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ポジション

大人でピアノを始めた方に多いのが、「ポジション」で音を覚える方。黒鍵のここにこの指で、135と指を動かしたあとに、ポジションを移して1234。みたいな具合に。


耳弾きが出来るようになると、指使い的なことを気にしなくもなってくるし、ポップスなどコード弾きの中で弾くたび違うパッセージを弾いているときに、指使いを考えたことってないかもしれない。クラシックでも極端なこといえば、耳使えば小指一本でも超絶美しいレガートで弾けるはずだし、そうでなくちゃいかんと思う。しかし、「指使い」「ポジション」は、決まった音を弾く際に、うまく利用することではるかに音楽的になったりもする。

もっというと、ポップスとかでも瞬時に「次このふれーず」と長めに脳内に次の音が出た時に、音楽的な手癖フレーズが身に付いていると、良い意味で「ぴあにスティック」な演奏になる。ピアノはちょっと間違えるとつるつるつるつる弾けすぎちゃって、他の楽器をイメージするような音を弾く際には「非音楽的」に聴こえてしまいがち。だが、「他の楽器」ではなく、もっと抽象的な何か、とか、無機質なものとか、楽器ではなく自然界の何かだったり、、そういったものを表現する際に、「他の楽器では絶対に不可能!」というサウンド、フレーズがいろいろ出せるはず。

今日はカプースチンの演奏会用エチュードの40−4を練習していて。速く動く方のパートをどう扱うか、、そのまえにどうしたら音符をまずちゃんと弾けるかをさらっているときに思った。「この指使いじゃないと弾けないフレーズ」というのがある。しかし、音楽的には、「ここで1の指をもってくるとフレーズが分かれちゃう」というようなところもある。つまりは


「音楽の都合」
「指の都合」


どの楽器でもあるんじゃないかな。この二つが戦うときって。
で、例えば明らかにオーケストラの音をイメージしてピアノで弾かなきゃいけないような曲の時は、基本的には私は「音楽の都合」で弾く方が好きだ。

でも、カプくらいのテイストの曲の時、あえて「ゆびの都合」的に弾く方が、「ピアノの曲」にキコエルことってあるなあと、思ったりした。クラシック的には不自然なアクセントや譜割になる、でもそれが、なぜかカプ系ジャンル的には逆にしっくりくる。これが「ジャズっぽくアクセントつけましょう」として弾いちゃうと、わざとらしくて変。なのに、クラシックの練習の時に幼い時に徹底して矯正させられた「ぼこぼこしない!」「ころばない!」のようなことを取り外して指が楽なように弾いてあげると、、、、、、、私には凄く自然なピアノっぽいフレーズに聴こえて来る。


で、なぜ「ぽじしょん」なのかというと、


「ぽじしょんを上手く使うことによってクラシカルになる」
「ぽじしょんを上手く使うことによってジャンル感がでる」


両方ある、両方使える、混ぜたら立体感増しまくりんちょなのではないかと。

Σヾ( ̄0 ̄;ノ


奏法的には絶対エコ。無駄な動き、力がぐんと減る。
「指」の仕事と「腕」の仕事を分けられるからだ。


出来るだけ少ないポジション移動で基本済ませる。
その上で「ポジション」の境目を「感じさせない」か「あえて感じさせる」か。


むーん。

明日は合唱のリハ。
課題は
「譜面の先読み」「子音ではなく母音ではもらす」「コードで長く歌う」。

(2011年4月2日 旧ブログ投稿記事より)

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