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【辛いときや苦しいときはどうすればいいのか】


辛いことや苦しいことは、生きていればどうしてもぶつかってしまう問題です。

ではどのように対処していけばいいのでしょうか。


私は辛いことは辛い、苦しいことは苦しいということを認め、

その上で物事の捉え方を変えていくというのが今のところの私なりの対処法です。


私たちは人生のステージごとにそれ相応の課題を課されます。

あるひとはそれを試練と呼び、

あるひとはそれを運命や宿命と呼ぶのです。



辛いことや苦しいことに向き合うとき、人は孤独です。

正しくは生まれた時から常に孤独なのですが、特に自分自身の問題と向き合う時は余計に孤独を感じるものです。


一般的には孤独は良くないものと言われますが、私は孤独を受け入れて初めて他者と健全な関係を築けるものだと思っています。

なぜなら、『人は生まれながらにして孤独である』ということを認められなければ、常に隣に誰か他の人を手元に置いておく必要があるからです。


そうなってしまうと、苦しみの根源と向き合うよりも先に「孤独にならないための」暇つぶしをし始めてしまうのが私たち人間という生き物です。



そもそも苦しみの根源となるものは何なのか。

私はその多くが『恐怖』との闘いだと思います。


これからの未来がどうなるのか。


どう生きていくのか。


今あるもの、

地位

名誉

財産

成功

人間関係

全てなくなってしまうかもしれない。


それを想像すると、まだ来てもいない未来に怯えてしまう。


その苦しみのあまり逃げ出したくなったり、時に自らの手でその一生を終えようとしてしまう人もいるのです。



私は「死にたい」と思うような苦しみ、そこまでではなくても全ての苦しみを解決するにあたって、全てをリセットしようと安易に『死』を選ぶほどあなたの人生は安っぽくないと思うのです。あくまでも一個人の考え方なのですが。
そのような安っぽい救いで、あなたの苦しみがなくなり、解消されるほど簡単な問題ではないはずです。

死ぬことではなかったとしても、『消えたい、いなくなりたい、なかったことにしたい、逃げたい』という願望も自殺願望と大して変わりません。


よく「自分の問題から逃げるな」とお説教を食らうことがあります。

しかしそれは私たちが『安全地帯』にいることができる保証があって初めてできることです。

肉体的・精神的の生存保証、その両方が確保された状態でないと、私たちは内にある問題と向き合うことは不可能です。

この部分が満たされてから初めて自分と向き合うことができます。


ですからもし『苦しいこと』に対する対処法を考える上での順序は

①肉体的・精神的な基本的生存の保証の確保
②その問題から一旦離れるか、向き合うかの判断
③向き合う場合、ひとりで行うのか・誰かに助けを求めるのか
となります。

そこで改めて苦しみとどう向き合うのか、という問いに戻るのです。



私は『なぜ今の私はこの出来事が辛い・苦しいと感じるのか』ということを自分に問いかけます。

今の自分がどのような色眼鏡で世界を見ているのかをひとつひとつ確認するのです。

この作業で湧き上がった感情を手がかりに本音の部分を根気よく探していくのです。

そうすると、「事実」と「感情」に物事を分けて考えることができることに気が付きます。

私たちが苦しいを感じることの多くがこの「感情」の捉え方に大きく左右されます。


例えば、パートナーからの連絡が遅い・来ない。私のことが好きでないのではないか。という問題があるとします。

事実は「パートナーからの連絡が来ないこと」です。

次に感情は「連絡が来なくて悲しい」です。


なぜ悲しいと感じるのか。

もしかすると「周りのパートナーはきちんと返している」からかもしれない。

「私に対して興味がないのかもしれない」と想像しているからかもしれない。

「好きな人に愛されない私は価値がない」

「こんな私を愛してくれるのは相手だけなのに、構ってくれない」と考えてしまっているのかもしれない。

「以前のパートナーに似たようなことをされ、それがトラウマになっている」と過去の事象に現在の問題を照らし合わせているのかもしれない。

いずれにしてもこれらはあなたの中にある思い込みがほとんどです。

なぜなら、相手がこのようなことをあなたに(仮にそう思っていたとしてもまだ)直接伝えていたり、行動に起こしたりしていないからです。単なる想像の領域です。

悲しい・辛い・苦しい・怒りなどのネガティブな感情の多くはその裏に二次感情が隠れていたり、自分の中の思い込みから引き起こされることがほとんどです。

それらがあなたがかけている色眼鏡の歪みの正体です。その歪みがその物事を捉え、あなたに恐怖を与えているに過ぎないのです。

色眼鏡の歪みを心理学の表現で『認知の歪み』と呼びます。


色眼鏡で世界を捉えることは決して悪いことではありません。なぜならその「色」があなた自身の個性になるからです。

問題は生きていくのに支障をきたしてしまうような「歪み」=「世界の捉え方」です。

物事の捉え方を変えるということは、あなたが生きていく上で起こり得る困難を少しでも乗り越えやすくなる手助けをしてくれます。

あるひとつの困難が、Aさんにとっては耐え難い苦しみであっても、Bさんにとってはそうでもないということが起こるのは、この認知の違いによって起こるのです。


ある意味ステータス、周りの評価、エゴなど…全てのしがらみを手放した人に恐怖は存在せず、「私が私である」存在を認められた人が悟りの道に進むのだと私は思います。

もちろん私たちは一般人なので、素晴らしい人たちのような生き方をすることは難しいかもしれません。ですが歪みを少しでも良い方向に調整できるようになれば、今よりももっと生きやすくなるはずです。



まだ来てもいない未来に怯えているのなら、それはあなた自身が自分にかけた呪いです。

起こった出来事に対し、苦しくて逃げても恐怖やもやもやが残るのは、実は違った視点で物事を捉えることができるサインかもしれません。


あなたのお役に少しでも立てれば幸いです。

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