記事書き込みテスト

過去から今までの練習ノートはおそらく数十冊。
手書きからパソコンのメモ帳に残すようになり、そのうちぽろぽろウェブ上でつぶやくようになった最近。ふと、表ブログとは別の場所で、ウェブ上に記録していきたいと思った。

多分、誰でもなのかもだけど、得意なものと不得意なものがあって。
音楽の能力(?)でも、天然で出来るものと、あとから努力したり学んだり練習して身につけたものとかもある気がして。


「あっちゃん天才」と幼少期から自分で言うタイプだった自分は、言われることも多かった。しかし「この面だけは自分で考えても絶対自分の力じゃないから神様が弾いてるから、やっぱり天才かもしれない、私が凄いんじゃなくて神様が凄いんだー、ひょーーーい。」と自覚があった分、「出来ないこと」の自覚も、年齢があがるにつれ大きくなった。そりゃそうだ、出来ること、がそもそも、努力によってではなく、「なんで出来ちゃうんだろうすごーーーーい」というもののほうが断然多かったのだから。「自分の力では結局、何一つ音楽出来ないんじゃないか」そう思って全く弾けない時期もあった。

でも、それでもピアノや音楽を続けた中で、今度は「音楽が教えてくれる」という実感が産まれるようになった。気付けた時に、誰が認めてくれなくても、充実感があった。「実感」ってすごい。音楽に直に触ったような感覚があると、良い意味で他人が気にならなくもなるし、他人と溶ける合えるようにもなる。何も音楽って、自分で作らなくても、すでに有るものなのかもしれない、と。そして、私ごときが騒ぎ立てなくても、すでにそれは素晴らしいものなんだ、と。そして、その素晴らしい音楽の支配下にあるようでいて、なんと、こちらから仕掛けたり、働きかけたり、影響を受けあうことの出来る関係になれることもわかってきた。音楽は君主制のようでいながら、時にまったく縛りを与えてくれず、逆に弾き手の自己責任を問うような姿勢もみせる。人との関わり、社会との関わり、友達との関係、仕事でのやりとり、コミュニティーでの人間関係、そういった中で日々学ぶことと、楽譜上から学ぶことが、リンクするようになって行った。

そう思うようになってから、音楽と関わるのがもっと楽しくて幸せになって、楽になった。練習が好きになったし、人も好きになった。

毎日全然違うことあちこち興味が振れるけれど、だからこそ、脳内の旬なトピックを旬なうちに残しておきたい。いつか、全然関係ないと思っていたことと、ノードが繋がる気がする。

(2011年4月2日 旧ブログ投稿記事より)

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