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’23 京都芸術大学通信 文系コースに入学。 ここでは大学に提出したレポートや制作した課題をまとめております。
タイの離島は、優希が想像していたよりも晴天で、想像していたよりも湿度が高かった。夏の時期に来るリゾートは日本の延長線上にあるようで、言葉が異なる子どもらがはしゃぐ声にも、どこか田舎のような懐かしさを感じる。 しかし、目の前にはホワイトとグリーンの混ざり合った遠浅の海、振り向くと背の高い椰子の木々が長く広く続く海岸沿い、行きかう人々の露出の高さと肌の色、目に映る全てが楽園にいるのだと主張していた。 優希は黒のラッシュガードを羽織って、紺色のタンキニ水着。祥子は上が
オリオンがポセイドンの息子であれば、月に恋い焦がれ、吸い寄せられ、潮が満ちることも理解できる。 祥子の柔らかな太ももには、白く解けた波のような肉割れ線が数本走っている。優希は、その微細な凹凸を指の腹で、あるいは舌を使ってじっとりとなぞるのが好きだ。白波の先端、膝の上の内側には、赤くざらついた、丸い形の古いケロイドが三つ浮かんでいる。 優希と祥子はこれをオリオンのベルトと呼ぶことにした。 祥子の強さを試すためのもの。しかし、オリオンのベルトこそが本当は強い人間では
田舎の祖母の家には、仏壇の部屋がある。一歩入ると沈香がふわりと鼻をかすめ、橙と緑を基調とした色は穏やかで、私の全身は副交感神経へと切り替わる。しかしそれも束の間のこと。正面にある二枚ガラスの窓の、その上を見ると、私の心臓はいつもドキリと跳ねる。祖父の遺影が飾ってあるのだ。 私は恐る恐る彼の顔を臨んだ。あまりの眼力に直ぐに目を逸らすが、一度目が合うと意識を鷲掴みされもう逃れられない。この部屋の中にいる限り、どこへ座ろうと、背中を向けようと感じるのだ。祖父の存在の大きさを
4年前の記憶をここに残します。 代り映えしない良くある日本の田園風景。広大な平地の向こう側には、青い山々が連なり、その間には高速道路の高架橋がちらりと覗く。昼過ぎまで雨が降っていたため、空はまだ灰色の雲に覆われていた。 三十歳を目前にして仕事にやり甲斐もなく、人生を変えたいと、カナダのワーキングホリデービザを取った。航空券に、住居、語学学校の予約も全部完了。仕事の引継ぎも無事に終わり退職し、東京の賃貸を引き払って実家に帰って来た。後は飛び立つだけ。未来は無限に広がって
人間の成長は坂道のようにイメージされるが、実際は階段だ。それも、一段の長さと高さがバラバラで、手すりが合ったりなかったり気まぐれな階段である。 長い期間努力してもなかなか次のステップに行けず苦しむ時もあれば、友人と楽しみながら過ごして、知らぬ間に成長している時もある。そして、次のステップに進めば今までの苦労は忘れてしまったりもする。 例えば、靴紐の結び方。 初めて靴紐の蝶々結びが出来た瞬間を覚えているだろうか。 4、5歳の頃に、指がうまく動かず何度も失敗し、
隼斗は小2の頃に越して来た。普段は落ち着いているのに、人に合わせて盛り上がったりも出来る器用な奴だった。学校で、俺がずっと隼斗を目で追っていたので、社交的な澄美が隼斗に話し掛け始めた。そうして自然と、いつも3人で過ごすようになっていった。俺は父親の事もあって、絵が好きな事を隠していた。それを最初に見抜いたのが隼斗だ。美大を受験したいと父親に頭を下げた時も、家まで一緒に来てくれた。受験の準備を本格的に開始したあの日、俺は隼斗の部屋に寄った。 「もっと練習がいるんだろ? モデ
おっちゃんの車で家の前に着いた時、どっと男どもの笑い声が外まで漏れてきた。親父達が組合のメンバーで集まって酒盛りしているのだ。子ども達のはしゃぐ声も聞こえる。クリスマスはとっくに過ぎて、新年を祝うには早すぎる時期。 「こっちも変わらねぇよな」 何でもない日でもどんちゃん騒ぎは親父達の日常だ。あまりの騒音で、俺が玄関のドアを開けても誰も気付かない。こんな田舎の人間は、都会では生きれないだろうなとつくづく思う。親父達がまた変な企てをしていませんようにと俺は祈った。隼斗と澄美
自転車で6分ほど登った山の麓に、小さな寺がある。古風な様式だが観光地ではない。そもそもこんな辺鄙で何もない田舎に観光客は来ない。しかし、この村では唯一の寺だ。檀家には困らないのだろう。本堂は定期的に改修されており、屋根瓦も漆喰も綺麗だ。最近は木戸をやり替えたらしい。真新しかった。 戸に貼り紙がしてある。 (ただいま留守にしております。ご自由にお参り下さい。御用の方は寺務所まで→) 寺務所何て書いてるがそんな大層なものではない。ただの住職家族が住んでる家だ。貼り紙は留守
「哲学の道って近くに谷崎潤一郎のお墓があるし妖怪出そう」 私のこんな軽口に、友人は笑ってくれた。後から考えると、妖怪と言えば柳田國男じゃないか? 十月も終盤の土曜日昼過ぎ。私と大学の友人は、授業の一環で京都の疏水を散策していた。蹴上駅を出発し水路閣を経て、哲学の道に着いた。 哲学の道は桜、蛍、紅葉に雪景色で有名だ。しかし、いったいなぜ哲学なのか、私はよく知らなかった。ネットで検索すると、京都大学教授で哲学者の西田幾多郎が毎朝この道を歩いて様々な思考を巡らせたらしい。
「あぁ、久しぶり」 自分はふっと気が抜けて、ついその声の方を見てしまった。そこにはかなり年下の女性がくっきりと立っていた。白いTシャツに青のジーンズを履いて、黒く真っ直ぐの髪をひとつに緩く括って垂らしていた。彼女は、自分が今まで見たことのない無垢で優しい表情で、自分に微笑みかけていた。 「本当に、久しぶり。ずっと会えたら良いなぁって待っていたの」 彼女はもう一度、自分に話しかけた。自分はその声にとても惹かれた。もう、他のそれらは見えなくなっていた。 「初めてだと思う
黒と茶色。二匹のダックスフントが行ったり来たり。飼い主が投げたテニスボールを追い掛けて順番に咥えては飼い主の元へと持って行く。息を荒げて涎まみれの口角をめいっぱい上げ、もっと投げてと体いっぱい。全身で喜びを表して催促していた。 ぽーん。 飼い主の手からテニスボールがまた、フェンスを越えないよう控え目に投げられる。黒と茶色は走り出した。檻の外の自分より、檻の内の黒と茶色の方が、自由で生命を謳歌していると思った。 豊洲。海辺のショッピングモール。時刻は夜。だけれど空
あれは確か小学校4年生頃のことだ。 私はとある男の子 村上くんを見ると何故か無性に「ぴよぴよピヨピヨ」と言いたくなる衝動を抱えた。 村上くんはクラスで後ろから3番目くらいに背が高く色白の痩せ型で、性格は優しすぎるくらいに温厚だった。暴れ回ったり喧嘩したり、なんてことは一度もない。どちらかと言えば静かで内向的なグループに所属し、学校の成績は下の方で、自分の成績も中の下の癖に、私はどこか彼を軽く捉えていたのだろう。冗談も通じないほどの真面目な村上くんの動揺する姿を見たく
私は、約二年前から兵庫県の田舎で祖母と二人で暮らしています。 同居を始めた当初、音楽教師で礼儀を重んじお節介焼きな祖母と、東京帰りで干渉を嫌い自由と効率を優先する私は、度々衝突しました。助け合おうと努力すればするほどその行動は裏目に出てお互いを不快にしていくのです。家族会議を経て、遂に私たちはできる限りの接触を避けて生活することとなりました。 私は祖母の生活を音で把握します。変化の無い規則正しい生活音と、ほんの少し変化のある季節の音。 私は八時少し前に目覚めて、
仕事終わり。混雑した新宿から総武線に乗り込み、運よく座ることができた。今日は心底疲れている。私は鞄を抱き締めて目を瞑った。これから約四十分。喧騒から静寂へと向かっていく。静寂。そうだ。孤独を愛する私は、誰も選ばず、誰からも選ばれずに静寂へと向かっていく。 広い賃貸住宅。散らかり放題の自室と空っぽの隣室。長い間使用されていないキッチン。冷蔵庫の片隅には期限の迫った生姜焼きのタレ。 あの日、未希が作ってくれたあの生姜焼きが、親友と呼べる存在との別れだった気がする。孤独と
私は音を立てないようにガラス戸を開けて、縁に座り外へと脚を伸ばした。 田舎の夜は静かだ。住宅街は雨戸を締め切って微光も漏らさず、ベランダのブロンズ格子から覗く時差式信号機の明滅だけが騒がしい。 時折通る車は、その誰もいない信号にことごとく捕まって、アイドリングストップさせられる。彼らの律儀なライトは夕方の雨で濡れた格子を蔦って、私の目線で流星を降らせた。 交差点の角には消防団が整備する花壇があり、この街を象徴するような、上品で控えめな鯉のぼりが闇を泳いている。 頭
是酔芙蓉は近付けば逃げて行き、離れると寄って来る。掴みどころの無い天邪鬼だ。親しいからといって味方には成らず、不仲だからといって敵でも無い。中性で中立。いつも一歩下がったところから人間を観察することが好きなのだ。 あまりに干渉しない為、家族からは気が利かない人と呆れられている。しかし、気が付いていない訳では無い。勘が冴え、細かいところまでよく見ているのだ。 一度、役割を与えられると、何事も器用にこなす。是酔芙蓉がその長所を生かし、アシスタントとしてオールラウンダーに働