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祖父の遺影



 田舎の祖母の家には、仏壇の部屋がある。一歩入ると沈香がふわりと鼻をかすめ、橙と緑を基調とした色は穏やかで、私の全身は副交感神経へと切り替わる。しかしそれも束の間のこと。正面にある二枚ガラスの窓の、その上を見ると、私の心臓はいつもドキリと跳ねる。祖父の遺影が飾ってあるのだ。


 私は恐る恐る彼の顔を臨んだ。あまりの眼力に直ぐに目を逸らすが、一度目が合うと意識を鷲掴みされもう逃れられない。この部屋の中にいる限り、どこへ座ろうと、背中を向けようと感じるのだ。祖父の存在の大きさを。

 私は物心ついた頃から、祖父が怖くて仕方がなかった。しかし、私は彼に会ったことがない。祖父は私が生まれる七年も前に亡くなっている。「教師だから厳しかった」「怖い人だった」「殴られた」親戚が集まる度に聞かされる話のせいだ。それでも、皆の声に憎悪はなく、ただ感謝と畏敬の念が伝わってくるのである。

 祖父の顔をじっくりと時間をかけて見ることができるようになったのは最近になってからだ。TikTokが流行り出して、様々な写真加工アプリが開発され、静止画をアニメーションさせる技術を気軽に使えるようになった。故人の写真を動かす。そんな動画か多く回って来たのだ。私はそのアプリに祖父の白黒写真を読み込んだ。

 きっちりと固めた七三分けに、首が見えなくなる程にきつく締めあげたネクタイ。風貌は正に厳粛で誇りに満ち溢れた高校教諭である。拡大して見ると、ネクタイのストライプが鎖の柄だった。そこまで自分を締めあげなくてもと、私は少し笑ってしまう。

 輪郭は丸くてエラは張っておらず、下がり眉、若い頃は釣り目だっただろうが年齢のためか二重の瞼は重そうに乗っており垂れ目の印象。昭和のブロー型眼鏡が目立って気がつかなかった。もしかしたら、顔だけを見ると優しい人と思われるかもしれない。頬の平たさや、低くはないがどちらかと言うと丸い鼻、極端に薄い唇はきゅっと閉じられ、母と私にそっくりだった。


 アプリでアニメーションを再生すると、彼の目の中に光が灯った。左右をきょろきょろ見た後で、私の方を見て、ぱちぱちと二回瞬きをする。祖父が動いている。


 私はその動画を祖母と母に見せた。「凄いなぁ」と二人は感激。しかし、液晶の中の祖父が口角を上げて笑うと「これは違う」と首を傾げた。やはり怖い印象が強かったのだろう。母は、少し考えてから「でも……、もし生きてて孫の顔を見たらこんな風に笑ったのかもね」と、ぽつり呟いた。

 子どもに厳しかった祖父だが、孫に対しては優しかったかもしれない。親が少しずつ親となっていくように、祖父母も少しずつ祖父母となり、人は常に変わっていくのだろう。会ったことがなくても私の祖父は祖父だが、どのような祖父になったのか、実際の、その姿を知ることはもうできない。

 私は再度、彼の目を見つめた。昔の印象よりも、もっとずっと、祖父の姿は若かった。私も月日を重ねて、彼の年齢へと近づいていっている。

 私はもう、彼の顔に恐怖は感じない。



ご清覧賜りまして誠にありがとうございます。
是酔芙蓉ぜすいふよう


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