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大好きだったアイドルのこと

10代の頃、大好きな人達がいました。

それはお隣の国、韓国のアイドルたちで、かれらの存在は私の光でした。

東方神起と SUPER JUNIOR 。事務所が同じで年齢の近い彼らは仲が良く、コラボも多かったのでまとめて大好きでした。チャンミンとキュヒョンのブラックマンネ(末っ子)が特に好きでしたが、みんなのことが大好きだった。

誰にいじめられるでも友達がいないわけでもなかったのに、とにかく学校という場所に息苦しさを感じていた10代。家に帰れば大好きなオッパ(お兄さん)達が待っていてくれる。そのことに、どれほど救われたかわかりません。彼らを見ている間だけは、完璧に幸せでした。

きっかけは、東方神起のチャンミンに一目惚れしたこと。どの映像で心奪われたのか、今でも憶えています。そこから才能豊かでチャーミングな五人を知り、かっこいいパフォーマンスにも、メンバー同士わちゃわちゃする様子にも、魅了されました。大好きで大好きでした。

そこから少女時代、SUPER JUNIOR、SHINee、f(x)と、SMエンターテイメントのグループを知り、IUはじめ、他事務所のアイドルのことも好きになりました。それぞれにそれぞれの魅力があって、どのグループも選べません。ただ最終的にいちばん好きだったのは、たぶん SUPER JUNIOR。面白くって、かっこよくて、楽しいお兄さんたちに夢中になりました。

原点にして頂点の東方神起と、人生でいちばんはまった SUPER JUNIOR 。初めて入ったファンクラブはBigeastとELFでしたし、ライブにも行き、雑誌やグッズを買い集めました。初回限定盤CDを予約し、母と一緒に新大久保へ行き、思いを綴りファンの方と交流するためのブログを開設しました。とにかく楽しかった思い出。学校でどんな嫌なことがあっても、彼らを見ている間だけは、なにも怖れずにいられました。本当に、私の青春は東方神起や SUPER JUNIOR とともにあります。


東方神起が五人から二人になったときのことを思い出そうとすると、頭にもやがかかったように感じます。すごく混乱してかなしかったのは、もちろん憶えているのですが。真相を知りたくてネットを調べてみても、真偽の分からない情報の波に呑まれ、何も分からないまま。どうして三人は出て行ってしまったのか。二人は取り残されたのか。あの仲睦まじい姿は偽りだったのか。これからどうなってしまうのか。東方神起のみんなは今どんな気持ちなんだろう。大丈夫やろうか・・・それでも、事の真相を確かめる手段も、本人達の気持ちを知る術もありませんでした。これは、今でも変わりません。結局ファンはアイドルから遠い存在なのだと、痛感させられる経験でした。


KARAや少女時代が日本進出を果たし、K-POPブームが巻き起こったときのことも憶えています。それまでK-POPに興味のなかった同級生たちが、熱に浮かされたように韓国を好きになる。今ふり返れば、私自身、じわじわ熱を帯びていくK-POPブームの只中にいたのかもしれません。東方神起はすでに日本で人気があったし、身近にK-POP好きの友人もいました。ただ、当時の私が、突然の大ブームに戸惑いを覚えたこともたしかです。

あらためて考えると傲慢で独占欲のかたまりなのですが、なんだか大切にしていた宝物をみんなにベタベタ触られたような、そんな気持ちになりました。私にとってのK-POPが、逃避という側面、学校生活から遠い聖域のような存在だったからかもしれません。ひっそりと愛でていた宝物を強引に横取りされたような、理不尽なさみしさを感じました。

もちろん、前よりずっと身近に感じられること、テレビで片言ながら一生懸命日本語を話してくれる姿、日本の音楽番組でパフォーマンスを見られること、すごく嬉しかったです。でも、事情をよく知らない同級生に「東方神起?解散したんちゃうん?」と言われたり、ただ流行りに乗る人や韓国を毛嫌いする人が目立ったり、言いようもないフラストレーションを感じていました。

もしかしたら、それ以前の、東方神起の一件がこたえていたのかもしれません。ただ私の熱が冷め始めていただけなのかもしれません。当時の正確な心境はもう分からないのですが、とにかく、日本での大ブームをきっかけに、私は少しずつK-POPから遠ざかっていきました。


K-POPから離れ、とくに誰のファンでもなかった頃、私の救いは映画や本の世界にありました。それでも、みんなのことが嫌いになったわけではなく、ときどき思い出したようにYouTubeをチェックし、新曲が出ればMVを観ました。つかず離れずの温度感。穏やかな好きの気持ちは続きました。私はすべてを追うことはできないけれど、みんな元気に楽しく活動していてほしいな。そんなふうに思っていました。

だから、突然の訃報をきいたときはショックでした。個人としてもグループとしても、特別好きだったわけではありません。ただ、かっこよくて素敵なお兄さん達の一人、身近に感じていた一人が、命を絶ってしまったこと。呆然としました。

大好きだった人の反日行動が騒がれたのも、たぶん、この頃。ショックでした。アイドルとしてではなく、一人の人間として尊敬していた相手だったから尚更。MVの世界地図に日本列島がない、なんてこともありました。真相が知りたくて調べてみるものの、憶測が入り混じり、さまざまな感情が溢れ出す文章を見ていられなくなり、そっとネットを閉じました。

実は私たち日本のファンのことはずっと嫌いだったのでは?
あのときも、このときも、嫌いだったのでは?
日本という国は、ただお金を稼ぐために仕方なくやってくる国なのでは?
今回話題になっていない他のグループも、本当はみんな日本のことが嫌いなのでは ——— ?

考えても分からないこと。訊きたいけど訊けないこと。ぐるぐるぐるぐる、考えました。それでも信じ続けるファンがいたこと、周囲に盲目だと揶揄されようと信じ続けるファンがいたことは、私をどこかで圧倒しました。そんなふうにまっすぐ彼らを信じることができない自分に気づいて。そもそも離れていた期間が長く、私こそ彼らを支え続けることができなかったと、後ろめたさも感じました。

何より、傷つくのがとても怖かった。本当の気持ちを知るのが、怖かった。

大学のゼミのアシスタントさんに、韓国出身の院生の方がいました。ゼミ合宿でご一緒したとき、差別や偏見は、教育によるものが大きいとおっしゃっていました。韓国人として、きっと反日思想と身近に育ってきたであろう方の言葉には重みがありました。たとえ彼らが日本を嫌っていたとして、その責任は彼らだけにあるのではない・・・そう思うと、やり場のないかなしみをどこへ向ければいいのか分からなくなり、悶々としました。

せっかく、世界は音楽や文化で一つになれると思ったのに。そう教えてくれたのは、他ではないあなた達なのに。

私は、楽しかった思い出を、キラキラした思い出のまま、残しておきたかった。あれこれ調べるのはやめました。今でも真実は分からないまま。彼らは何を思うのか、私たち日本のファンのことをどう思っているのか。分からないまま。


ただ、私なりにたどり着いた答えがあります。それは、いつまでも、どこにても、みんなには幸せで健やかにいてほしいということです。かなしい訃報は、その後にもいくつか届き、そのことを思うたび、どうかどうか元気でいてほしいと、願わずにはいられないのです。みんな、おじいちゃんやおばあちゃんになってね。できれば幸せに、そうでなくても健康に、生きていてね。心からそう思います。

ファンは時間やお金をかけて応援してこそ、アイドルを支えることができる。その通りだと思います。それらをせず、ただ遠くから幸せを願うことは、身勝手なことだと思います。でもどうか、いつまでも幸せに。元気でいてほしい。それが、私の正直な思いです。


アイドルを、誰かのことを、本気で好きになることの怖さを知りました。

きっと、誰かを心から好きになるということは、自分の心の一部を明け渡すこと。とてもリスクがあるし、恐ろしいことに思えます。

アイドルってなんやろう。ファンってなんやろう。私にはもう何も分かりません。ただ、その存在が生活の中で大きな割合を占めること、何かが起こったとき感情の嵐に巻き込まれること、もうそんな思いは怖くてできないなと思います。誰かの本気のファンになる勇気は、もうありません。

でも、それと同じくらい、あの頃の私を救ってくれたことに対する感謝の気持ちがあります。ありがとう、ありがとう。ありがとうでは伝えきれないほどのものをくれた人達。どこにいても、何があっても、どうか幸せでいてほしいと願う人達。


私は、かれこれ六年くらい乃木坂46が好きなのですが(冠番組は欠かさず観るし、握手会に行ったこともあります)でも、あのとき、あの熱量でK-POPを愛したようには「ファン」ではないのかもしれません。もちろん大好きだけれど、歳の近いみんなの成長を見守るような、努力を煌めかせる姿に勇気をもらえるような、そんな、静かで安定した好きの気持ちです。やっぱり、誰かを強烈に好きになることはもうないのかもしれません。


・・・なんて思っていたら、この冬、SUPER JUNIOR がまた好きになってしまったのです。正確には、あの頃よりずっと穏やかな気持ち、グッズをあれもこれも欲しいというような熱量ではないのですが。それは、私が大人になったからなのかも、誰かを熱烈に好きになる怖さを知ったからなのかもしれません。

ただ、全員が兵役を終え、大御所と呼ばれる存在になり、それでも変わらずわちゃわちゃ楽しそうなお兄さん達がいとおしい。人数は減ってしまい、もう40に近いメンバーも少なくないけれど、私にとってはあの頃のままの SUPER JUNIOR。

大きな声では言えないのですが、一時期、もう韓国のアイドルを好きになるのはやめようと思っていたこともあります。多かれ少なかれ、日本に対して思うところがあるはずだからと。私の知る時代より後の、新しいK-POPグループのパフォーマンスに魅了されることがあっても、好きになったらだめだと、どこかでストッパーをかけていました。だから、こうしてまた SUPER JUNIOR が好きだと思えるようになったこと、嬉しいんです。すごくすごく。

ああ、元気で変わらず活動していてくれて、ありがとう。そんなふうに思います。そして、またこうして戻ってこられたことが、本当に嬉しい。戻ってくる場所を守ってくれた、メンバーや世界中のELFに感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは、微力ながら、私も SUPER JUNIOR という場所を守るために貢献したいです。正規アルバムが作られたら、ぜひ買いたいなあと思っています。

当時キュヒョンペンでしたが、今はウニョクに夢中です(キュヒョンも、他のみんなのことも大好きですが)そういう変化も、面白いなあと感じています。ハンギョンとヒチョルの再会を見られたり、歳を重ねること、時の流れの良い面も感じました。胸がいっぱいでした。

スジュに限らず、子どもの頃好きだったものに立ち返る、そんなことが多いこの頃です。

そして、東方神起。やっぱりこの響きは、いつまでも特別です。あの頃の私を救ってくれて、ありがとう。かつて東方神起だった三人も。どうか、いつまでも元気で幸せに、おじいちゃんになってください。心からそう願っています。身勝手かもしれませんが、涙が出そうなほど、本当の気持ちです。


アイドルとファンって、何なのでしょうか。私にはわからないけれど、あの時間の煌めきは、一生の思い出です。聴くだけで懐かしさが溢れ出す曲があること、映像があること、やっぱりとても有り難いです。

ずっと一途に誰かを愛し信じ続けるファンの方はすごいなあ。私にはできませんでした。それでも、これからも、彼ら彼女らの作る幻想と真実の入り混じった世界を、その欠片と一瞬の積み重ねを、私なりに愛し応援していきたいです。


なんだか取り留めのない文章になりましたが、気持ちの整理のため、書いてみました。どうか大好きだったあの人達が、いつまでも幸せで健やかにあれますように。


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