〈9.アーサーくんとアンさんのポエム〉

 アーサー君が学校の廊下を歩くと周りの女子たちが注目して浮かれ出した。

 アーサーくんは貴族の御曹司(おんぞうし)。白馬の王子様なのでモテるけど、本人は恋愛には興味なかった。

「バカバカしい。恋愛などにかまけていてはリーダーとして冷静な判断が出来ないではないか。そんなことよりイギリスには少子化対策が必要だ。国の喫緊の課題なのだ」

 僕は質問した。

「アーサーくんの将来の夢は何?」

「私は父の跡を継ぎたいと思う。父はイギリスの政治家である。私も父のように高い知性を持ちながら人の心も理解できる政治家になれることを希望している」

「そのためにハーバー大学で学んでるんだね」

 アンジュちゃんの意見にアーサーくんはちょっと意外なことを言った。

「私はハーバー大学の授業で学びに来てるというより人間について学ぶことに力を入れている。私にとってハーバー大学は庶民的な場所だから」

 僕は驚いた。

「そうなの? 僕から見ればハーバー大学はエリート校だと思えるけど」

「私にとっては庶民的な場所だよ。でもあえて下々の所に下りて庶民と触れ合うことを大切にしている」

 するとアンさんはこう言った。

「じゃあ私も下々の所に降りて庶民と触れ合うわ」

「俺も」

「私も」

「僕も」

 みんなが共感した。するとアーサーくんは、

「君たちはもともと下々にいるだろう。もっと上がる努力をしたまえ!」

 みんなを一喝した。笑いが巻き起こった。

 僕は未来メルヘンのポエムについて語った。

「今日はポエムについて話し合いたい。未来メルヘンではポエムを大切にします。ポエムが好きというよりはポエムの世界観を信じるということです。

 例えばポエムではこんな言葉が使われます。風になる、星になる、花になる。こういう風に自分が人間じゃなく自然物になったかのような表現があります。それから、いい天気だと元気、雨は涙、そして人生は川のようなものという風に、自然物に感情があるかのように表現します。

 女性は花のようだといえば明喩。女性は花だと言えば隠喩です。

 こういう表現は世界中にあります。俳句にもあるし、 演歌にもあるし、レゲエにもあるし、ロックにもあります。

 宗教や科学など信じる教えは人それぞれ違うはずなのにポエムを読むときは世界中で同じ価値観を共有しています」

 アーサーくんは唸った。

「うーん、なるほど美しい考え方だね。クレアハーナー女史の『わたしのお墓に佇み泣かないでください』という詩に似ているね。

 わたしのお墓に佇み泣かないでください

 わたしはそこにはいません わたしは眠りません

 わたしはふきわたる千の風

 わたしは雪上のダイヤモンドのきらめき

 わたしは豊穣の穀物にそそぐ陽光

 わたしはおだやかな秋雨

 あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき

 わたしは翔け昇る上昇気流となって

 弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます

 という詩だ」

 拍手が巻き起こった。

 アンさんは言った。

「私もポエム好きよ。ワーズワースの詩とか好き。

万象の光輝く世界に出てくるがよい

そして自然を師とせよ」

 アーサーくんは感心したように目を輝かせた。

「ワーズワースはイギリスのポエムだ。イギリスを代表する文学だね。」

「牧歌的という言葉の元になった牧歌というのはワーズワースの詩のことよ」

 アーサーくんとアンさんは2人ともポエム好きということが分かり盛り上がった。

「マザーグースも有名よね。

ハンプティ・ダンプティが塀に座った

ハンプティ・ダンプティが落っこちた

王様の馬と家来の全部がかかっても

ハンプティを元に戻せなかった

 ってね」

 アンさんは読んだ後にウインクをした。

「それもイギリスのポエムだね」

 アーサーくんは微笑む。それを聞いて僕は思った。

「やっぱりアーサーくんはイギリスのポエムが好きなんだね。愛国心があるから」

 アンジュちゃんは聞いた。

「他の国のポエムには興味がある?」

「例えば自由の女神のポエム。エマ・ラザラス女史の詩だね。

疲れ果て、

貧しさにあえぎ、

自由の息吹を求める群衆を、

私に与えたまえ。

人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。

戻る祖国なく、

動乱に弄ばれた人々を、

私のもとに送りたまえ。

私は希望の灯を掲げて照らそう、

自由の国はここなのだと」

 アンさんは意外に思った。

「ちょっと意外ね。イギリスの伝統的な格式高い考え方とはとは正反対のアメリカ的な自由な考え方よ。」

「アメリカはかつて大英帝国を打ち破った国なのだよ。私はそんなアメリカに敬意を払う」

 そういうアーサーくんに対して僕は言った。

「かつて大英帝国と戦った国にも敬意を払うんだね」

「大英帝国と互角に戦うというのはそんじょそこらの暴力的なだけの国にはできない芸当だ。

 日本もそうだ。日本軍はかつて大英帝国と互角に戦った」

「日本のポエムでは何が好き?」

 僕の質問にアーサー君はこう答えた。

「日本のポエムといえば徳川家康の遺訓が好きだ。

人生とは重き荷を背負いて遠き坂道を行くが如し。急ぐなかれ」

 「アタシもそれ好き。最初厳しいことを言うのかなと思いきや、急ぐなかれというところでちょっと優しくなるのが素敵」

「中国の杜甫さんの春望というポエムも好きだね。

國破れて 山河在り

城春にして 草木深し

時に感じて 花にも涙を濺ぎ

別れを恨んで 鳥にも心を驚かす」

 いろんな生徒からいろんなポエムが出て盛り上がった。

 トーマスさんからも出た。

「アメリカにはポエトリーという文化があるよ。出演者が自作のポエムを持ち寄って人気を競い合う」

 そこにアーサーくんは共感しなかった。

「そういう競争主義的でエンターテインメンティズムのポエムは嫌いだ」

「私もポエトリーはあんまり好きじゃない」

 そこでもアーサーくんとアンさんの意見は一致した。

「アンさんはなんでポエムが好きなの?」

 僕の質問にアンさんはこう答えた。

「やっぱり好きな人に送る花のように心に残る所が好き。花に一つ一つ花言葉があるように。忘れな草という花の名前の由来になった愛する人との別れのようにエピソードがあるところが好き。ロマンがあるの」

 それに対してアーサー君はこう言った。

「私は花の美しさというのは論理的なものだと思う。例えばフィボナッチ数列という数列があるが、花の花びらの数はフィボナッチ数列の数しかない。フィボナッチ数列は1、2、3、5、7といった数字であるが3枚の花びらの花はあり、5枚の花びらの花はあり、4枚の花びらの花はないという風に花は論理的に作られている。

 一見混沌とした中に実は論理性が隠されているということが美しいのだ」

「アタシはそんな難しいこと考えながら花は見ないわ。花の美しさというのはハートで感じるものよ」

 アーサー君とアンさんの考えが食い違った。

「それは違うよ。美しさというのは論理性だ。神が法則性を持って世界を作ったのだ。世界は理神論によって支配されている」

「理神論って何?」

 アンジュちゃんが質問した。

「神は感情とか特定の意見を持たず流されることなく全世界を平等に論理的に治める。これを理神論というのだ。

 理神論ならばどの宗教が正しいかといった言い争いはないし、科学とも相性が合う。まさにポエムと同じ世界観である」

つづく

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