あの夏

とても暑い日だった。連日のようにゲリラ豪雨のニュースを耳にしいていた頃だった。

15年前に発病してからこっち、数々の治療を受け続けてきた義兄が亡くなった。52歳だった。末の子が高校2年になった年で、彼の誕生日の翌日未明だった。一昨年の秋くらいから少しずつ容態が悪くなり、昨年6月に緊急入院をして、今夜がヤマだと覚悟しておくように、と言われ続けて二ヶ月だった。

職場でも真面目を貫いた人で、通夜と告別式には職場がスタッフを都合つけてくれた。親会社からも数々のサポートをしていただき、立派な式になった。義兄がいかに実直でいたのかと思い知らされた。姉に言わせれば人に気を遣いすぎて良い人になってたそうだ。色々ともどかしいことも感じていたようだけど、懸命に生ききったんだと思う。自慢の義兄だ。

実家に来ると必ず父と晩酌をしてくれた。そんなに話があうわけではないのだけど、ふたりで時間をかけてビールを楽しんだ。乾杯、と必ずグラスをあわせて始まる晩酌。父が何か声をかけ義兄が話し、時折、義兄の「あっはっは!」といういつもの笑い声。大きなビール缶を数本空けて、ようやくふたりの晩酌が終わる。ビールで膨らんだお腹をさすりながら数時間をゆったりと過ごして姉の運転で帰宅する。義兄が来ると決まって母は「キリン一番搾り生ビール」を箱で買った。うち数本は父と2人で飲み、残ったら持ち帰ってもらっていた。一番搾りと父との晩酌の姿、義兄の笑い声は、いつもの光景だった。

その義兄の通夜に向かう道中、母の実家から連絡が入った。祖母危篤の報だった。祖母は94歳。祖父が亡くなってからは娘家族(母の妹家族)と同居し、家事をしつつ趣味のカラオケと手芸をして穏やかに過ごしていた。5年ほど前から認知症が出てきて自宅介護をしていたが、メインで介護をしていた叔母の体調不良がでてきてしまったため、数年前から施設に入っていた。

亡くなる数日前、体調がおかしいから病院で診察を受けたが原因がわからなかった、後日改めて他科を受診する予定だ、と聞いた。熱もあるという話だったから心配していたが、朝に急変したらしい。

祖母の事を聞いてすぐ、不謹慎と思われるだろうが、変な例えなんだけれど、悲しみが薄らいだような気がした。義兄だけを見送るんだと寂しくて悲しい思いだけが押し寄せたと思うが、祖母が一緒なんだと思ったら、心細くないかなと頭をよぎったのだ。見送る私たちは祖母の準備等もあって気忙しく、義兄の悲しみに浸っているだけで過ごすことはなかった。

祖母と義兄はあまり会ったこともないし、会話も一度くらいはした事があるかな?くらい。だから親戚だよと言われても戸惑うと思うけど、祖母のほうは、孫の旦那さんなんだと知れば、いつも聞いていた祖母の相槌「そうかぁ( ^ω^ )」が聞こえる気がしたのだ。勝手な気持ちなんだけれど。

祖母の火葬場は林の中にあって、施設周辺は町中に比べるといくらか涼しく、そしてカナカナ。

あの夏。とても暑い日差しが照りつける日。

入道雲と、夕方の空を怪しく照らす雷光。

そして、カナカナ。

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