團菊祭五月大歌舞伎 夜の部を観て来ました

歌舞伎座 2024年5月7日鑑賞
【公演詳細情報】
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/874

一、伽羅先代萩 一幕二場   4:30〜6:06
    御殿、床下
菊之助の政岡。飯炊きは初めての披露だという。
子殺しが見せ場という、上演頻度が高い《寺子屋》とともに現在ではあり得ない劇作品だが、殺し自体は別室で行われる《寺子屋》以上に、本作では、母親と観衆の目の前で幼児が殺害されるという異常極まりない作品だ。
何度も観ているが、故坂田藤十郎丈の情感に溢れた政岡と、玉三郎丈の静謐で緊迫感に満ちた舞台が最も印象深く確かな記憶として残っている。
菊之助丈の政岡は初見かも知れない。
正直、飯炊きでは、まだ自家薬籠中の物とまでは行かないせいか、段取りを追うのに精一杯だったのか、藤十郎や玉三郎から受けた感銘は受けないまま終わった。
能掛かりで登場する栄御前はラスボス的な重鎮、いわゆる立役でいう国崩しの役どころだ。かつては河原崎権十郎ら立役がしばしば演じた役でもある。当代雀右衛門丈は初役だそうだが、ちょっと地の人の良さを隠せず、正直ニンではない。
人非人の悪女八汐は必ず立役が演ずる。近年では、不得意という文字を知らない、当代仁左衛門丈がやはり上手く、憎々しさでは右に出る者がいない。
歌六丈の八汐は、まずは穏当な配役。
政岡の一子千松を、政岡役の菊之助の実子丑之助。
上述したように、さなきだに異常な子殺しの劇である。それを、本当の父子で演ずることは、この場合、上演効果よりも演者のメンタルへの悪影響が懸念される。おそらくは、現在の上演にあたっては、その点は十二分に配慮されていると信じたい。
さて、飯炊き後、栄御前の着到の直前に、政岡が千松に目配せしたところから、すでに緊迫は始まっていた。
献上のお菓子を、鶴千代が手にしようとした瞬間、千松が走り出て菓子を頬張り、すぐに苦しみに悶える。すかさず八汐が、千松の喉元に刃を差し込む。驚倒する一座。
しかし、この間、政岡は、騒ぎ立てず、表情も変えない。それを密かにじっと見つめる栄御前。
八汐も含めて栄御前が人払いすると、政岡に、「取り替え子をしたのであろう」と心を許し、謀反人の連署状一巻を政岡に預ける。
悠然と立ち去る栄御前。
その後ろ姿を見送り、ややあって、ようやく我に帰る政岡。
言いつけ通りに毒を喰らって死んだ千松を褒め、その上、栄御前が味方と誤解して、連署状まで預けたことを奇跡として喜ぶ‥‥
しかし、この喜びは、同時に我が子を喪った現実に直面することを意味した。
とにかく、この時の、菊之助の感情の爆発が尋常ではなかった。このあり得ない非人道の現実に、我が子を自ら追い込んだこの上もない悲劇に、我も世もなく悲しみを爆発させるのだった。
やはり、菊之助は、リアリズムの人であった。
手垢に塗れたような段取り芝居で事足れりとするのではなく、劇の、状況のもたらす人間の真の生きた感情をえぐり出して、我々の前に見せつけてくれたのだった。
だから、菊之助による、この政岡は、今までにない、生々しくもリアルな母親の姿であった。
観せられたこちらも泣くの涙。最後まで、溢れる涙を押しとどめることが出来なかった。
さて、この悲劇は、すぐに調子を変じて、ネズミの怪異と床下の荒事に替わる。荒獅子男之助は初役の市川右團次。
仁木弾正は、團十郎。
セリフもなく、存在だけで威力を魅せる、まさに当代の弾正だ。
菊之助の政岡、新團十郎の仁木弾正、どちらも優れ、良い團菊祭となった。

二、四千両小判梅葉 三幕四場 6:41〜8:30
河竹黙阿弥作、明治18年(1885)の初演。
初見である。
近年は主役の富蔵は菊五郎丈がもっぱら演じ、当代松緑丈は初役。
一応、通しだが、エピソードはぶつ切りで、二幕目の中仙道熊谷土手の場などは、富蔵女房おさよ(梅枝)や舅六兵衛(弥十郎)が物知らずの田舎者過ぎて愁嘆場も興醒めだ。
見どころは、やはり伝馬町西大牢の場だ。
黙阿弥が興行師の田村成義が提供した資料に基づいて、実際の牢内の様子を再現したという。
牢名主筆頭に、囚人たちはもっぱら座っているばかりだから絵面の変化は乏しいが、牢内でも厳然たる階級社会が出来上がっているのが面白い。
牢名主の歌六、隅の隠居の團蔵は分かるが、坂東亀蔵、歌昇、萬太郎、種之助、松江らが出ていても、暗いのと似たような囚人装束でほとんど見分けがつかなかった。
松緑の実子左近演ずる寺島無宿長太郎が若衆風情ということなのか、番役の一人が懸想したような言いかけをしていたのも明け透けで面白い。
侍なのに、優柔不断な藤岡藤十郎(梅玉)が何とも頼りなく、富蔵も妙に義侠心はあってもたんなる悪党に過ぎず、珍しくはあっても、感動とは無縁な芝居ではある。
(2024.5.15記)

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