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「鎌倉殿の13人」ゆかりの地・蜂神社に行ってみた

「鎌倉殿の13人」21回、…すごかった…。てか、八重さんがー(ノД`)・゜・。
感想文は、後日アップします。

今回は、珍しく感想文でない投稿。
「鎌倉殿~」で、超高速ではありましたが奥州合戦が出てきました。
序盤で頼朝軍の大軍が陣をおき、泰衡の首が届けられた場所・蜂神社に、土曜日半日勤務終わりに、ひとりドライブで行ってきました!

第20回感想投稿の「盛岡近郊のゆかりの地」は、ここだったのです。

盛岡からだと、国道4号線を南下して、紫波町・古舘のJAがあるところ(「平泉文化遺産の関連遺跡」の小さい看板標がある)を右折し、住宅街→リンゴ畑→田んぼの中を西に走っていくと、いきなり現れる神社の森と赤い鳥居のあるところが、この神社です。
(私の住んでいるところからだと、車で20分くらい)

蜂神社周辺は、陣ヶ岡公園となっています。

雰囲気としては「田んぼが広がる中に突然現れる、なだらかで広い丘にある、地域の村ヤシロ」と言えば伝わるでしょうか。
(紫波町陣ヶ岡が奥州合戦ゆかりの地であることは知っていましたが、マップで「紫波町陣ヶ岡」を検索すると古舘の住宅地近郊が出て(正しい住所は「紫波町宮手字陣ヶ岡」)、「こんなところにゆかりの地があるはずない!」と、紫波の東・北上山地の山の中ばかりをマップで探していたことを、ここに告白します…)

藤原秀衡公のゆかりの地でもあるそうで…

道路沿いの小さな駐車場に車を止め、鳥居をくぐってなだらかな丘に作られた参道を歩いていくと、本堂が。

本堂に掲示されていた、案内図。(不自然に白い部分は、広告部分(プライバシー的にまずいと思い、画像アップ時に塗りつぶしました))
陣ヶ岡歴史公園・武将略縁記。

神社の武将略縁記…前九年の役とかは知っていましたが、まさかヤマトタケルノミコトレベルの縁記もあるとは知りませんでした。
(近くに、所縁の古墳があります)

奥州合戦の具体的な記述看板。(ドラマでは省略されていた部分が、ここに詳しく書いてあります)

奥州合戦の時、頼朝軍がここに284,000騎(吾妻鏡の盛りすぎ属性を差し引いたとしても、相当な数)集まっていたとは( ゚Д゚)田んぼの真ん中に現れる、見晴らしのよいだだっ広い丘とはいえ、よく集まれたな…
そして、私は熱心?な武衛(「鎌倉殿~」クラスタ)なので、総大将・源頼朝は大泉洋さん、その側にいたであろう畠山重忠は中川大志くん、別ルートからやって来た二番手大将・比企能員は佐藤二朗さんで脳内再生が余裕でした(*´ω`*)

本堂の側には、小さな祠があり、そこには若杉と標識が。

若杉と御神木由来記。
標識。

前九年の役で、源頼義・義家父子がお手植したと伝わる杉(御神木)が、約30年ちょい前に倒壊の危険があるという理由で伐採され、祠は杉の切り株の覆い堂でした。

いろいろな戦乱の所縁の地である標識が並ぶ中…
頼朝のだけ、やたら標識の高さが低い(´・_・`)

参道もですが、あちこちに紫陽花が植えられていたので、今度は紫陽花の季節に来てみたいなぁ。

私が行った時は、誰もいなくて、静かに往時を偲ぶことが出来る場所でした。
源平合戦時代の奥州といえば、平泉が有名ですが(良い場所ですし)、さらに北にも、ゆかりの地があるのですよ。

※行きたい皆様(いるのかな)へ注意※
・東北本線の駅(位置的には古舘駅と紫波中央駅の間くらい)からは遠いし、道沿いの駐車場は数台くらいしかないので、気を付けましょう。
・基本的に「地域の村ヤシロ」なので、宮司さんとかはいない神社です(もう少し西に行くと、志和稲荷があります)。どこの神社にお詣りする時もですが、マナー等には気をつけましょう。

蜂神社。

「鎌倉殿~」では、りくさんから「活躍してない人」扱いされた畠山重忠ですが、奥州合戦で武功や伝説(義経北行伝説にも名前がある)を挙げて、頼朝と一緒にここにいたんですよ、きっと!

蜂神社から、南東の高水寺城跡(城山公園)方面を。頼朝も畠山重忠も比企能員も、この景色を見ていたのかもしれないなぁ。

平泉にもまた行きたいなぁ。「鎌倉殿~」を見た今だと、私の見え方が変わっているだろうし。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
感想文以外の投稿もちょくちょくしていけたらなぁ…。

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