見出し画像

20200604 格差とか差別とか偏見とかに思うこと

良くないことだと思う.それだけ.これは教育の賜物であろう.

それが良くないから,なにか活動しよう,声をあげよう,デモをしようとは全く思わない.特になにかの流行りのような雰囲気を感じたならばなおさら.誰かを責めようとも思わない.身近な人がおかしなことをしていたらすこし話をし諌めるだろう.それくらい.これについて熱くはなれない.掲題にあげたようなことが悪であることがマジョリティの共通理解ならば,解決に向かうことが確定していると思う.規定路線であるならば,急激に世界を変えようとは思わない.結局は教育と世代交代によってのみ達成されると思うから.

喫煙率が世代を追うごとに下がっていることと同じように達成されるだろう.そこになんの感慨もない.人に悪影響を与えない限りにおいて,どのように考えるか,感じるかは自由なので.

自分ではしていないつもり.それで十分だと思う.悪だと認識して,身近な人にはさせない.これだけでよいと思う.

世界のどこかで誰か(e.g. 黒色人種,黄色人種,ヒスパニック,貧困層,女性,奴隷,子供,意識されすらしない人々...etc)が苦しんでいる,という具体的個人を伴わない言説には全くもって心が動かされない.納得できても,頭の中の[だからなんなのか?私の人生への影響は?]という声は消えない.

かなりドライな視点かもしれない.影響を与えることができることのみに神経を注いでいくべきだという意識がかなり刷り込まれているのだろう.

しかし,この無関心の裏返しなのか,自分の目や手の届く範囲については誰もが皆幸せでいてほしいとも思う.彼彼女らが健やかで,差別や偏見や格差によって不都合を受けずにいてほしい.

私は結局のところ,誰かがどう感じるか,また考えるか,という点は究極の自由であり,人に危害を加えない範囲において,自由に考えて良いと思う.それがたとえ格差や偏見や差別だとしても.それは構わない.もう一度繰り返すが,人に危害を加えない範囲において

しかし,ひとたびそれが公開されたり,行動に移したりしたときに,周囲の人から諌められたり,あるいは怒りの矛先,処罰の対象になったりすることも止めない.止められない.それは私がコントロールできることではない.

私は,あなたの考えを尊重する.しかし,なによりも自分の考えを尊重する.私は自分が正しいと感じたり考えていることについて語る.書く.それがあなたの感情,思考,行動に,良い(と私が考える)影響を与えればいいなと願い,働きかける.しかしそれでも,あなたがどうなる,どうあるのかはあなたの自由だ.

結果はどうあれ,幸せで健やかであってほしい.あなたは私の人生にすこしだけ関わった人であるから.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?