力の植物

 ずっと書きたかったけれど避けていた話です。
脳味噌の話」に続く第2弾ということで読んでください。

 何が麻薬かを決めるのは文化なので、その文化の価値判断で良し悪しが決まるんだけれども、ヘロインとアルコールが最悪の麻薬だというのは断言できると思う。
 ただ、アルコールは大抵の社会で一般販売されているので、それがどれだけ碌でもないものかという認識を持っている人は少ないだろうとも思う。
 アルコールにはメリットというか、長所が全く無いのだ。精神を拡張する力はほとんど無いくせに毒性が強すぎる。私はそう考えている。
 簡単に入手できるだけにアルコールは一番危険だと思う。

 ヘロインは問題外。猿の実験などを見るとヘロインどころか、もっと濃度の薄いモルヒネですら全く近寄りたくない。
 だから兵士にモルヒネが配られるというのはどうかしてると思う。痛いのは我慢しろという方がまだ兵士を尊重している気がする。もっとも兵士を使い捨ての便所紙程度にしか思っていないからモルヒネなんかを配るんだろう。
 つまりは「兵士が死んでも戦術的な結果が得られれば良い」というふざけた前提がそこには含まれている。まあ政府というものは常に馬鹿だし、戦争なんてノリと勢いで起こると相場が決まっているのでそうなるのかも知れないが、モルヒネの中毒症状の悲惨さをきちんと理解していれば、戦後の兵士達の人生への影響を考えれば、あんなものは配れないと思う。
 けれど政府を動かしてるような凡俗ほど自分を上級国民と思いたがるから、平気でモルヒネなんかを他人に配れるんだろう。ウンコに触っても平気な奴というのは、やはりいるものだ。
 そういえば癌の痛み止めとしてはモルヒネがあんまり効かないという話と、何故効かないのかの構造を京都大の研究チームが解明したというニュースを以前見た。素晴らしい研究だと思う。癌の苦痛から解放される見込みが出てくれば、それは少しでも救いになる。

 煙草、ニコチンは副流煙が迷惑なだけで、取り立ててその他は文句が無い。
 副流煙が出ない煙草があれば最高だ。
 一番周りに影響しない麻薬ではないかと思う。煙草の長所と言えば新皮質を活性化させることか。共感覚者を対象にした実験で、煙草とアルコールは逆方向の特性を持っていると書いてあったが、頭をシャキッとさせたいならコーヒーの方が周りに迷惑が掛からない。その意味でカフェインの圧勝だ。
 ただ新皮質を活性化させても意識拡大には全然役立たないので、これまた秘教修行においては用無しの薬物となる。

 と、ここまで駆け足で「駄目な薬物」と私が思う代表選手を書いてきたけれど、秘教の修練において、薬物を使うことは一般的だという話を今回は書きたい。
 そのことの良し悪しの話ではなく、こういう歴史がありますよという話だ。

 ただ、先に結論を述べておくと、瞑想を極めてしまえば薬物も糞も無いというか、まったくそんなものは用無しになるので、瞑想を鬼のように極めるのが一番優れているし、何より金が掛からない(スパルタ風に言えば)。

 まずインド。大麻がシヴァ神の聖なる植物であるのは有名。というか麻という植物は大概の文化圈でそれ自体が聖なる植物なので、これはインドに限った話でないのだけれど。
 ヴェーダ系で有名なものと言えばソーマが挙げられると思う。これも精神拡大系の秘薬として、アーリア系の修行者達に珍重されてきた。未だにソーマが何なのかは判っていないらしいが、私はベニテングダケに一票を投じたい。
 南国だけあってインドには色々な薬物を利用した修練体系があり、それはそうした秘伝を伝えているスクールに入らないと接触することは出来ない。ある人は、そこで出されたスープを飲んだところ、意図的にいつでもある種の幻視を呼び出せるようになったという。
 ちなみにその事についてとある覚者は「そんなくだらんことは忘れてしまいなさい」とあっさり切り捨てたそうだ。

 でもそれは覚者だから言い得る話で、とにかく啓示を、体験を求める側からすれば、何が何でもということはあるし、瞑想で到達する前振りとか、修練の段階としてそうしたものを置いているスクールもこれまたある。イスラム密教、つまりスーフィーなどがそうだ。
 スーフィーと言っても幅広いのだけれど、その中で薬物を扱う系統がある。
 例えば超有名なニザリ・イスマーイル派とかなどだが、こいつらは精神拡大系薬物の達人中の達人で、実に的確に修行者に誘導を施すらしい。ただ秘密主義なのと、日本ではマイナー過ぎてそうした情報があまり流れていない。
 イスラムと言えばアラベスク模様が有名だが、瞑想するとあんなようなのが見えることがよくある。個人差はあるけれど一種のカラフルな幾何学模様が見えるわけだ。
 瞑想で見られるということは、薬物でも見られるということだから、イスラムの多彩な模様文化にはそうした背景もあるだろうと考えられる。
 単純に偶像崇拝を禁じられていたからアラベスクが発達した、というだけでは説明に無理があると思う。
 ついでに言うと偶像崇拝を禁じている割にはイスラムは極めて物質的というか、手触り感のある判りやすい宗教で、何度か書いたがイスラムの至高なる神は、人間と同じ肉体を持ち天に浮かぶ玉座に座っている。文字通りに、そうだという設定なのだ。

 中近東ではエッセネ派が有名だが、モンゴルが焼き払うまでは、中近東は古代メソポタミアから連綿と続く文明の中心地だったので、おそらく歴史の中に消えていった教団の様々な手法が有ったろうと思う。
 ただこの地域はあまりに歴史がありすぎるので、薬物などに頼らなくても全然良かった時代の記録(ハンムラピ王の時代とかね)などもあり、薬物に注目する意味はあんまり無い気がする。
 例えばいわゆる小アジア地域の密儀では、模様、音、色、匂い、ガスなどあらゆる形での誘導があったので薬物にこだわるよりも、むしろ色と図形で意識誘導していた教団などを調べた方が実りが大きいかも知れない。まあそれもデジタルドラッグの一種だとか言われたらおしまいなんだけれど。

 そして南米。言わずと知れた精神拡大系薬物の最終到達地だ。
 シャーマニズムを調べていくと、音と踊りで瞑想状態に入っていたのが、力の植物を知ることによってそちらに手法が移っていくのが読み取れる。
 それは8時間踊り狂うよりも秘薬を一杯飲む方が早いし、楽だから仕方ないが、ある意味堕落と言えなくもない。

 精神系の世界を見ていくと、どうしてもどこかでドラッグに遭遇する。
 そしてドラッグの多くが法律で禁じられている。その事の是非をここで書いていたら長くなるのでそれには触れないけれども、大概の人は日常自明性に埋没しているから、無批判的に法律や社会的な価値観を受け入れて生きている。
 だから昨日まで拝んでいた仏像を、文明開化だと聞けば鉈で刻んで風呂の薪にしたり、終戦するや一転、それまで鬼畜米英と言っていたその口で、アメリカへの憧れと崇拝を唱えたりする。
 偉いのはそれが本音である所で、これはもう手首掌が柔らかいとか思考の切り替えが早いという次元の話ではなくて、人間存在の可能性を感じさせるレベルの話なのだ。羞恥心などという次元ではない。

 そういうわけだから通常はドラッグについてフラットに考えることは無い。
 けれど神秘修行をするならどうしてもフラットにドラッグ、薬物について考える必要が出てくる。
 何せ秘教教団の歴史の中では苦行と並んで必ず出てくるキーワードだからだ。
 けれども現代ではドラッグ、薬物は随分と聖性を失ったというか、馬鹿にされた形で使われていると思う。
 そしてのその傾向は、神秘修行の歴史から言っても、非常に危険なものだと私は考えている。

 よく聞く名前がLSDだ。あれは南米の聖なる植物ペヨーテと同じ効果を持っているとされている。つまり脳内での働き方が同じか、似たようなもんだという事らしい。詳しいことはわからない。有効成分が同じメスカリンなのかも知れない。
 個人的な意見を付け加えて申し訳ないが、ペヨーテとLSDは断じて違う。絶対に違う。
 LSDが駄目だと言うつもりも無いけれど、とにかくペヨーテとLSDは意味として全く違うものだ。
 ともあれLSDは多くの欧米の有名人が、その体験を語ってきたので知っている人も多いだろうと思う。

 神秘修行という観点から薬物、ドラッグについて述べるとしたら、以下の二つの点が最も重要だ。
 一つは体に悪い。肝臓などに凄い負担が掛かる。カルロス・カスタネダも修行の過程で相当な量と種類の薬物を、師であるドン・ファンから与えられていたが、晩年の状況を読むとそのダメージはかなりのものだったと思われる。
 スティーブ・ジョブズも若い頃に、悟りを求めてかなりの量のドラッグをやったらしいが、結果、癌に近い、わけのわからない恐ろしい病気に殺られたし、やはりキッチリ修行をして到達できる境地にロケットで一気に打ち込むような真似をするとヤバイのだろう。

 中には副作用が無いと言われている薬物もある。それを一々ここで名前は挙げないが、仮に副作用が無いとしても、間違いなく脳には作用している。そして脳が出せる脳汁(嫌な書き方だ……)の量は一生で決まっているらしいから、そうなると脳の代謝系に給料の前借りをさせていることになりはしまいか。まあ50代くらいまでに勝負を付けると決めている人などは、問題ないだろうけれど。
 つまりはドーピングしまくっているサイバー戦士のような状態でもいい、太く短く、それで全然構わないというタイプだ。
 まあ到達しちゃえば勝ちなんで、それはありだと思う。

 もう一つは神秘修行に使うドラッグは精神に作用するという事だ。
 何を当たり前なと思う人もいるかも知れないが、しっかり修練をした瞑想によって到達する境地に、何の修練もしていない、日常意識で生きている人間をいきなり放り込んだらどうなるか? これは色々問題が起きてきそうなのは想像が付くと思う。
 特に回数を重ねたりすれば意識構成上問題が出てくることがある。上でも書いた副作用が無いと言われている薬物でも、何度も回数を重ねる中でお空の彼方に意識というか、何というか、「こんな子じゃなかったのに」状態になってしまうことがある。それがいいのか悪いのかという話だ。

 そして神秘教団はこの問題点を熟知しているので、必ず修行と併走する形で薬物を使用する。教団のプロトコルにもよるが、安易に気軽に薬物を使用することはない。
 特に薬物のコントロールが巧みと言われるのがイスラム密教で、それはそれはその手際は素晴らしいらしいのだが、副産物についても知識が累積した結果、彼らは薬物の知識を門外不出とするに至ったわけだ。一般社会としては大いに感謝すべき見識だと思う。一応そのヤバイ副産物についても少し書いておくと、ニザリ教団の洗脳やら、超人的な身体能力やらという話になる。けれどそんなものはイスラム密教の求める無上なる「愛」や「神」や、真理の探究という観点からは何の役にも立たぬので、政治的な問題が起きた時しか浮上してこない。

 ここまでの話を纏めると、霊的な探求において薬物はショートカットや予習になり得るが、体に悪いし、コントロールが難しいですよという事になる。
 そしてコントロールの難しさという点についての一番留意すべき特徴は、分量とか使用条件よりも、薬物は宇宙に向けて「発射はしてくれるがどこに着弾するかは判らない」ということだ。

 薬物のプロとしてはスーフィーに並ぶであろう南米のトルテックでも、これはよく判っていて、ドン・ファンは「力の植物は集合点を動かしてはくれるが、どこに飛ぶかはわからない」と言っている。集合点というのは、ドン・ファンの系統のトルテックの用語だが、その人間の世界を組み立てている中心点のことだと思えばいい。

 こんな感じなので、扱いが難しいから興味本位で手を出してはいけないというのが神秘修行における薬物の位置付けだと私は思っているが「いやそもそも神秘修行自体が生きるか死ぬかだろう? それを今更、薬物は扱いが難しいとか危険とか、何を言ってるんだ?」と言われたら、返す言葉もございません。
 しかし薬物と並んで神秘修行の花形とも言える苦行に至っては、その死亡率や身体精神に障害を負う危険性は薬物を遥かに凌ぎ、危険性は薬物どころではないわけで、ヤバ過ぎるというか、個人的には苦行なんてやらんでいいと思っているけれども、一般社会的な価値判断で言えば、薬物は駄目で苦行は素晴らしいみたいな感じなのが納得できない。狂っているとしか思えない(笑)

 最後にタイトルの「力の植物」について。これは精神に作用する力を持った植物のことを表すドン・ファンの用語だけれど、実にセンスのある言葉だと私は感じている。
 上でも少し述べたが、悟りはともかくサイケデリックな体験などを求めて、こうした「力の植物」に手を伸ばす人がいる。そういう人達は大抵気軽に、想像力も持たずに「力の植物」に関係を持とうとする。これは酷い侮辱だと思う。
 生き物の集合点を動かすほどの力を持った植物に対して、何の敬意も感謝も持たずに関わるべきではない。それは無礼だ。
 そして植物の精霊は酷薄なので、必ず無礼や侮辱に対しては報復してくる。
 その意味で、単に脳に作用する薬という程度の認識で「力の植物」に関わるのは非常に危険だ。

 ただし「精霊なんて無い。あるのは脳の分子構造だけだ」というよくある宗教を信じているのならば、こちらから言うことは無い。どうそ勝手におやりなさい。君たちの先達も沢山いる。ジョブズとか。その仲間に加わればいい。

 けれどそうではなく「きちんと向き合いたい。「力の植物」に敬意を表して、お願いして力を貸して欲しい。自分の探求を深めたい」と言うならば、慎重に関係を構築するしかない。植物の精霊は非情で、裏切りを絶対に許さない。それを覚悟して付き合うことだ。

 南米にアヤワスカという秘薬があるが、現地のシャーマンに言わせると、アヤワスカは神秘体験の主役ではないのだという。
 主役は飲んだ本人。つまり自分なのだ。アヤワスカは譬えるならば結婚式に招かれた招待客とか介添人だという。結婚をするのはあくまで自分であり、アヤワスカはそれを祝ってくれる。見守ってくれる。その場にいてくれる。自分の腕を取って、聖なる輪の中へと誘ってくれる。それがアヤワスカだという話だ。
 この話を聞いて感謝や感動を感じなかったならば「力の植物」に関わるのは止めた方が良いと思う。

 ドン・ファンもペヨーテを摂取させる相手は選んでいた。その中に「奴は駄目だ」とされた若者がいた。何故駄目なのか? ドン・ファンに言わせると「メスカリトは奴を殺す」だろうという予測が立つからだそうだ。
 メスカリトはペヨーテの現地での呼び名、つまり正しい呼び名のことで、ペヨーテの成分であるメスカリンという名称はここから来ている。

 そしてメスカリトはその地の先住民の呪術師たちにとって、あらゆる「力の植物」の中でも最高の存在、別格の扱いを受けていた。他にもキノコや朝鮮アサガオやら、色々な「力の植物」が現地の呪術師には知られていたし、それらの助けを借りて修行が行われていたのだけれど、メスカリトはそれらとは全く違う特別の精霊だったのだ。
 メスカリトは「偉大なる教師」であり、生徒である我々人類を、教え導く存在であると見做されていた。
 その人格に非難囂々のカルロス・カスタネダだが、彼がドンファンの指示の元、初めてペヨーテを口にしてメスカリトに出会った時、偉大なるメスカリトからこう尋ねられた。

「何が欲しい?」

 その瞬間カスタネダはメスカリトの前で泣き崩れた。
 自分の人生は間違っている、だが何故なのかが判らない……そして自分の半生を泣きながらメスカリトに語った。
 ドン・ファンは正しかった。ドン・ファンはいつも正しい。
 カスタネダはその時はまだ完全に普通の人間だったが、間違いなくメスカリトに会う資格は持っていた。私はそう思う。

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