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「モチベーターは選手たちだった。彼らに何を残せたかと考えたら込み上げてきた」「子どもたちを育成する現場に立ちながら、新しい夢を見つけたい」広島エフ・ドゥ・村上 哲哉監督のラストメッセージ

2022年3月12日、浜松、神戸、大阪で開幕した、JFA 第27回全日本フットサル選手権大会。

2日目、2回戦、シュライカー大阪×広島エフ・ドゥ戦の試合後、今季限りの退任を発表している広島エフ・ドゥ、村上 哲哉監督コメントです。

5年間を締めくくる、監督最後の試合が古巣であるシュライカー大阪との対戦。試合直後に感じることは?

―最後、(古巣の)大阪との試合でしたが、試合を振り返って?

村上 哲哉監督「キーパーが出てくるので、そのリズムを崩す対策をしていたんですけど・・・、立ち上がりの失点ですね・・・。

やっぱり立ち上がりのセットプレーで、早い時間帯に1点取られたところが・・・。

コーナーかキックインの深い位置で、アンラッキーもあったと思うんですけど、あそこで取られたのは大きかったと思います。

次の3-1の状態があって、3-2(の得点)が取れなかったところと、4-1になって、4-2(の得点)が取れなかったっていうところが、やっぱり一番の・・・、

何回かチャンスをね、

前半、裏を取れたものがあったので、そこで『決め切る力』があればというところですが・・・。

まぁでも、プレッシングだったりとか、プレーに関しても、積み重ねてきたものを表現してくれたと思いますので。

やっぱり今トップリーグを走るチームとの"差"だと思うので」

F1のF2の差を埋めるために必要なことは?

―試合に関しては、そこの差がひっくり返せる可能性が、あまり今日は見えるところまで出せなかったかなと思うんですけども・・・。これを埋めていくためには、何が必要ですか?

村上 哲哉監督「そうですね。まぁ個人個人のフィジカルベースっていうのは、もちろんのことなんですけど、やっぱり環境が違う中でも、やっぱりゲームコントロールの中で、取られてはいけない時間帯だったりとか、逆に取らなきゃいけない得点を理解して、リスクも賭けれるかというところに関しては、まだまだ経験していく必要があると思いますし・・・。

でもやっぱり、5年目にして本当に一番いいチームが出来上がったかな、と思うので。

しながわ(シティ)にも良い戦績を残せたのに、結局取りこぼしがあって・・・。

まぁでもそれを含めて、『ちょっと休もう』かなと・・・。

「自分自身が理想とするチームに近づける事ができなかった」その具体的なポイントとは?

―退団のコメントで『理想のフットサル、理想の形に近づけなかった』みたいな言葉がありましたが、それは具体的にはどういうところですか?

村上 哲哉監督「あの、やっぱり過酷な環境の中での、僕も五年間だったので、その中でもやっぱり選手がこうやって全国から集まってきて・・・、僕の元でやりたいっていう選手が集まっての状況で・・・。

やっぱり、まぁのチームのホームのお客さんも含めてですね・・・。

ちょっとコロナが重なったっていう部分があるんですけど、そこもなかなかと認知度的に・・・。

もちろん当初と比べれば広がってきたところがありますけど。

でも自分の理想とする5年目である程度言葉で作って・・・というところが達成できなかったから。

一個そのF1・・・、一番はリーグ昇格。そこに関しては一番大きかったと思います。

―そこはしながわっていう、ちょっとイレギュラーな出現があったとしても、やっぱり達成しなきゃいけない目標としてあった?

村上 哲哉監督「もちろん戦ってる以上は、やっぱりそこが目標ですし、そこ(F1)に上がることが、やっぱチームにとってもね・・・。

結果っていうところが1個ね・・・。ターニングポイントに、絶対になると思っていたので。

まあそこ(の結果)は出せなかったっていうところが一番なのかな・・・。

次、今後は何をしていく?

―監督を一回離れて、どういう活動をしていくことになりますか?

村上 哲哉監督「そうですね。まぁ何ですかね・・・。

選手時代9年と・・・。ファイル時代から含めたらやっぱ20年・・・。

20年ずっとどっぷり浸かってきて。フットサルをしてきたので。

やっぱり、それはね・・・。応援してくれた方もいますし。サポーターのファンの方々もスポンサーさんもいる中で、本当にあの・・・、本当に恵まれた環境でやらさせてもらったな、というのは正直なところで。

やっぱり犠牲にしてきたこともたくさんある中で、まぁやっぱり、今、大切にしなきゃいけないものは、もちろん家族との時間もそうですし、今もう一回自分の強みというところを、どういう風に整理して前に進んでいくかっていう、考えなきゃいけない時期に来ていると思います。

まぁでもやっぱりフットサルだったりとか、スポーツから離れるってことはなくて、やっぱりその自分が得た経験・・・、フットサルだけじゃなくて、やっぱり周りの人たちにも還元して。

やっぱりそのフットサルと一緒で、僕、自分の存在が誰かのパワーになれるように、アクションを起こしていきたいな、と思っています」

―その還元するっていう意味では、何か見えてるのもありますか?

村上 哲哉監督「もちろん子どもたち・・・、本当に5年前のゼロから立ち上げたスクールも、本当にたくさんの子供の方が来てくれてますし・・・」

―何人ぐらいですか?

村上 哲哉監督「今250名ぐらいは。

その中でも子どもたちの変化・・・

本当にここに来て、やっぱりフットサルだけじゃなくて、学校での姿勢が変わったりとか・・・。

自信持って発表するようになったとか・・・。

やっぱり、そういう、何ていうですかね・・・。

やっぱり自分の存在が、子どもたちが大きな夢をつかみ取るためのなにか一歩、貴重な時間に、僕が作れてあげたらなっていうところは、ブレずに、僕はそこやっていきたい。

子どもたちも好きですし。現場には立ちながら、その中で何か、また新しい夢を見つけていけたらなと思っています。

でもちょっと本当に・・・、一旦まぁ離れるというか、ちょっと一回置いて。

一回休んだ時に。

やっぱり本当に自分が・・・、自分にとって、フットサルっていうのがもう一回何なのかって言うのを、再確認したいっていう風に思いもあるし・・・」

―一週間ぐらいたったら、物足りなくなるのでは?

村上 哲哉監督「いや、でも、やっぱりね・・・。

あのまぁ監督経験も浅いんで、いや『俺だったらこういうプレーしたらしたいな』とか、今日の試合なんかも特に『出たいな』って思って・・・。

そんな想いが正直なところあって・・・」

―現役復帰?

「いやいや。どっかで楽しくボール蹴れたらなっていうところはあります。

最後に選手たちにかけた言葉は?

―最後、改めて選手集めてお話しされていたと思いますが、どんな言葉をかけられたのでしょう?

村上 哲哉監督「そうですね・・・。

まず1個は『感謝』というところと・・・。

こういうところに来てくれた選手たちっていうところと・・・。

いやまぁ、本当苦しい苦しい時もあったけど、何ですか・・・、モチベーターは選手たち・・・(ここで涙ぐみ、言葉に詰まる)

そこですね・・・。

そこは勝たせれなかった悔しさと、彼らに何が残したのかなっていうところが最後ちょっと込み上げてきちゃって・・・」

―計算では勝てる感じだった?

村上 哲哉監督「いや、もちろん。もう勝つ気で行ってましたし。これは選手権だけじゃないですよ。リーグ戦も含めてですけど・・・。

選手たちに本当に助けられた5年間だったので。

やっぱりでも彼らは、今からF1を目指す選手もいれば・・・

引退する選手もいれば・・・

残る選手もいればっていう形で・・・

色んな選択肢をする中で、でもやっぱりね・・・。人生って続いていくわけだし・・・。

この共に過ごした、この時間っていうところが、やっぱり彼らのこれからの人生も『やっぱりあの時、こんなに頑張ってたな』っていう経験として大きな力に変わればいいな、と思ったのも含めて、メッセージを届けさせてもらったところですね」

―最後の試合が(古巣の)シュライカー大阪戦でした。そこはどうでしたか?

村上 哲哉監督「いや、もう・・・。なんかその・・・

岸和田で、なおかつ、大阪(が相手)っていうシチュエーションが、もうなんか・・・

やっぱり、『持ってるんだな』っていう。

現役ホームの、最後の住吉の体育館でも左足振り抜いてゴール決めた時もそうだったし。

本当にやっぱり、周りに支えられて、こういう状況は作られてるんだろうと。

運ではなく、本当にその周りの力で、こういう風になってるんだろうなって思うぐらい、本当に今日楽しみな対戦でしたし、まぁああやってね、なんかまた一緒になんか胴上げ・・・

なんの胴上げか分かんないですけど、してくれるっていうのはやっぱ『暖かいな』と思います

取材=FUTSAL X・河合 拓、フットサルタイムズ・北谷 仁治

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フットサルの専門誌がなくなった今も、取材活動を続けているライターがいます。3人ともライター以外の側面からもフットサルにかかわっているので、幅広い側面からフットサルの話ができると思っています。

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