呟
「恋人って、毎日私の表現を聴ける。
そして、毎日わたしのことを、
詩的に表現してくれるものでしょう?」
私、自分でツイートしたことをまた考えていた。恋人。
別に恋人は口が聞けなくたっていい。
口が聞けなくてもいいから、朝と夜には必ず隣にいて、愛がわかる触れ合いを、感情を、表情で、日々。
その表情が、触れ合いが、私にとって、相手からの詩的な表現になる。
私、しゃべるのが好き。
会話は苦手。
だから頷きが欲しい。
頷きと笑顔で、わたしが正当に泣いたら泣いてくれるくらいの優しさがあればいい。
表情があればいい。
たまに首を縦か横に振ってくれるのがいい。
そして、そこまでが優しさだとも思う。
喋れない分をわたしが愛してあげればいい。
多分、音楽がなくなってもいい。
ネット無くなっても、絵が描けなくても、本読めなくて映画とか見れなくてもいい。
一生裸でもいい。
裸の寝室で、私たちの体の突起から、いつもに増して冷たさを繊細に感じるがいい。
その所為で外に出れなくなって共に餓死してもいい。
いい。
だからこれでいい。
これがいい。
でも、
口が聞けたら、
口が聞けたらどうしよう。
毎日「おはよう」と「おやすみ」を交わし、いろんなところに行こう。
「ありがとう」と「ごめんね」は多ければ多いほどいい。
たまに黙って通じ合うことも楽しもう。
指先から感じるものを探して、抱きしめたらいい。
喋れるなら、色々あってもいい。
音楽があってもいい。
音楽になって、言葉で、声という音の媒体に乗せて表現したらいい。
この曲の、この映画の、どこがよかったか、そんな会話じゃなくて、正直さが勝手に詩的になればいい。
季節のものを食べて、去年を、出会った年のその季節を思い出して、声に出して優しく笑い合う。
思い出したら、その動きのまま自然にアルバムを引き出し、携帯のカメラロールにはない写真を撫でる。
emotionalに浸って、「エモーショナル」以外の言葉と声でそれを表現する。
それはemotionalじゃなくなって、二人だけの感情になる。
そして気温を思い出して地球が温まってしまったことに震え、悲しみ、涙を流し合う。
何もできないことに気づいて、さっきは馬鹿だったねってまた笑い合う。
いいな。
「言葉が声になると、私たちは、死なない幸せの中でもちゃんとふたりで生きていけると思うの」
私は、私のツイートに“いいね”していた、声を持たない裸の恋人の耳元で呟いた。
恋人は動きを止め、私の目だけをじっと見つめて、その後、ちゃんと悲しい顔をした。
目には今にも落ちそうな何かが狭苦しく耐えていた。
そして、たった今、喋るのをやめる決意をした私の、口と目をその暖かくて大きな優しい手で塞いだ。
私たちはケータイを捨てて、季節を感じながら抱き合って眠った。
おわり。
映像にしたら、綺麗だよねー。って思った。いつ書いたんだろう?これ。
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