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どこよりも速い、フットサルトップリーグ監督インタビュー。湘南・奥村 敬人編<後編>

今季、2020/2021シーズンも湘南ベルマーレフットサルクラブの指揮を執ることが決まった、奥村 敬人監督にインタビューをさせていただきました。

前編では「来季に向けての準備」「フットサルを始めたキッカケ」「監督を始めたキッカケ」などについて、書かせていただきました。

後編の今回はいよいよ、今季の湘南の戦い方、そして、その"ルーツ"、昨シーズンの湘南の躍進の最大の要因などについて、お話を伺いました。

2003年に優勝した時も「フットサルをしていた」と言えるかどうか・・・

―ロンドリーナにはどういう経緯で?

奥村監督「1999年にエスポルチに入って、2000年にロンドリーナを立ち上げたんですけど、『スーパーリーグ』ができるってことで。

新たに自分たちでチームを作って、自分たちでやりたいフットサルをやって、そこに参入しようという話を、関野さんや広山さん、阿久津らと、新たにロンドリーナを立ち上げたのが、ロンドリーナの始まりです」

―自分たちがやりたいフットサルと言うのは?当時だとカスカヴェウやファイルフォックスはすごくスタイルがあったと思うんですけども・・・

奥村監督「そうですね。『自分たちがやりたい』というよりは『自分たちでやりたい』と言う方が強かったのかな・・・。

(エスポルチ時代は)指導者に見てもらってたんですけど、自分たちで作って行きたい・・・、メンバーも自分たちで集めたい・・・、という想いが強かったですね」

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―その時にやろうとしたフットサルは、例えばカスカヴェウのようにボールを回すスタイルでしょうか?

奥村監督「いや、僕たちはどっちかというともうミニゲームの延長でしたね。フィーリング中心で、いかに合わせるか、と言うのが強かった。

2003年に日本一になった(※)んですけど・・・、その時もまだ『フットサルって言えたのかな』というぐらい、フィーリング中心だった。

※2003年、奥村 敬人らが所属したP.S.T.C LONDRINA(現湘南ベルマーレフットサルクラブの前身)は、全日本フットサル選手権大会(全国大会)で優勝。日本一となる。

 それで横澤と豊島が2003年に優勝した後、ブラジル(カスカヴェウ)に行ったんですよ。で、彼らが帰ってきてから本格的に、本当にフットサルというものを覚えていった。・・・んじゃないかなという風に思っています。

 今までは感覚的というか・・・、もちろんブラジルの試合とかを映像で見ながら真似をしたりとかもしてましたけど・・・。"何故そうなるのか"っていう理詰めの部分を、彼ら(横澤、豊島)が学んできてくれて・・・。

 どちらかというと形だけで動いていたのが、理論で、そういう動きをするようになったというか・・・。そこからはフットサルの奥深さを感じて、すごく(チームとしても)変わって行ったというか・・・。全員が(やりたいことを)理解して行って・・・。すごく変わっていったんじゃないかなと思います」

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LONDRINA(ロンドリーナ)のフットサルの原点は、ブラジルのカスカヴェウに在り

―豊島さん、横澤さんはブラジルのどこで学ばれてきたのでしょうか?

奥村監督「ブラジルのカスカヴェウですね。甲斐さんとかヨシさん(前田 喜史)が前年に行ったチームです。

そこのフットサルが、4枚のボックスから、エイトの流動するボール回しと、押し込んだ時にはピヴォを置いて・・・、と、すごく戦術が多かったんですよ。

それを持ち帰って来てくれて・・・。自分たちで4人のローテーションで相手を崩す楽しさと、押し込んだ時に戦術で全員が連動しながら"ゴールまでの道筋が見えてる"っていうのがすごく、こう、楽しくて・・・。どんどんみんなで追求してやって行ったという記憶があります」

―当時、その戦術は日本では斬新だった?

奥村監督「そうですね。見たことないっていうか。凄かったですよ、本当に。試合をしても自信をもってやれていた部分がありますね。

2003年に日本一になりましたけど、ロンドリーナのピークは2005年、準決勝でファイルフォックスに負けたチームで、その辺りが一番フットサルとしては面白かったんじゃないかなと思います」

―前年に同じ場所(カスカヴェウ)に甲斐さんや前田さんが行かれたということですが、やろうとしていることは似通っていたりはしなかったのでしょうか?

奥村監督「違いましたね。もしかしたら監督も違った(代わっていた)のかもしれないですね」

2019年から、2度目の監督就任。奥村監督が考える、"フットサルの監督"とは?

―2度目の湘南ベルマーレフットサルクラブの監督就任中だと思いますが、1度目と2度目で、変わられた部分、成長した部分はありますか?

奥村監督「フットサルのライセンス制度っていうのもできましたし・・・。いろんなライセンス講習会に行って色んなことを学べたっていうのもすごく大きいと思うんですけど、まぁ、単純に、やっぱり(自分が)若かったというか・・・。

自分が選手としても一緒にやっていたのもあって、すごく"線引きの難しさ"とかありました。たぶん昨シーズン(2019-2020シーズン)、豊島とかも(アグレミーナ)浜松で、その苦しみがあったんじゃないか・・・と思いますね。

まぁあとは本当に『監督とはどういうものなのか』というものを理解しきれてないままやっていた、というのもありますし。なので(一度目は)苦しみましたね・・・。もちろん結果も出なかったですし・・・。

 (アシスタントする)コーチも居ないという状況だったので。(何をするにも)ほとんど一人で、相談する人もなかなか居なくて・・・という部分でも苦しいシーズンだったなと思いますね。

いま、思えば、その経験があったからこそ、選手の気持ちもそうですし、コーチやスタッフの大切さとか、色んなことを考えられるようにもなったと思いますが・・・。一人ではやっぱり、やれることは少ないのかなぁ、と思いますよね」

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―いま、奥村さんが考える、フットサルの監督とは?

奥村監督「難しいですね・・・。でも一番の理想はやはり、選手を成長させる。成長させて、なおかつ結果を出せる監督が一番理想だと思います。

しっかりと選手が、日本代表だったりとか、海外で通用するような選手に成長させてあげることができる監督・・・ですね。なおかつ結果を出して、クラブとしても大きくなれる」

2019シーズンの第3クール、湘南ベルマーレ、大躍進の最大の要因は?

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