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「作家は経験したことしか書けない」について


SNSとかでたま〜に、しかし定期的にハッシュタグになる話題が、タイトルの「作家は経験したことしか書けない」ですが。
あぁいう場でこのトピックについて語ると、変な批判が飛んできて喧嘩になりそうで怖いので、スタンドアローンのnoteで勝手に語ります。
知らない人に反論するのも、反論されるのも怖いからな。

さて、「作家は〜」論についての僕の結論ですが、
僕は「そりゃそうだろ」と思ってる派です。
逃げるな、最後まで読んでくれよ。悪い話じゃないから。

「そりゃそうだろ」と思うのは、あくまで非常に高い創作のレベルでの話です。
超〜個人的な体験を、たっぷり濃密に落とし込んだ創作というのは、同じような体験がある人間の心をアホみたいに掴みます。握り潰す勢いで。
そして、同じような体験が無い、その骨子を理解できない人に対しても、「よく分からないけどなんかヤバい」と、何かしらの強い存在を感じさせる事ができます(と思います)。
(個人的な話ですが、僕はそういう「世界中で自分以外のたった1人の誰かに伝わればそれでいいというスタンス」で描かれたような、ねじくれ曲がった偏屈で必死な作品が大好物です。)

ただ、商業的な目で見ると、それではいけないわけです。
つまんねー話で申し訳ありませんが、「より多くの人の心に引っかかるような」ものでなきゃダメ。最小公約数はより小さく、を目指して作る必要がありますね。
(数学のテスト18点だったくせに公約数とかほざいてんじゃねぇぞ雑魚が ざーこ♡)
(最大公約数の間違いかもしれない。要は「フックはより沢山作れ」ということを言いたかったのです。ざーこ♡)

でも創作に携わる人間ていうのは自分に嘘をつけない人が多くて、「経験したことじゃないと身をもって描けないし、愛せないし責任を取れない」と思っているわけです(僕がそう)。

だったらどうするか、

「個人的な経験の濃さ」を、「大衆の口にも合う」ように希釈すればいいのです。
カルピスみたいに。
もしくは、経験をバラバラに分解して要素ごとにそれぞれを膨らませて、「経験」から「非経験」を作ればいいんですよ。日常の延長線上のファンタジーみたいに。
(余談ですが、↑の経験をバラバラにする手法がよく使われてるのが「群像劇」なんじゃないかと思っています。自分の人生を時期ごとに分けて、そこからキャラを作るみたいな。)

希釈するやり方は色々あります。そのまんま万人受けする方向に作り変えられるサービス精神旺盛な人もいれば、「そんなんじゃ意味ねぇんだよ!!」というアート寄りのクソかっこいい人(俺もお前みたいになりたかったよ…)もいるでしょう。
そういう人は作品の「間口を広く」してください。
ドラえもんのガリバートンネルみたいに、入り口を広くして出口を狭くして、前半はみんなにウケるような事を沢山やって、後半で本音をぶちまければいいのです。
キャラクターの作り方でいうと、「ペルソナ」を持たせるのもいいかもしれません。

何が言いたかったのか分からなくなってきたので、この辺でやめにしておきます。
つまりは、
「作家は(超高いレベルで言ってしまえば)経験した事しか書けないけど、経験した事を土台にして経験してない事を描くこともできる。」
って事を言いたかったわけです。
経験ツメツメ本音タップリの作品が必ずしも面白い作品になるかは分かりませんが、「いい作品」であることは間違いないと、僕は思います。

あと、この話題がたびたびSNSで議論されるのは、まぁ悪くはない事だなとは思います。
だって創作のし方、あり方なんて人それぞれの方が良いに決まってるし、その多様性が保たれているから各々の意見が飛び出して定期的に議論されているってことでしょうからね。
この話題に「答え」はあっても「正解」は無いと思います。

おわり

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