生命のネットワークと「脳」の共進化
1.微生物のコミュニティ
38億年前,核のない単細胞の細菌(古細菌,真正細菌)が誕生した。最も単純な生命である細菌はコロニーをつくり,細菌間のコミュニケーションにより協調して環境に適応しながら生存競争を生きのびたのだった。
●細胞間での最初の情報交換=遺伝子交換
生命初のコミュニケーションは,細菌間での遺伝子の交換だ。細菌は,細胞分裂により増え続ける。細胞核が存在しないため,細菌間での遺伝子の交換が発生しやすく短期間に遺伝子が伝搬する。遺伝子の交換は細菌の接触による交換だけでなく,死によっても拡散する。群生するコロニーが遺伝子組み換えの実験場となり,1種類の細菌から膨大な種類の細菌を派生させる進化の原動力となる。
●細菌のコロニー内でのコミュニケーション
原初の細胞間での化学物質による情報交換は,栄養の乏しい場所でエネルギーを効率よく取得するために細菌のコロニーにおいて発生した。細菌の生存戦略は,ニッチな栄養源と場所を開拓し,他の細菌を抗生物質により抑制し,それを防ぐ防護壁(細胞壁,粘液性の皮膜)を構築することにある。戦略選択の繰り返しは,自律的に共生する複数種類の細菌による群生=コロニーの形成をうながす。
初期のコロニーは,ある細菌の排泄物を別の生物が再利用ことにより発生する。これをつなげることによりエネルギー摂取の連鎖ができ,電子をやりとりする電子市場が構築される。例えば,メタン菌が水素と二酸化炭素からメタンを発生させ,別の菌がそのメタンを食べて二酸化炭素と水素を排出する。異なるコロニーどうしが闘いあうこともあるが長期的には均衡状態を探りあうことになる。
二酸化炭素,メタン,二酸化硫黄,硫化水素,窒素などの生産-消費連鎖をつくるが,再利用の環を完璧に均衡することは難しく,電子市場の効率的な均衡を探索し続けることにより複雑化する。さらに,外部環境に適応した細菌からの遺伝子の供給により,コロニー全体が外部環境に適応するよう進化する。
●微生物の社会
現代の微生物のコロニーでは,微生物どうしで神経細胞のようなイオンチャネルによる電気信号伝達を利用してコミュニケーションをおこなっている。血管や神経路の代わりに浮遊する分子によって情報伝達することによりコロニー内の位置を把握し,周囲の環境の情報(浸透圧,pH,湿度など)を処理し,他の生物との競争に役立つ物質を合成してコロニーを防衛して,養分の再利用の効率を上げるように空間分布を修正する。微生物のコロニーとしては,腸内や口内フローラや,免疫や抗生物質に抵抗する細菌のバイオフィルムなどが知られている。
2.メッセージ物質のネットワークがヒトの身体をつくる
単細胞生物の化学物質によるコミュニケーション・ネットワークは,多細胞生物にも継承され,より複雑で自律分散で会話する細胞・臓器ネットワークとして進化した。
●胎児をつくる細胞間の自律分散ネットワーク
ヒトの身体は,たったひとつの受精卵が細胞分裂することにより形成される。細胞分裂して数が増えていくにつれて内側と外側の立体構造がつくられ,ついに最初の分化がおこる。1つの細胞が他の未分化の細胞に向けて,違う細胞に分化するようメッセージ物質(化学物質)を送るとつぎの分化がはじまる。
新しくできた細胞が他の細胞に向けてメッセージ物質を送るという相互作用の連鎖が,次々と発動して身体を形成する。やがて,神経と皮膚をつくる部分,消化器や肺をつくる部分,骨・筋肉・血液をつくる部分の3層構造ができる。
最初の臓器=心臓をつくりはじめると,形成途中の心臓からメッセージ物質を送って肝臓の細胞形成のきっかけをつくる。そして,形成途中の肝臓から心臓に向けて成熟を助けるメッセージ物質が送られる。
相互に同期をとりながらタイミングを合わせて成長し,血管をつくり,血管を伝って臓器どうしのメッセージ物質の伝達ネットワークが構築され,遠い臓器,近くの臓器で相互にコミュニケーションしながら,ヒトという身体を形づくっていく。
●臓器どうしの自律分散ネットワーク
ヒトの身体は,脳が集中制御をおこなうトップダウンの命令系統だけでなく,臓器どうしのコミュニケーションにより自律分散制御をおこなっている。血管が全身の細胞にメッセージ物質をブロードキャスト(一斉送信)する情報通信網となり,メッセージを受診した臓器や細胞はリツイートもするし炎上することもある。
体内の相互作用のネットワークは,細胞,臓器,共生細菌が多重に絡み合ったメタネットワークとフィードバックループを構築して動的に恒常性を保つ,それがヒトというネットワーク総合体だ。さらに,神経細胞は電気信号と化学物質を組み合わせた高速通信を行い,マイクロRNAを含む大量のメッセージ物質をパッケージにして送り届けるエクソソームという宅配便まで存在する。
3.五感と脳の共進化
6.3億年前,浅瀬の大陸棚が広がり大量の光と栄養塩と酸素が海中にあふれたとき,豊富な素材を活用して繁殖する生命たちの生存競争が新たなステージをむかえる。
●神経組織の誕生
6.3億年前のエディアカラ紀の大陸棚で,急増した太陽光と栄養塩を背景に光合成を行う微生物が大量増殖して酸素を急増させる。
豊富な素材を活用する多細胞生物の最初の戦略は,捕食されない大きな身体を得ることだ。大型化のためには,それを維持するエネルギーが必要となる。「多細胞組織」を使って「エネルギー獲得手段」を構築し,生産したエネルギーをもとにさらに大きな身体をつくる「大型化-エネルギー獲得手段」共進化サイクルがうまれる。
「大型化-エネルギー獲得手段」共進化サイクルは,長い年月をかけてさまざまな戦略をうみ環境に適応して選択されてプラットフォーム化し,プラットフォームの上に新たな戦略を構築する。
スポンジのような海水と一体になる形態から,皮膚で外側と内側を分ける戦略への転換が新たな分岐点となる。皮膚を改造して,エネルギーを効率よく獲得する窪みをつくり繊毛により積極的にエサをとりこみ,外側と内側の収縮による移動手段を得る。
やがて,エサに反応して行動するために,「触覚センサー」の入力信号を「行動信号」に変換して「高速通信路=神経組織」により複数の「運動組織」に伝達する連携システムを構築し,新たな構造をボディプランとして改良を加え続ける神経系進化サイクルがうまれる。例えば,口の周辺の触覚を食べる行動につなげ,眼点を使って光を検知し,皮膚刺激に反応して退避する方向への収縮運動を誘発する。
●肉食動物と淘汰圧が「脳」をつくる
カンブリア紀(5.41~4.95億年前)直前に起こった大型生物を捕食する肉食動物の登場が,生存戦略の大幅な変更を余儀なくさせる。
ふりそそぐ大量の光と大陸から流れてくる豊富な栄養塩をもとに,新たな進化を試みる生物たちの壮大な実験場=大陸棚が舞台となる。
それまで数十種だった大型の生物がいっきに1万種以上に広がり,現代につながるボディプラン35門に属する生物だけが次の時代に生き残る壮絶な生存競争=「カンブリア爆発」が幕を開ける。
多くの種を絶滅させる淘汰圧は,生物の急激な進化をうながす。肉食動物の一方的な繁殖は,被捕食側を絶滅の危機に追い込む。そしてエサをたべつくしてしまえば肉食動物もまた絶滅してしまう。肉食動物の誕生がきっかけとなり,生態系全体を巻き込んで大幅な戦略変更と新たな均衡の模索がはじまる。
最新の技術を使って個別の部位を革新するだけでは,激しい生存競争を生きのびることはできない。複数の革新的な組織を効率よく連動させることに成功したものだけが,獲物を捕食し,捕食されない身体を獲得して生き残ることができる。
膨大なボディプランの改造と生存競争を繰り返し,ついに複数の体組織を連動する「情報統合組織」として「神経集合体=脳」を口近くに形成する。
新たなボディプランは「センサー」や「運動組織」の高度な連携を可能とし,さらに生物進化を加速する。そして,移動するエサや脅威をとらえる「眼」,高速に移動する「筋肉」をうみだしたとき大陸棚の軍拡競争がさらに激化する。
●「眼」と「脳」の共進化
あるとき,散在する光受容組織を集め,脳の一部を触覚から視覚に転用してつくりあげた「眼」による狩りがはじまる。最初に「狩りをする眼=鉱物の複眼」を獲得したのは節足動物であり,脊椎動物の祖先はもっぱら逃げるための戦略として「眼」を活用する。
「複眼」は移動するエサを識別するのに有利な構造だ。節足動物は,多数の「複眼」から得た膨大な視覚情報を統合して「移動するエサ情報」を構築し,それをもとに「追尾行動命令」を生成して高速通信路で「筋肉」に伝え,素早くエサを獲得することにより優位となる。
一方,被捕食動物は移動する物体を検知することよりも,最小限のエネルギーで巨大な生物の接近を明暗で検知して逃げることを優先する。皮膚全体に配置した数個の「点眼」を使って全方位から近づく脅威を検知し,海底や岩場への高速移動するための「脳」と「筋肉」の連携を得たものが生き残る。
カンブリア紀の動物たちは,さらに「神経組織」を改良,脂質による絶縁膜とナトリウムイオンによるデジタル高速通信網を整備し,カルシウムイオンによる終端制御や筋収縮により瞬時の行動を可能とする。「神経系」制御の高速化は俊敏な移動を可能として,追われる側に大きなプレッシャーをかける。
●「カメラ眼」と「空間情報(マップ)」の共進化
カンブリア紀(5.41~4.95億年前)からシルル紀(4.44~4.19億年前)をへてデボン紀(4.19~3.59億年前)に入るころ,脊椎動物の魚類が丈夫な顎と遺伝子重複により「カメラ眼」を手にいれて,活発な肉食をおこなうようになる。
「カメラ眼」は,レンズを使って鮮明な像をとらえる眼であり,海底の地形やエサ・脅威の正確な空間情報を取得可能となる。「カメラ眼」から入ってくる膨大な情報を使いこなすためには「脳」の進化も必要となる。「カメラ眼」と「脳」の共進化により,眼・耳・皮膚から得た情報を統合して「空間情報(マップ)」を形成し,より正確にエサ・脅威の情報を得て行動できるようになる。
「カメラ眼」と「空間情報(マップ)」処理の共進化は眼を巨大化するとともに,それぞれの感覚からの入力情報を統合処理して「感情・本能」に変換し,刻々と変化する環境に素早く反応する即応連携シーケンスを構築する。
脳による即応連携シーケンスを構築した魚類は,「顎の強化-大型化」共進化サイクルを進め,節足動物を凌駕するようになる。
●「嗅覚」と「本能・記憶」の共進化
魚類が「嗅覚」を得たことが次の転換点となる。「嗅覚」はエサや脅威のまきちらした化学物資の痕跡を識別・記憶し,過去の記憶にもとづいて思い出し,その場所をエサ場としたり避けたりするために有効だ。
このため,嗅覚は他のセンサーとは異なるルートで脳と連携し,嗅覚とともに行動シーケンスを誘発する「感情・本能」と「記憶」をつかさどる脳の部位が共進化することで,より狡猾に生き残ることに成功する。
太古にうまれた「感情」は,ヒトの「意識」のベースとなり,同時に発生する五感・内感とその「相互作用」を評価し即時の対処をうながす即応装置として発動する
これにより,ヒトにつながる外部情報統合にかかわる脳のボディプランはおおむね完成した。以降,生活環境を陸上に移し,環境との相互作用により五感・内感の情報統合組織として大脳を発達させてゆくこととなる。
陸に上がった多細胞生物もまた,体内組織間の共進化を繰り返すことにより新たな連携ネットワークをつくり生存に有利なものをボディプラン=プラットフォームとして残し,その上に新たな仕組みを組み上げ,必要ならば別の用途に転用して体組織の複雑なネットワーク構造を編み上げてゆく。
4.コミュニケーションするサルへの「脳」進化
生命が誕生して以降,急激な環境変化によりほとんどの生命が絶滅する大量絶滅が5回発生した。大災害が急激な進化を促進し,環境に適応した生物種が勢力図を書き換える。
●上陸にせまられる魚類
3億7000万年前の海洋生物の大量絶滅は海からの脱出=上陸を加速し,魚類から両生類への進化をうながす。使わなくなった浮き袋を肺に転用し,ヒレを手足に代える。
上陸して一気に広がる視界,匂い,音,そして地面の感触を活用したものが生き残る。陸環境に適応して,五感による空間情報形成と記憶・学習と感情・本能による情報の統合制御を徐々に複雑化・高度化し,多様な生命デザインを地上に広げる。
●恐竜を避けて生きのびる哺乳類
2億5000万年前,生命史上最大の大量絶滅が発生する。太陽系が暗黒星雲と衝突したことをきっかけに発生した極寒期により動植物が絶滅し,続いて酸素濃度が大幅に低下する。ほとんどの生命が死滅し,大量の酸素に適応した肺をもつ哺乳類の祖先たちに大打撃を与える。
恐竜が低酸素濃度でも生きのび大繁殖したのは,現代の鳥に継承される常に新鮮な酸素で満たされ循環する肺構造を進化させていたからだ。残念ながら,哺乳類の肺は,酸素を吸う経路と吐き出す経路が同じ気管を共有しているため低酸素濃度に弱い。
恐竜が繁栄する時代,哺乳類の祖先は小型のトガリネズミのような外見の夜行性となり,肉食の恐竜たちを避けてかろうじて生きのびる。かつて,昼間の光のなかで視力を活用して構築した「空間情報(マップ)」の生成脳力は嗅覚に置き換えられ,匂いの記憶と明暗や触覚というわずかな情報からエサと脅威を感知する脳と五感と「記憶・感情」を研ぎ澄まして「空間イメージ」を組み立てる。
●恐竜絶滅と哺乳類の広がり
6600万年前,再び起こった太陽系と暗黒星雲の衝突をきかっけとする極寒期により恐竜などの絶滅が進み,続く巨大隕石の落下が残ったものたちにとどめをさす。そしてわずかに生き残った生命にふりそそぐ宇宙線が,新たな種の進化を加速する。
大量絶滅の後に世界に広がる哺乳類の最大の特徴は,体内外での子育てと,環境変化に合わせて脳を拡張する柔軟性だ。子育てと脳を共進化させることにより,妊娠期間・育児期間が長くなるほど巨大化できる脳構造=大脳皮質のしわ・層構造を獲得する。
脳を巨大化して維持するためには生涯にわたる大量のエネルギー供給が必要となる。効率の良いエサの獲得・体内外育児の負担と,巨大な大脳を活用した賢い行動・体内コントロールがトレードオフとなり共進化し,あらゆる環境に適応して戦略を変えて苛烈な生存競争に生き残り広がっていく。
脳をささえる体内機構も共進化する,赤血球の核を除いて脳へのエネルギー運搬を高効率化したのは哺乳類だけだ。学習能力と判断能力を強化し,出産後の環境に合わせて脳回路を編集して,忍び足で近づき俊敏に襲うもの,遠距離の脅威を感知してジャンプして逃げるもの,樹上で木々を飛び移るものなど賢い脳を活用してさまざまな環境に適応して広がっていく。
●樹上で進化する霊長類
○フルカラー視覚がコミュニケーション能力を強化する
6300万年前,ゴンドワナ大陸が分裂し,南米大陸とアフリカ大陸,インド大陸などに分かれ,リフト帯で噴出する放射性マグマの活動が突然変異を誘発し,各大陸での個別の進化を加速してさまざまな生態をもつ生物が広がっていく。
温暖化が広葉樹を広げ,それに適応したサルの祖先が樹上での生活を選び,枝やエサをつかむ手を進化させる。樹上での生活は手足を器用にあやつり,果物の食べごろと腐敗を識別する必要があり,指先の触覚,視覚,嗅覚情報を統合して指・手足の繊細な制御を行うために「学習・判断・制御」脳力,センサー,手足を共進化させる。
4000万年前以降,何度も寒冷化と温暖化の波が繰り返す。寒冷化時には飢餓よる闘争が激化し,共同でエサ場を確保して脅威を排除するものたちが生き残る。より多数で連携した集団が優位となるが,そのためには個体を連携するための「コミュニケーション能力」が必要となる。
個体数の増加が「コミュニケーション能力」の強化をうながし,声やジェスチャーによる「コミュニケーション能力」の強化が集団の規模を増やす。集団規模の限界をさぐる「集団規模-コミュニケーション能力」の共進化がはじまる。
3000万年前,樹上でより多くの新鮮な食料を獲得するために赤・橙の識別能力を加えてカラーの眼を獲得した旧世界サル=ヒトの祖先は,肌の色を識別できるようになり顔の肌を露出させて感情変化をよみとる新たな「コミュニケーション」手段を獲得する。
○高精細視覚センサーが推論能力を高める
やがて,遠くに熟れた果実を発見し,飛び移る枝を見きわめるために網膜の一部に高精細なセンサーを搭載するサルがあらわれる。眼球とともに高精細視覚センサーを縦横に動かすことにより,注力した部分をはっきりと認識する。以降,高精細センサーの範囲を広げるのではなく,生きるために有効な情報をフィルタリングするために,立体視などとともに脳力により全体像を推論する「錯視」を強化する方向に進化したものが生き残っていく。
高精細な視覚はより詳細に表情を認識することを可能とし,より繊細な「コミュニケーション」を可能とする。
「錯視」は脳の暗黙の推論能力を強化し,脳内に「仮想イメージ」と「仮想物語」をつくる脳力を構築して,コミュニケーション・社会行動などの統合制御を強化していく
シャープな視覚,両眼による立体視,フルカラー画像,そして錯視を得たサルは,高いコミュニケーション能力により集団を維持・運用し,推論により「仮想イメージ」と「仮想物語」を構築する賢いサルへと進化してゆく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?