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Yametter

そのままなんですけれども

Twitterをやめた

正確には辞めてなくてですね、
アカウントはたくさんあるんだけど、
一番フォロワーが多くて濃密だったアカウントを成仏させた。
めっちゃログインしてたし軽く依存してた。
常に誰かが長文でつぶやいてる、ちょっと異常なTLだった。
一生見ていられた。インプットとアウトプットの両方ができた。
そのアウトプットに反応がもらえた。
すごく影響を受けたし、その影響に負けたくなくて自分の内面とも戦った。
時には完全にノイズだった。
3年間、私の一人暮らしやマインドに大きな変化やきっかけを与えたアカウントが、今はもうないよ。変な感じだな。

いろんな出来事、思ったことなんかを赤裸々に綴る場所だった。
フォロワーさんも知らない人もみんな優しくて、質問したら教えてくれて
私の生活圏だけでは知れないことをたくさん教えてくれた。
私の常識では生まれない議論の波に呆れることもあった。
みんな優しくて、低俗で、賢くて、人間らしく意地汚い、嘘と欲望まみれで酸素の薄い沼底みたいな場所だった。沼底、めちゃくちゃ居心地よかった。

オフ会にも参加したし、友達もできた。
一番会いたかった子に会えたのも辞めた理由の一つだった。
ほぼいい思い出しかない。

一人暮らしを始めたのも、「みんな」みたいに自立したくてすごく頑張って始めた。実家暮らしってみっともないんだなってそこで知ったし(みっともないことはないんだけど、一般的に好印象ではない。でも結論、他人の印象なんかどうでもいい。)
いろんな人の話を聞いていると、自分の中の秘めたるコンプレックスが露になる。自分でも気付かなかった「いま、言えないこと」「言いにくいこと」が出てきて、あ~これ私の課題なんだなってわかる。それを片っ端から克服すれば最強になっていくのですごく便利だった。

やめた理由

あんまりないかも。
強いて言うなら私を自立させたアカウントからの自立かなと思う。
フォロワーみんなに甘やかされてたり、一日の時間をTwitterに使いすぎてた。潮時感があった。


やめてみたらなんだかめちゃめちゃ心が軽いな
辞めた翌日はパンツを履き忘れたみたいに、何かが足りない気持ちと清々しさがあった。
今はいろんな意欲が出てきたし、必要以上に誰かの気持ちや言葉を詰め込まなくなったから自分の容量に余裕ができてる。
たくさん餞の言葉をもらったし、私は幸せ者だな~

ハッピー

幸せ者

私は基本的に幸せだから、見える範囲の人間には幸せになってほしい
ていうか人間なんか放っておいても勝手に幸せになる恵まれた生き物だ。
幸せのビジョンを描けるから、勝手にそこに向かっていく。
だからみんなどうせ幸せになる。
よりよい状態で死んでいこうね。

Twitterでいろんな人の話を見ていたらこういう考え方になった。
好きに生きて好きな自分で死んでください。
私は好きに生きるのを許されたいから、みんなを許すよ!

山積する課題の上に座って一休みしてるみたいです。
まず一番に、風呂に入るという課題がすでに私を阻んでいる。
この課題は私が自らの意思で動ける限り、毎日やってくる。オーイ地獄かよ

風呂は宇宙よりも遠く、地獄よりも深い

怠け者

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