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優等生から不登校になった私に起きたこと

 不登校経験者・田中ありすさん(31歳)は、高校での厳しい学校生活に疲れ果て、高1の夏休み明けに学校へ行けなくなった。成績優秀の「優等生」に突如訪れた挫折は、絶望の連続だったという。ひきこもっていた当時のようす、そして現在に至るまでの過程でどのような心境の変化があったのか、話をうかがった。

 * * *

――不登校になったときは、どのようにすごしていましたか?

 高校1年の夏休み明けから学校に行けなくなって、それから最初の1年間は本当につらくて、あまり記憶がありません。「こんなことをしていました」と人に話せるようなことは何ひとつありませんでした。ただ部屋にこもって、スナック菓子を食べて、ずっと泣いているだけでした。それからストレスでアトピーが出て、ひたすら体をかきむしっていました。

 私はもともと勉強が好きで、中学までは成績もよく「優等生」だったんです。それが不登校になったことで、今まで積み上げてきた「優等生」というアイデンティティが完全に崩れてしまったんです。

部屋からも出ず

 近所の目も苦しかったです。私の実家は地方だったからみんな顔見知りで、外に出たら「あそこの家の○○ちゃん、学校にも行かずに何しているのかしら」となる。だから一歩も外に出られませんでした。家では親のことも拒絶していたから、部屋からもほとんど出ずにすごしました。いろんな危機が一度に来て、もう絶望なんです。何をよりどころにして生きていいのかわからない。かといって「死のう」という意志もない。生きることも死ぬこともできない状態でした。

厳しい学校生活が

――学校のどういうところがきつかったのですか?

 どの生徒にも画一的な授業をするところが嫌いだったんです。それでも中学校まではがんばって通っていて、高校は地元で一番の進学校に入学しました。ところが、その高校が江戸時代の藩校から続いている伝統のある学校で、そのせいかすごく保守的で、部活も受験対策も厳しかったんです。学校が終わるのが夜の8時。それからバスに乗って家に帰るのが夜の9時~10時。帰宅後も課題がたくさんあって、毎日ヘトヘトでした。睡眠時間が減り、すぐに体調が悪くなってしまいました。

 また、両親の仲が悪く、家庭環境もよくなかったんです。思春期と重なって、精神的にも追い詰められていました。そうした事情から、学校に行けなくなったんだと思います。

田中ありすさん

――つらい経験をされましたが、その後は? 

 両親と先生が話し合って、いろんなことを試されました。まず、実家にいると通学時間が長くなるから、負担をなくそうと、学校の近くに一人暮らしをさせられました。私としては、登下校する生徒の話し声が聞こえたり、定期的にチャイムが聞こえるなど、「学校」から離れられない生活となり、よけいに苦しくなるだけでした。 

 このひとり暮らしを半年くらい続けて、それでも学校へ行けなかったので、今度は親戚のおばさんの家に居候することになりました。「サザエさん」のようなアットホームな家庭で、楽しい家でしたが、自分の家とあまりにちがうことでなじめず、実家に戻りました。

 結局、高校は中退し、その後もひきこもっていましたが、不登校も3年目になると精神的に多少回復して、マンガを読んだりDVDを観たりしていました。「私はこれからどういうふうに生きたらいいんだろう」という、ヒントがほしかったのかもしれません。ある程度、精神的な余裕があったから、そういうインプットができたんです。

勉強始めるもペンもにぎれず

 しかし、本来なら高校を卒業する年齢に近づくと、焦りを感じるようになりました。大学に行こうと決心し、家からも地元からも出たかったので、上京をして受験勉強を始めました。まずは高卒認定試験に合格するため、塾に通い始めたのですが、まだメンタルが完全に回復していなくて、最初は机に向かってペンをにぎることすら、まともにできませんでした。悔しくて涙が出てくるんです。「ふつうに高校を出ていたら、こんなテスト楽勝で解けたのに」「本当だったら今ごろ、大学に通っていたはずなのに」と、かつて優等生だった自分と比べてしまうんです。結局、受験に受かって大学に入るまで3年かかりました。

――つらかった時期に支えになったことはありましたか?

 家庭環境が悪かったとお話しましたが、ひとつだけ父がしてくれたことで、とてもうれしかったことがありました。不登校でひとり暮らしをしていたとき、父から突然メールが届いたんです。そこには、「自分はとある資格を取得するために勉強をがんばることにした」という決心がつづられていました。私の不登校とは関係のない内容でしたが、それを読んで不思議と気持ちが楽になりました。私は親の精神状態が自分のせいで悪くなっていくのがつらかったんです。でも、父は父で自分の人生を生きようとしているということがわかったんですね。だからすごく救われたんです。

 それから、大学4年のときに不登校・中退者のための個別指導塾「キズキ共育塾」で講師のアルバイトをしました。不登校の子どもたちが、もう一度学び直しをしたいとその塾にやってくるんです。私は不登校経験者だし、昔から勉強だけはできたから、その子たちの力になってあげることができたと思います。私を慕ってくれる子もいました。そしてそういう場があったことで、私自身も救われたんです。「自分の経験が誰かの役に立つんだ」と実感し、少しずつ強くなれたように思います。

就職後もひきこもったが

――これから先、やってみたいことはありますか? 

 「これをしたい」という明確なことはないんですが、私自身が「子どもは学校に行くべきだ」という固定観念にとらわれて苦しくなってしまったので、そうした固定観念を脱して自由に生きていきたいな、と。

 じつは大学卒業後、就職した会社で上司のひどいパワハラにあって、再びひきこもってしまったんです。私としては、不登校から大学進学、そして就職と、「復帰コース」を走っていたはずなのに、またドロップアウトしてしまったことにひどく絶望しました。

 しかし、その会社を退職したあとに、今働いているベンチャー企業に就職したのですが、そこには「こんな大人っていたんだ」とびっくりするくらい、社会の常識や枠組みにとらわれていない人が多かったんです。そういう世界があり、そういう大人がたくさんいることを知っていたら、不登校にならなかったかもしれないな、と思うほどでした。

 「私もこの人たちといっしょに何かしたい」と思い、毎日をすごしています。なんども絶望して、「社会のレール」の外に飛び出したら、そこにやっとおもしろい世界を見つけた。私の場合はそうでした。親や学校が子どもに教えている世界ってほんのわずかで、その外にはおもしろいものがたくさんあるかもしれない。だから「人生は捨てたもんじゃない」って思います。

 私は今、ようやく人生が始まったような気がしています。 

――ありがとうございました。(聞き手・茂手木涼岳/編集・吉田真緒/撮影・矢部朱希子)

※2018年12月15日号『不登校新聞』掲載

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