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累計100万部超のIT著述家がコロナ重症患者としてICUへ、生還して今思うこと


編集部です。先日、オンラインで取材させていただいたのは、かつてインターネットを日本に持ってきた人、として一躍有名になられ、プログラミング言語であるC言語の本のシリーズなどで累計100万部を超える著作を書かれた三田 典玄(みた のりひろ)先生です。昨年11月に全くの無症状のままコロナ陽性の診断を受け、無症状のままICUに搬送・・・自覚症状のないままいっきに重症化。その時の体験を熱く静かに語ってくださいました。

(以下ご自身が書かれた記事を編集再掲。TOP写真:矢野靖子)

■警戒する必要があることは言うまでもないーーー

2021年6月28日現在、コロナは、変異種が広まる可能性がある、と報道されている。これからしばらくは、やはり警戒する必要があることは言うまでもない。
自分は昨年末にPCR検査陽性で最初「軽症~」の病棟に入った。そこで、レムデシベル、アビガンの投与があったが、入院4日目にして重症化。24時間、指に付けていた、ネットワークに接続されたパルスオキシメーターで肺機能の極端な低下が始まったことがわかり、急遽、ICU(集中治療室)に運ばれた。自覚症状は全く無く、ICUに入る直前で言われた。「ここに来た理由がわかってますか?」。それくらい、顔色も良かった。


ICUにはほぼ2週間いた。もちろん、その間の記憶も時間の流れも自分では定かではない。今から思い出せば、幻視が見えた。幻視や幻聴による妄言もあった。周囲の人たちには、次々と布が被せられていった。亡くなったのがそれでわかった。看護師さんから「誰かに言うことはありませんか?」と聞かれた。そのときは全く頭が働かなかったが、後で考えてみたら「あれは遺言を聞かれたのだ」とわかった。


コロナは「世界大戦の戦場の最前線」である。幸いにしてそこから生きて戻れた。
事実はそれだけだ。
退院して戦場の最前線から戻ったものの、戻った現世も未だに「第三次世界大戦」の終わりが見えていない「地獄」である、と、思った。退院してから時間も経って、身体的なものは以前に戻りつつあり、とりあえず普通の生活に支障はなくなった。しかし、心理的にはPTSDが残っている。極度の「感染に対する恐怖」がまだある。

周囲を見渡せば「自粛はもう飽きた。どこかに遊びに行きたい」という話ばかりだが、その輪には入れないし、当然「あそこに行きました」「美味しいものを食べました」という話は、嫌悪というのではないが、その「お気楽さ」が、全く自分とは違う世界を見ているかのように感じる。羨ましいとは思わないが、自分だけではなく、自分の家族や、職場の同僚などの感染の危険を冒してまですることでもなかろう、と言う思いはどうしてもある。この世は自分だけで生きているわけではない。
いま、自分の脳内に残っているのは、その戦場で命をなくした方々の記憶と、ICUで自分が見聞きしたこと、その後に、ここにある自分の存在だ。軽症で済んだ方も多いだろうが、そういう人でも「もしも重症になって死を迎えたら」ということを常に考えて暮らしている人も多いだろう。


世の中の多くの人は、自分のことしか考えていない。だから「お気楽なSNSへの投稿」は絶えないだろうし、私はそういう投稿をする人の、この状況に対する「他人への配慮の無さ」に、人間として危ういものを感じ、心の奥底から湧き上がる生理的な嫌悪感を感じている。おそらく、それは太平洋戦争の記憶がまだ新しい頃の日本にあった、戦死した人への「生き残ってしまって、ここにいる人」の懺悔のようなものだろうし、それが多くの人の記憶から忘れられた頃に、ぼくは子供時代を過ごし、ここまで生きてきたのだから、「それ」を忘れる人や、気にしない、という人が多くいるであろうということは想像がつく。
コロナも同じだ。「感染症」による「第三次世界大戦」は、まだ終わっていない。緊張感を継続しなければ、失わなくても済む、多くの命が失われていくのではないか。コロナ重症化を体験して数か月経った今も、そう、思っている。

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三田典玄(みた のりひろ)プロフィール

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80年代後半に「入門C言語」「実習C言語」「応用C言語」を著し以後10年IT書籍のベストセラーとなり累計100万部以上を売る。 東京大学先端科学技術センター協力研究員、独)産業技術研究所特別研究員を経てIT分野のさまざまなプロジェクトに携わる。韓国の慶南大学のIT学科元教授。64歳。


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