変えても無事に産まれて欲しかった。

故意にしている宗教もないし、神や仏には年始と試験、チケット参戦や鍛刀イベントのとき位しか祈らない。(気がついたあなた、同業ですね?初期刀は誰ですか?観劇はしますか?語りませんか??)

同じ病気で闘病中の方もおられる中、こんな風に書くのは不謹慎かもしれないけれど、今回ばかりはあの子に譲ってもらい、生かされたような気がしてならない。(それでもスリピチュアルとか不思議な世界があるなら、あの子の様子が聞けるなら聞いてみたい)

最悪な状況は沢山ある。

それでも何とかなっている、感謝しかない。

残ったのは少し下乳がボリュームダウンした胸と、それ以外は肥満で元気な私

生かされた事に感謝して夫と思う存分、人生を楽しもうと思う。