見出し画像

隣の芝生はいつだって青いけれど、自分の芝生は虹色に輝いている

人は生きていく過程で、さまざまな課題に直面します。

受験、恋愛、部活、就活、仕事、人間関係……挙げだしたらキリがありません。

生きているだけで“解けない課題”がたくさん降りかかってくる。

そのなかでも、最も厄介な課題が「ダメな自分との付き合い方」ではないでしょうか。

「ダメな自分」に出会うたびに、私たちは凹みます。

「もっと頭が良かったら」、「もっと才能があったら」、「もっと運動神経がよかったら」、「もっと美人だったら」。

「他の誰かになれたら、どれだけ楽だろう」と頭を抱えた経験が、誰しも一度はあるはずです。

しかし、鏡を覗き込んでも、見慣れた顔が自分を見つめ返すだけ。

結局のところ、私たちは「私以外の誰か」になることはできないのです。

ーーーー

私自身、悩みの多い人生を過ごしてきました。

できないことが多すぎて、友人や同僚、上司に迷惑をかけてしまった経験が、数え切れないほどあります。

もちろん今でも、悩みは絶えません。自分では整理できなくなり、友人に電話をして、愚痴を吐き出す夜もあります。

そのうちの一人である友人の森泰輝さんから、先日とある原稿が送られてきました。

彼の初となる書籍『「ダメな自分」でも武器になる』のゲラです。

画像1

(ちょうど、今朝届いたよ)

「ダメな自分と付き合う」だけならまだしも、「武器になる」とまで強気に言い張るこの本は、一体どんな内容なのか。——すごく気になり、月曜日の夜なのに、送られてきた原稿を一気読みしてしまいました。

結論から言うと、苦手の克服に苦しみ、自分らしく輝けなかった経験を持つ私にとって、この本はとても有益な一冊でした。

もし私と同じような悩みを抱えている人がいるのなら、きっと明日の景色を変えるヒントが得られるはずです。

この本が、そして私の経験が、誰かにとっての救いになればと思い、過去のエピソードを思い出しながら、noteを書くことにしました。

ーーーー

強みと弱みは表裏一体のギフト

周囲の誰もができることが、私にはどうしてもできませんでした。

早稲田大学を卒業し、総合商社で働いていたときのこと。

とにかく細かい作業が苦手な私は、資料やエクセルに、いつもいつも誤字脱字やミスがありました。

「しっかり確認してないだけでしょ?」と言われることも多かったのですが、私は自分なりに、「もう絶対大丈夫」と自信を持てるくらいにはチェックをしていました。

それでも、どうしても、抜け漏れが出てしまうのです。

上長からは「3回読んでもミスが直らないなら、4回読み直せ」と言われていました。言われた通りに、4回見直しました。それでも、やはりミスが出てしまうのです。

最後には「お前の目は節穴か!」と言われてしまう始末。リアルに「自分の目は節穴だ」と思いました。

でも、よくよく考えてみると、小さい頃から細かいことが苦手だったんです。

図工の時間も、器用に絵を描いたり、作品を作る同級生が、とてもうらやましかった。緻密な作業をするのが大の苦手で、それがとてもコンプレックスでした。

とはいえ、得意なこともあります。

自分で言うのもなんですが、私はとにかく仕事が早いんです。商社で働いていたときから、7割くらいの完成度まで仕上げるのが誰よりも早いのが自慢でした。

でも、「できないこと」にとらわれていると、「得意なこと」や「できること」に目が向きにくくなります。

「お前はダメだ」と言われると、その言葉にとらわれ、「自分はダメな人間なんだ」と思い込むようになります。

たとえ「人よりも得意なことがあったとしても」です。

商社で働いているときは、仕事が早かったり、未来を描くことが得意だったり、自分の得意なことを生かすことができませんでした。

「ダメな自分を叱ってくれている間に、なんとかして苦手を克服しなければいけない」という、ある種の恐怖観念につきまとわれていたのです。

そんな私の考え方が変化したのは、商社を退職してからのこと。

ストレングス・ファインダーで自分の特性を調べてみると、やはり、丁寧さよりもスピードに、緻密な作業よりも全体像を描くことに強みを持っていることが明確でした。

また、書籍を読み進めていくと、これらがトレード・オフの関係にあることを知ります。

そうであれば、強みを生かした人生を歩んだほうが、自分にとっても周囲にとってもいい影響を与えられるはずです。

それ以来、「独自の視点をもって分析する」「わかりやすく伝える」「面白く発信する」といった、自分の得意なことにフォーカスし続けることを決めました。

おしゃべりな性格も相まって、現在の職業は「ビジネスインフルエンサー」です。

SNSでの私をみていると、フォロワーの多さから、「これまでもずっと活躍してきた人」と思うかもしれません。

しかし、そうではありません。

私もこのnoteを読んでくれているみなさんのように、「ダメな自分」に苦しんできた一人なのです。

ーーー

とらえ方次第で、弱みは武器に変化する

そして、「私が持つ強みは、これまでの人生では弱みだった」ということもお伝えしたいです。

発信力を武器にしている私ですが、発信することは得意でも人の話を聞くことが大の苦手で、これまでに何度も何度も苦労してきました。

小学校1年生の頃、終業式の日に持ち帰った通信簿には「人の話をよく聞きましょう」と書かれていました。

大学の頃、「空気が読めなさすぎる」という理由で嫌われてしまい、泣く泣くサークルを辞めました。

社会人になってからは、親友の誕生日を祝うディナーで、いつも通りの独壇場でペラペラ喋っていたら、「みくは本当にじぶんの話ばかり、自己中すぎる」とマジギレされました。

「傾聴力こそコミュニケーションの要」といわれるこの時代において、私は傾聴力が絶望的に欠けていて、人間関係にヒビを入れるレベルで酷かった。

その傾聴力のなさたるや、胎内に「聞く力」を忘れてきてしまったのかと本気で疑うレベルです。

そんな自分を生かす場所が、ビジネスインフルエンサーという選択肢でした。

人に不快な思いをさせないために、対面コミュニケーションをするときは「一言も自己主張しない」と決めました。

そして、何か話したいことがあるときは、ブログとSNSに吐き出すことにしました。

「自分」ではなく、「スタイル」を変えたのです。

するとどんどんフォロワーが増え、仕事の依頼が来るようになり、自分の得意なことで生きていけるように人生が変わったのです。

ーーーー

ゴミとは、置き場所を間違えた資源

森さんの書籍にも書かれていることで、私が心から共感しているのが、“「苦手なこと」は裏返せば、まるでコインの裏表のように「得意なこと」に変わる”という一文です。

中国のことわざに、「ゴミとは、置き場所を間違えた資源」とあります。

私の人生は、森さんの考え、そして中国のことわざをそのまま当てはめたようなもの。

ゴミとは言いませんが、圧倒的な弱みとして付き合ってきた特性が、今では自分の武器に変わっているのです。

自分自身の経験からも、「ダメな自分」は、見方を変えれば「神様からもらったギフト」になると言えます。

苦手や弱みに見えたとしても、その裏側を見れば、目の前の景色が一気に変わるのです。

誰だって、自分のことを「ダメな人間だ」なんて思いたくもないはずです。

できることなら、「私は私に生まれてよかった」と胸を張って生きていきたいはずです。

でも、「みんなができるから」、「周りとは違うから」という理由で、自分を変えようとしたり、自分を繕ったりしてしまうのだと思います。

でも、そんなことをする必要ありません。

誰だって、手に余る部分すらも一つの特徴として活かしていくような、そんな人生を送ることができるはずです。

私だって、できないことに対する悩みが、今でもたくさんあります。嫉妬もコンプレックスも人一倍だと思います。

私はそんなとき、「隣の芝生は青いけれども、じぶんの芝生は虹色だ」と思うことにしています。

隣の芝生が青いのは、そういうものなのです。

だから、誰かに憧れたりするのが悪いことではありません。

ただ、そこで自分を曲げたり、できないことをできるようになろうと躍起になると、間違った努力につながってしまいます。

もし、“普通の人”になれない自分に悩んでいる人がいるなら、他の誰かになりたいと苦しんでいる人がいるなら、私は「あなたの芝生は虹色だよ」と声をかけてあげたいです。

森さんの書籍『「ダメな自分」でも武器になる』には、あなたがあなたらしいままに輝くためのエッセンスが詰まっています。

過去の私が、自分を変えることなく居場所を見つけられたように、みなさん明日からの人生が、素晴らしいものになることを祈っています。

人は誰しも、気づいてないただけで、必ず何かしらの持ち味を抱いています。大切なの は、その持ち味をいい方向に発揮する場や環境を整備することです。——『「ダメな自分」でも武器になる』108Pより

構成:オバラ ミツフミ


サポートいただけたら、スライディング土下座で、お礼を言いに行きますーーー!!!(涙)