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オクターヴふぇち

そのキーワードがリハ中に登場したときに、泣いて小躍りしたくなるくらい嬉しかった。弦奏者はそれが当たり前なのか?それとも彼がたまたまそうだったのか?普通演奏家は皆その感覚を持っているものなのか?


ある時期から自覚していること。自分はオクターヴふぇちだ。
あまりに好き過ぎて、ハノンを両手で弾いているだけで幸せになれる。生徒さんに布教しまくって、ハノンしか弾いてこない生徒さんまで出て来たくらい、一時期はハマりまくって、今でももちろん日々毎日何弾いていても「そこ」を感じて幸せになる。

五度も上手くいくと「パカっ」とはもるけれど、基本ピアノって、本人の耳のイメージ力全開にしないと、綺麗になかなかハモるのが難しい。調律によって、そのしやすさとか全然違うけど、、ようするに、打鍵して、音が鳴って、うなりが落ち着き出すまでの時間が、オクターブが一番早い、ってこのなのか?(あんま完全には理屈でわかってないから断言できないが、感覚ではそんな感じ。)和声によって、その「時間」が違って、だから、自然と、同じメロディーでも、背景の和声によって、先へ進むスピードとかメロの跳躍の「時間」とかが、変わって来る。「ひびき」を運ぼうと思うときに、体感の重さが変わって来るのも、この、耳に感じるうなりのいい感じに落ち着くまでの時間、とか、ぐいんぐいんぐいんって音がまわってるなかで「ぴたんぴたんぴたん」と「ハモル回数」みたいなのが関係してるのかな、なんて、よく思う。


すぐにハモルからラクー!たくさんぴたぴたくるからラクーって話だけでもなくて、だからこそ、うなりが初めてハモる瞬間を見逃してしまうこともある。これ、聞き逃すと、オクターブの良さ半減台無しになっちゃう。溶け終わってなんだかなー、って感じになっちゃうか、ただの打鍵音みたいな音になっちゃうか。

と、打鍵の「はじめ」あたりを意識してたら、オクターヴマニアのチェリストが一言。音のしっぽで作って行くと。…たしかに。しっぽを意識してるときは、自然と、打鍵の「前の音のしっぽのひびき」からの流れで作っているので、当然打鍵してすぐのひびきもちゃんと聴こえていて、その上でしっぽをまた聴けているので、結局「一音」のスペースがめっちゃゆったりしてて広い。自由に遊べる広々スペースみたいな。これオクターブだけの話じゃないけど、オクターブで試すのが、一番分かり易いし、ラク。ピアノは厳密にはオクターブしかはもれないので、やっぱりオクターブを猛烈に感じて、そこからの距離感とか、そこへの憧れを持って他の度数をはもらせることで、ピアノらしい(?)ハモリ方になってるのかな。

オクターブ弾くとこを、いちいち、「超愛し合ってる男女二人がユニゾンでハモッてる」という感じの耳ではもらせたときの、触感覚。オクターブ弾いてドキドキしないときは、どっかにおかしな力が入ってるときか、耳が閉じてるときか、全部のパートを把握しきれてなくて耳が偏っているときか、拍子の流れが消えてて推進力なくなって苦しいときか。あと色々。

撫でるくらいで、「ぴしっ」と最適なハモリでラインもハーモニーも作れているときの、「軌道上にいます」感覚を、ピアノに向かったら常にどんな曲でもいつでも感じられる状態でいたい。この感覚得るには、ひとりで弾くより、アンサンブルばんばんばんばんやってる時の方が掴めやすい。昨日のヴァイオリンとの幸せ盛りだくさんライブ。今日の10時から17時までのチェロとの汗だく濃厚リハ。耳が感覚を覚えているうちに、タタミカケルように……譜読みをやってしまえば、その曲はいついかなる時に弾いてもその感覚で弾けるかもしれない、うん、そうなって欲しい。


共振する時に、部屋とか箱のいろんなものが共鳴して鳴り出すと、ほーんとにほーーーーんのちょっとの最低限の労力(?)でめっちゃ響き作れる。フォルティシモも、簡単に「ぶおおおおおおんっ」って、勝手に鳴り出す、いろんなものが響きを助けてくれる、一緒に鳴り出す、あの時に聴いている耳の位置、あれがいい。どうしたら、いつもあの音聴けるんだろう、、って聴けば良いのか。


分からなくなった時はいつもオクターブにヒントをもらう。たくさんぎゅんぎゅんびりびり振動する、そこを聴いてたい。

(2011年9月20日 旧ブログ投稿記事より)

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