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集団の巨大化とネットワークの共進化

<ポイント>ヒトは,さまざまな文化とコミュニケーションの相互作用を複雑化させながら集団の規模を拡大し続ける性質をもち,それゆえ生じる必要と必然からサイクルを回し続ける。「定住化の罠」にとらわれた農民たちが礎となり「貧者の農耕サイクル」を繰り返して土地と人口を拡大する。集落を守るための「軍事力」,集団内をまとめ運営するための統率者と官僚組織,職人などの生産しない専門職を農業プラットフォームの上にのせ,法や税と宗教を整備し,技術を発展させ,交通ネットワークと情報貨幣ネットワークにより「情報」と「モノ」を循環させる集団が力を得て,周囲を飲み込んで規模拡大のサイクルを回してゆく。
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1.1万年前になぜ農耕民が誕生したのか

小規模な狩猟採集民が農耕生活に移行し人口を巨大化していったのは,気候変動などにより定住生活に誘われそこからぬけだせなくなった「定住化の罠」にはまったためだった。

●気候変動と農耕コミュニティの形成【豊かな狩猟採集民】

1万5000年前までのヒトは,10~20人程度の小集団で獲物を追って移動する狩猟採集により生活していた。

最終氷期の1万4000年前頃,気候が湿潤になるにつれて,森や海・河川・湖が近く天然の動植物が豊富な地域に定住し,周囲の獲物と植物を採集するだけで十分な食料が手に入るゆたかで安定した定住型の狩猟採集生活を選択する集落が発生する

定住狩猟採集生活のメリット: 
・老人が置いていかれることがない 
・安全に出産できる 
・大きく専門的な道具を利用できる 
・食料を貯蔵できる

定住により食料を安定して確保でき,より多くの子供を養い,老人と子供の死亡率が減ることにより急激に人口が増えていく。おなじころナイル川流域や中東各地で栄養が豊富で大量に収穫できる野生の穀類=小麦が自生するようになり,定住生活との相乗効果によりさらに人口を増やす。やがて乾燥化により砂漠が広がり,麦の自生地を目指してますます狩猟採集民が集まるようになる。

●定住化の罠

1万3000年前ヴュルム氷期が終った直後に,北半球の氷床の溶解などにより亜氷期が発生する。人口過剰と天然資源の減少による食糧難という問題に直面した定住型の狩猟採集民は,すでに移動による狩猟採集のノウハウを失っていた。そして,穀物などの効率の良い植物の収穫量を増やす工夫に成功した集団=農耕民だけが生き残る

農耕民たちは栽培に有利な穀物や豆類を選別して収穫を増やし,それにともなって農耕民の人口を増し,栽培可能な地域を拡大していく。

1万1500年前,再び温暖化に転じると収穫量が増加して,人口増加に拍車がかかる。以降,農耕民はぬけだせない「貧者の農耕サイクル」を何千年ものあいだ繰り返すこととなる。

貧者の農耕サイクル: ①~④の繰り返し
①技術の改良による人口増加 
②人口過密にともなうギリギリの食生活 
③土地の荒廃による飢饉や病による人口減少 
④足りない労働力を増やすための人口増加

●「肥沃な三日月地帯」の形成と集落の巨大化

紀元前1万年前,後にメソポタミア文明のプラットフォームとなる「肥沃な三日月地帯」を形成する。

利便性の高い場所にヒトが集まり人口密度が高くなると,周囲との争いが頻発するようになる。そして周囲の狩猟採集民を追い出し,武装した盗賊から集落を守るための「軍事力」が必要となる。

大きな集団ほどより大きな「軍事力」を養うことができることから,しだいに集団の規模が大きくなっていく。集団の規模が大きくなると,集団内のもめごとをまとめ運営するための統率者と官僚組織=政治エリートが発生する。
やがて統率者と官僚組織が支配する仕組みを構築し,生産した食料を管理し,税金を課し,軍隊を動かすようになる。集団が都市となり巨大化するにつれて,それをささえる生産プラットフォームの治水・灌漑などの技術発展をうながし,それがさらなる集団の巨大化をすすめる。

農耕生産プラットフォームの上に自身では生産しない専門職をのせた集団が,周囲をとりこむ巨大化のサイクルを回してゆく

2.集落間の生存競争と専門分業ネットワーク


ヒトはコミュニケーションによりつながり,分業して助け合い仕事を効率化するコミュニティ=分業ネットワークの形成を生存戦略とする。


仕事が複雑化するにつれて分業がすすみ,コミュニケーションの技術と文化を編みだし,周囲の統合と専門分業のリズムをきざみながら巨大化してゆく。

●家族社会の形成 :440万年前~

無毛の顔と白目により表情をゆたかにして感情と情愛を交換するコミュニケーションにより,育児と採集を分業して助けあう家族を形成する。

●草原への進出と集団防衛 :370万年前~

やがて草原に進出したヒトは,複数の家族が集まって10人~数十人の集団で行動することにより,肉食獣などの危険から身を守り,生存をおびやかす出来事や攻撃に対応する。危険を知らせ協調して動くための発声が,連携して集団を守るために使われる。

●狩猟採集生活と部落 :180万年前~

狩猟採集生活が発達すると,長距離を走って獲物を追い詰めるための役割分担,木の実や根を集め,子を育て,食料を加工するなどの分業が組織化されて25~60人程度の血縁の集落をつくるようになる。

調停をおこなう長,火の保持,老人による知の口伝など男女の性別による水平分業と世代ごとの垂直分業によって構造化した集団は,ヒトの多様性を生かす互助的な組織をつくる。集団の規模が大きくなるにつれてより複雑な情報を交換するようになり,徐々に原始的な言葉と宗教が構築されていく

●農耕生活と集落間の生存競争 :1万年前~

農耕生活によって土地と人口密度を広げ食料を保存・貯蔵するようになると,略奪者や利害・思想の異なる近隣の集落との争いが頻発するようになる。相互不信が不安をうみ,安定をもとめる意識が約束事(法)を守らせる権力への従属をうむ。

●専門分業が集落を巨大化する

集落どうしの争い=集落を単位とする競争となり,より巨大で強力なものが他を飲み込み,パワーの均衡がとれるまで争いが続く。組織内の運用,外に向けた軍事力をより整えた集落が生存競争で生き残る

巨大集落を継続して運用するための条件:
・法と政治による組織運営 
・宗教による意識の統一,侵略戦争の大義名分の共有 
・効率的な分業 
・戦闘能力の強化・維持 
・食料生産プラットフォーム
 ➡非食料生産者を養う大多数の食料生産者と税の仕組み

大きな集落は周囲に征服戦争をしかけることによりさらに巨大化し,小規模な集落はより大きな集落にのみ込まれていく。

集団の規模が大きくなるにつれて,法を守らせるための首長,文字により組織を運用する書記などの官僚,征服戦争に宗教的な正当性を与える僧侶,征服・防衛をになう軍人,武器・防具などの製造技術を開発する加工職人などの食料生産に従事しない新たな職業に専門分業していく

貯蔵・蓄積された食料を非生産者たちに再分配する税収の仕組みをつくり,それを管理・支配するものに権力を与える。組織を管理する権力は軍事力をあやつりさらに権力を増す。

税収の予測や計算,予算の計画や執行のための「計数する言葉」,神を代弁する「神の言葉」,軍人に対する指令などの「戦の言葉」を記録・保存する「文字」が誕生する。職業の専門分業は新たな「語彙」とコミュニケーション手段と文化をつくり,複雑化する「言葉」の交換がさらなる職業の細分化を促進する

部族社会は,他の部族社会を征服・併合して首長社会となり,やがて国家,帝国へと巨大化してゆく。

3.古代都市を循環させる情報貨幣ネットワーク

集落から古代都市へと人口を広げたとき,人々の分業をつないだのは言葉や文字によるコミュニケーション,そして新たな収穫の分配の仕組みだった。

●集落の拡大と食糧の分配

ヒトが狩猟採集を家族から集落で協力しておこなうようになったとき,家族のために持ち帰る獲物は集落の共有するものとなる。やがて農耕生活により集落の規模が大きくなり分業が広がるようになると,首長が調停者となり作物を集め再配分する習慣,争いを避け友好を深めるための部族間での贈り物を授受する習慣がうまれる。

●都市国家をささえる情報貨幣ネットワーク

貨幣(金属,穀物,家畜,貝など)の用途は4つで説明されるが,時代や地域によりその比重は変化する。

貨幣の用途:
1)支払い
 債務の決済,税の支払い
2)保存・蓄積
 支払いの遅延,財力を示威,予備
3)尺度基準
 財・モノの数値化,共通に利用できる量的基準
4)交換
 モノと交換できることを保証

●古代エジプトの金

紀元前3000年,古代エジプトは世界の金産出の中心だったが「金は太陽神の肉体・生命のシンボル」であり,不滅の神々の象徴だった。王宮,神殿,神像,神の化身であるファラオの装身具,衣装,王座が金でおおわれ,金の蓄積が権威の象徴となる。やがてリング型の金がアジアとの交易に使われるようになるが,金貨として流通することはない

●古代都市の交易

紀元前3300年,ウルク都市国家群が陸路・海路を使ってインダスとの交易をはじめる。古代都市間の交易は商業的な利益をもとめるものではなく政治的な贈り物の物々交換であり,王により俸給で雇われた商人(後にタムカルムと呼ばれる身分型の交易者)が商取引を担当する

銅・銀・穀物が物々交換を仲介する尺度基準として利用され,特に価値が変化しにくい銀が遠隔交易で重宝される。宝石・装飾品のほかに木,石,金属(銅,錫,鉄)を受けとり,毛織物・油をおくる。

●古代都市の貨幣管理

ウルク都市国家群の各都市では王と神殿が銀を貯蔵し,貸借関係の記録を管理し,銀の重量基準により商品の価値,罰金,利子率,賃金を公示する。周辺地域から輸入した銀は都市内に流通することはなく,税金・関税・貢納・罰金・利子の支払いにあてられ,王・貴族・神殿によって消費・貯蔵される

●古代都市と市民生活

古代都市では首長・官僚・神殿が都市周辺の農民や都市内の職人から農業生産物・手工業製品を税・貢ぎ物として集め,職人や農民にその階級や働きに応じて生活必需品を再配分する。市民のための市,貨幣は存在しない

●自給自足する農耕民

都市をささえる農耕民は,その誕生から産業革命までのあいだ自給自足であり,税の支払い,馬・牛を含む道具の購入,借用,罰金のために作物を貨幣に交換して支払う。

●最初の硬貨

紀元前650年ごろ,貨幣を最初につくったリュディアのギュゲス王は,銀の計量のわずらわしさをなくすため金銀の自然合金エレクトロン硬貨をつくり,その携帯の容易性と保存性から兵士への支払いのために使う。兵士は硬貨を自身の生活のために使い,結果,硬貨は交換のためにも使われはじめる。

古代都市における貨幣は,遠隔交易における尺度基準,権力者の示威,税や兵への支払い代替するための道具,各地域の異なる政治・文明・文化とモノの価値基準の翻訳手段,言葉,文字などと同様のシンボル=情報であり,情報貨幣ネットワークの上に古代都市国内の分業,都市・国家間の分業を循環する血液であった

やがて,硬貨の発明が労働を価値に置換して蓄積し,時空間に広がる情報貨幣ネットワークの上で利益をうむ手段となるとき,市場,両替商の信用,硬貨の発行,貨幣の商品化による錬金術を次々と編み出すこととなる。

4.交通ネットワークとともに発展する都市

ヒトはモノと情報(知恵)を交換することにより分業する社会を形成する。ヒト,モノ,情報(知恵)の距離を短縮するインフラの発展とともに,社会構造は複雑化し,より高度な交換ネットワークを構築する。

●都市を循環させる「道」,情報通信のための「道」

農耕をきっかけとして,都市を中心としてヒト・モノ・情報(知恵)が交流する社会が構築される

官僚,軍人,職人そして彼らの食料が都市に集まる。都市内部の通路が市民の生活を循環させ,都市周辺地域からは農作物,木材,鉱物や税を徴収するための「道」が都市に向けてのびる。より遠くからより早く運搬するために家畜を使い車輪を開発し,「道路網の拡張と輸送技術の改良」というサイクルを繰り返して都市が巨大化していく

都市は近隣の都市から襲われる驚異に備えるための軍隊を保持し,戦争により周囲の都市を併合する必要にせまられる。生き残りをかけた都市は,道路網により物資を集めるだけでなく,すばやく情報をえるための「道」をつくる

紀元前6世紀ペルシア帝国は,王の命令と周囲からの報告を伝える通信ネットワークとして幹線道路「王の道」を整備した。土木工事により道を整え,馬を駅伝制によりすばやく移動させる最新の通信ネットワークだ。整備した「道」は都市周辺のヒト・モノの輸送も活性化する。そして,「道」を整え,ヒト・モノ・情報(知恵)の輸送技術を発展させた都市が周囲の都市を圧倒する

ユーラシア大陸の河川沿いに分散していた古代の農耕都市は,やがて4つの巨大帝国(ローマ,パルティア,クシャーナ,漢)に統合される。帝国内ではさらに道路網の整備がすすめられ,情報(知恵)を集めて治金や輸送の技術を開発し,統治の潤滑剤となる貨幣制度を広め,王と官僚のためにモノの流通を活発化していく。

●王が財宝を輸入するための交易路:シルクロード

中国,中東,ヨーロッパの巨大都市のあいだには,4000kmをこえる広大な草原地帯に遊牧民の騎馬国家が広がり,遠距離交易を妨げていた。

転換点となったのは,漢王朝の武帝(紀元前141年~紀元前87年)が派遣した調査部隊からの報告だった。ヨーロッパに向けて絹や鉄などを返礼品として輸出するだけで,貴重な金やガラス細工,美術品などの財宝が手にはいるというのだ。武帝は,財宝を手にいれるために,漢王朝とヨーロッパのあいだにある36の遊牧民都市国家と属国関係を結び,ラクダによるオアシスの移動経路=シルクロードをつなげる。途中経路のインドやアラビアで入手できる香辛料をヨーロッパに返礼品としておくり,遊牧民の所有する馬を漢王朝におくる。

4000km以上の距離を数年がかりで移動する交易は危険をともない,生活のための交易は割にあわず,王や大富豪,官僚たちが力を得るための宝物や贅沢品,原材料を手にいれるために交易が行われる。帝国をつなぐシルクロードによる疎なコミュニケーションは,徐々に文化,技術,宗教,そして病を伝搬していく。

やがて「オアシスの道」は草原と海に広がり,アフリカ大陸,ヨーロッパ,アジアを結ぶ複数のルートに広がっていく。

西暦100年ごろの陸海の交易ルート:
1)オアシスの道: シルクロード,乾燥地帯に連なるオアシス都市を結ぶルート
2)草原の道: モンゴル高原から西へカザフ草原,アラル海,カスピ海を通って黒海へ達するルート
3)海の道: 紅海・アラビア海ルート,地中海・インド洋ルート

●王権のためのグローバル交易とローカル・ネットワークに集約される国内産業

1300年以降,東ヨーロッパから中東にひろがるオスマン帝国によりインド洋航路を閉ざされ,中規模の国家が激しい闘いを繰り返していたヨーロッパ諸国は大西洋へと目を向ける。

1482年,ポルトガルは西アフリカ海岸に要塞をきずき,マリ帝国(西アフリカ)との交易を掌握,金,象牙,胡椒,奴隷と織物,武器を交換,砂糖のプランテーションを展開して突出した力をつける。1490年に探検家コロンブスがアメリカ大陸を発見,1498年にヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達,1522年にマゼラン隊が世界周航を達成したことをきっかけとしてヨーロッパは世界初のグローバルな交易ネットワークを構築する

産業革命までのグローバル交易は,王権を維持し軍隊と土地を広げるために行われる。重商主義など,力のある国が輸出を輸入よりも多くするために高い関税により輸入制限をかけ,武力により不均衡貿易を強要するなど極端な貿易黒字を目指していた

この時期のグローバル交易は未熟だが,後のグローバリゼーションをささえる経済的な土台を構築する。

経済的な土台の構築:
・帆船による遠洋交易,航海術,砂糖と奴隷の三角貿易
・イスラムの商習慣,数学,地図作成
・製鉄と鋼の生産技術,活版印刷,農業技術
・火薬などの中国の先進的なイノベーション
・銀行,金融,市場

1700年にいたっても,海上の輸送は風力,陸の輸送は牛や馬を利用し搬送に多くの時間がかかることから,生産と市場は強く消費と結びつけられ都市とその周辺から形成されるローカル・ネットワークにヒト・モノ・情報(知恵)が集約されていた

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【参考書籍】
[1] デヴィッド・クリスチャン, シンシア・ストークス・ブラウン, クレイグ・ベンジャミン(2016), "ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか :宇宙開闢から138億年の「人間」史", 長沼 毅監, 石井克弥, 竹田純子, 中川泉訳, 明石書店
[2] デヴィッド・クリスチャン監(2017), "ビッグヒストリー大図鑑 :宇宙と人類 138億年の物語", 秋山淑子, 竹田純子, 中川泉, 森富美子訳, 河出書房新社
[3] 松岡正剛(1996), "増補 情報の歴史", NTT出版
[4] ジャレド・ダイアモンド(2000), "銃・病原菌・鉄",倉骨彰訳 , 草思社
[5]青柳正規(2009), "人類文明の黎明と暮れ方", 講談社
[6]トーマス・ホッブズ(1970), "リヴァイアサン", 水田洋訳, 岩波文庫
[7] 湯浅赳男(1988), "文明の「血液」 :貨幣から見た世界史", 新評論
[8] ジョナサン・ウイリアムズ(1998), "図説 お金の歴史全書", 桂川潤訳, 東洋書林
[9] 吉沢英成(1994), "貨幣と象徴 :経済社会の原型を求めて", 筑摩書房[10] フェルナン・ブローデル(1985), "交換のはたらき --物質文明・経済・資本主義15-18世紀", 村上光彦訳, みすず書房
[11] リチャード・ボールドウィン(2018), "世界経済 大いなる収斂 :ITがもたらす新次元のグローバリゼーション", 遠藤直美訳, 日本経済新聞出版社[12] 宮崎正勝(2002), "モノの世界史 --刻み込まれた人類の歩み", 原書房

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