そこに耳を住まわせたい。

流れを作るのは

・拍子
・和声(和声進行!)
・メロディーの動き

とかがぱっとあげられるが、これのどれかだけではない、
というのが最近あらためて実感&研究中。

メロディーのみになっちゃってるときが一番つらくて
たいていつらい時はメロディーがひとりきりになってる。

確実にまず
歩く道に和声のカーペットが敷いてあるみたいな耳だと、
安心して歩ける。


そして、たいていの場合は「裏から表」へ、周期で心地よくまわり続けることで、メロディーが流れて行くことが大事とされて進んで行くが、全部が全部そうではなくて、いちいちメンドクサイような和声の感じ方や、パッセージの種類によって、つるん、つるん、と毎回のってくるくる進んでいくわけではないところも出て来る。譜面をよーーーくわかろうとすると、見えて来ることがちょっとわかった。

しかーーーーーし。
基本はまずくるくるなのかと思った。(回転系の拍子感)
ここがまずしっかり体内にある上での、必然必要な「時間」だったり「間」だったり。そうでないと、メロディーひとりぼっち事態が起こる。


耳が迷子になったとき。
あの、、災害時に家族でばらばらなったら「とりあえず、ここに集合!」みたいなキメごとのように、帰って来る耳のホームを定着させたい。わんちゃんが自分ちがわかるのは、自分ちにいるじかんが一番長いからなのかな。だったら単純に、「そこ」に居る時間が長くなれば良いのかな。


こどものころは「ハマればあそこにいく!そして本番中にハマり易い!」という宝くじのような耳だったけれど、ホーム的に、そこに耳を住まわせたいよ。

究極いえば、そこに居たくて弾いてて、
そこに住んでる音楽や音楽家や曲や作曲家に会いたくて弾いてる
ようなもんかもしれんと、よく思う。


で、そこの域に流れてるなんだろう、空気?電波?匂い?波動?あれって、人を生かすも殺すも出来ちゃうんじゃないかってくらい、すごい力があるって、思うから、だからこそ、そこにいけて初めて、誰かに何かを出来る(…という実感を得られる)ので、ので、のでので、余計に、そこに住みたいのかもしれない。あと、そこの域の力の強さとかエネルギーの影響を、むっちゃ信じてる(てか実感するので信じるというか、自分の中では真実)ので、やっぱり住みたい。のだ。にゃ。

(2011年4月11日 旧ブログ投稿記事より)

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