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バボのキママな日 #49 『「ちょびっツ」を一気に見たりしていた。』

めちゃくちゃ週末をした。週末をしたと云う動詞があるわけではないけれど、これが一番伝わる表現な気がする。高校の後輩に久しぶりに会ったり、1日外でしっかり遊んだり、ゆっくり寝たり、「ちょびっツ」を一気に見たりしていた。ブログを1日書かなかったけど現実の生活はめちゃくちゃ充実していた。そう云うことがあると思う。SNSに人生の全てが上がるわけではない。フェイク・フォトもフェイク・フェイムもフェイク・ファンもフェイク・ファックも全部僕は要らない。

ずっと僕が何となく思っていたことを説得力を持ってわかりやすく云っていた。"人生は長い暇つぶし"と誰かに聞いた覚えがある。らもさんは教養は暇つぶしの能力みたいに云っていた。僕も暇が好きで嫌いだ。好きなことができる暇は好きで、好きなことができない暇は嫌いだ。でも未来の暇はきっと好きなことができる暇だ。暇があればギターが弾ける、曲が創れる、音楽が聴ける、映画が観れる、アニメが観れる、漫画が読める、etc...

暇を自分の好奇心を満たすために使えれば何と幸せなことか。承認欲求を満たす為の自分は自分でない。好奇心を満たす方が人間らしいと僕は思う。
数年前にこんな歌詞を書いていた。

クソみたいな見栄えだけの大量生産品
誰かの真似の真似で出来たアイデンティティ
承認欲求を満たす為に磨いた自分は自分から離れた誰かの借り物

ちなみにこのアートワークも相方に創ってもらった。あの時よりもハシゴの高い位置にいるのなら嬉しい。この曲の最後はこんな歌詞で締めた。

もう誰も咎めない 誰とも比べない
変わらない言葉で 飾らない己のままで
わからないことばかり 未知なる道を生きる
たとえ最後には死ぬことが決まっていようと

もう何も悔やまない 何にも縛られない
閃いた感覚に 心と体を震わせて
わかりたいことばかり 道なき未知を生きる
それじゃ また違う場所で逢おう

僕が云いたいことは数年前からずっと変わっていない。変わらない為に変わっているから。

今日もフツウキママに訪れてくれてありがとうございます。
ちぃが現実的になってきている時代ですね。

<バボ>

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