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華僑心理学番外編 インドで悟った社会の豊かさ、人生の豊かさ。

みなさん、こんにちは!こうみくです。

2018年11月19日現在、インドに来ています。

今回のインド訪問で初めて知ったのですが、2017年時点で、インドの人口は13.4億人、中国の人口は14.1億人とほとんど同位まで来ているんですね…。そして、2024年に、インドは中国を追い抜いて、世界首位の人口大国となる予定です。

経済的な文脈で見ると、今から30年前の1988年では、インドのGDPは2926億ドル、中国は3124億ドルとほぼ同レベル、6%前後の差しかありませんでした。一方で、2017年末時点でインドのGDPが2.6兆ドル、中国は12.2兆ドルと、近30年もの間に、インドと中国の間で、5倍弱(500%)もの差が開いていったのです。

その要因を紐解くと、地理的背景や政治的背景、文化的背景など、様々な要因が複雑に絡まっており、「中国とインドで、経済的に大差が生じた原因は、ズバリ○○だ!」と一概に語ることはできません。

従って、今回は華僑心理学の番外編として、筆者がインドの街並みを歩いて気づいたこと、感じたこと、そして思い出したことについて、お話していきたいと思います。

1.インド:民主主義>社会全体の発展 

  中国:民主主義<社会全体の発展

まず、インド人はみな薄黒くて、…というイメージがありましたが、実際に首都デリーへ行ってみると、肌の色から体型、服装まであらゆる点で違いがある多種多様な民族が混在している様子が、非常に印象的でした。

↑白い帽子を被ったムスリムの男性。全国民の13%前後

中国でも公式に55個の少数民族があり、国民の総人口の8%を占めていますが、その多くは地方や集落にまとまって住んでおり、上海北京と行った首都部ではあまり見かけません。一方で、インドでは、民族も、人口も、言語の数、どれを取っても中国の比ではないくらい様々な多様性が同じ土地で共存しています。

そんな同じ10億人もの人口を抱える大国として、至る所から「インドは、異なるバックグラウンドと文化を持つ多様性溢れた国民を持つ、世界最大の民主主義国家である」といった価値観が垣間見られます。

一方で、中国人は「多様性や人権、自由を尊重する以上に、社会的発展を優先する」といった価値観が根本的にあります。

その背景には、「自由(Liberty)、平等(Fairness)、人権(Human Right)といった概念自体が、そもそも西洋思想のひとつに過ぎず、東洋の我々に取って、参考にすべき対象ではあるが、絶対的な正解ではない。」という中国人の思いがあります。

言い換えれば、社会全体の発展スピードを多少犠牲にしても、マイノリティを含む人権を何よりも大事にする社会もひとつの正解であるし、社会の全体発展を優先する為に、マイノリティには多少犠牲を強いても仕方がないという考えも、ひとつの正解である。その異なる価値観は、2つの宗派のようなものであり、唯一の正解があるわけではない、と多くの中国人は考えています。

このように、中国政府が社会全体の発展を何よりも最優先としたことによって、過去30年の間で中国とインドの間で、大きな経済的な差が開いたというのも、うなづけるではないのでしょうか。

2. インド:「貧困は生まれで決まるので、仕方がない」

中国:「貧困は恥。解消できなければ、自分の実力不足。」

また、昨日は、首都デリーの旧市街のオールドデリーを歩きながら、街や人々を観察していました。

↑インドに住んでいたことがある友人、Kayoreenaに案内されて

インドでは憲法にてカースト制度による差別の禁止が明記されていますが、文化として地域に色濃く残っています。特に、旧市街のオールドデリーまで出ると、親から代々引き継いだビジネスをやっているであろう、民族衣装のサリー屋さんや、屋台がたくさん立ち並んでいました。

↑家族代々サリー屋さんを経営していると話していた男性

↑家族代々屋台を経営していると話していた男性

「生まれによって職業が決まってしまうのであれば、もし貧しいカーストに産まれたらどうするの?」と、インドに滞在していた友人に聞くと、「ヒンドゥー教の教えは輪廻転生に根付いているから、今世は仕方ないと諦めて、来世に期待する」と話してくれました。

ミクロな視点で見れば、このような個人間の価値観が、インド人と中国人の間にある最大の違いを産み出していると筆者は感じています。

というのも、中国では、まず貧困とは恥ずべきことだと、幼少期から親に強く叩き込まれます。日本人は他人から嫌われたり、輪から外れることを一番恐れますが、中国人は、他人から貧乏モノだとバカにされることを一番恐れています。そして、「中国人はメンツを大事にする」と言われる理由も、「割り勘がなかなか根付かない理由も、半分以上はこの「自分を貧乏モノだと思われたくない。バカにされたくない。」という強迫観念から派生しているのです。

よって、インド人のような来世に期待するといった穏やかな発想は一切なく、国家レベルでも、個人レベルでも、可及的速やかに貧困から脱したい、早く豊かになりたいという想いのもと、過去30年もの間経済的に爆進して来たのです。

3. 筆者のおじいちゃんの教え

中国人である筆者のおじいちゃんも、例に漏れず、「他人からバカにされるな。いっぱいお金を稼いで、貧乏モノだとバカにされるな」と筆者が小さい頃から、耳タコができるほど、叩き込まれていました。

そして、新卒で就職が決まった次の年に、おじいちゃんが亡くなったのですが、最後の手紙の中でも、

「みくは外国人だから、日本人の組織では、3倍働いて、3倍結果を出さないと、認められないだろう。3倍働いて、バカにされない人材となりなさい」

との遺言を残して、亡くなりました。

小学校に上がるまで、蘇州に住むおじいちゃん、おばあちゃんに育てられた筆者は、とてもとてもおじいちゃんっ子だったので、この教えを守って、何が何でも3倍働いて、他人からバカにされない人になると、意気込んで入社しました。

↑入社後、インドネシア出張にいった際の一枚

しかし、おじいちゃんの期待に反して、新人の筆者はとても出来が悪く、満足いく結果を出せずに、仕事に頭を抱え得る日々を過ごすこととなったのです。

来る日も来る日も、ストレスと自己嫌悪感と戦っては、気を紛らわすために、ついつい仕事とは関係ないニュースサイトをみてネットサーフィンしては、心のイライラを鎮める日々。

これでは、いつまで経っても、出来ないやつだとバカにされ続ける。他人の3倍働け、負けるなと、おじいちゃんにあんなに口酸っぱく言われたのに…と、自己嫌悪は一層深まっていきました。

このように、中国型の「未来は自分次第で切り開けるはずだ。負けるな。」という教えは、全体で見ると、人々にハッパをかけて社会を急発展させられる効率が良い面がある一方、「成功しなかったら、全て自分の責任。他人にバカにされるくらいなら、自分は落伍者だ」と、個人に非常に強いプレッシャーを与えます。

↑中国の競争社会、高プレッシャー社会の象徴的存在の大学受験生

理想と現実のギャップをなかなか受け入れられず、ストレスと自己嫌悪感に苛まれていた筆者は、徐々に、不眠に悩まされるようになりました。

そんなある日、遂におじいちゃんが夢に出てきたのです

夜中3時。ふと、目が醒め、我に帰りました。

「あぁ、もうこれは限界だ」と、筆者は、隣で寝ている恋人を揺り起こしては、

おじいちゃんから他人の3倍働けと言われたのに、わたしはこんなに不出来で、毎日ネットサーフィンばかりしている。おじいちゃんに対して申し訳なくて、たまらない」と、大号泣しました。

すると、当時付き合っていた彼は、

「みくちゃんは、おじいちゃんに申し訳ない、顔向けできないと思って、苦しんでいるんだね」

と、夜中にも関わらず、眠い目をこすりながら、話を聞いてくれたのです。

「そうだよ。他人の3倍働けと言われたのに、わたしは毎日ネットサーフィンしているんだよ。そんなこと、おじいちゃんが知ったらどう思う?」

ストレスと自己嫌悪に、さらに罪悪感が足され、涙はどんどんどんどん溢れてきました。

「みくちゃん。おじいちゃんは、今、天国にいるよね。」

泣きじゃくりながらうなづく筆者を見て、彼は優しく、言葉を続けました。

「そしたら、おじいちゃんは毎日、天国からみくちゃんを、見守っているよね。





っていうことは、天国から、みくちゃんを垂直に見下ろしているんだから、おじいちゃん、角度的にPCの画面の中身がちょうど見えてないじゃん!だから、きっとネットファーフィンしてるって、バレてないよ、やったね!」


「むしろ、天国でみくちゃんが毎日PCの画面とにらめっこしている姿を見て、うちの孫、すごい仕事してる、頑張っているって、おじいちゃん、今ごろ喜んでいるよ、きっと!」


恋人からのあまりにも、斜め上からの発想に、びっくりしすぎて、涙が止まりました。

そんな5年前の出来事を思い出しながら、

「一足飛びで、物理的に豊かになるためには、中国風の競争的価値観が活きるし、現世の不条理に悩まないためにはインド的な達観さが役に立つ。」

さらには、「日々のプレッシャーに負けずに、落ち着きと精神的豊かさを取り戻すためには、日本的な柔軟な想像力と、世界共通のユーモアさが役に立つのだろう。」と、悟ったインドの午後でした。


↑日常の煩悩をすべて吹き飛ばすほどド派手で明るい、インドの結婚式(筆者右)

サポートいただけたら、スライディング土下座で、お礼を言いに行きますーーー!!!(涙)