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何を正しいとして生きるのか?認識論から考えてみる〜遊行まで331日〜

こんにちは
ふうてんのかよさんです。

先日、認定NPO法人アイアイ・スクールのイベントで
哲学者・武田康弘先生(タケセン)の
お話会がありました。

そこで教えてもらったのは「認識論」について。

認識論。
みなさんご存知でしたか?
私は知らなかったです。

もちろん「認識論」という言葉は聞いたことはありますが
それが何なのか?を本当のところは知りませんでした。

いや、今でも知っているとは言えないかもしれないのですが・・・。

調べてみると「認識論」について
解説をしてくださっているページが沢山あります。
もちろん書物もあるでしょう。

私もこれから勉強しようと思っています。

そんな段階の私が、タケセンのお話を聞いて
掴んだところまでを今日はメモしてみます。


認識論とは、
人がどのように外の世界(物質や概念)を認識するのか

例えば、目の前に卵があって
(タケセンは本当に卵を持って来られました)

この卵は本当に卵なの?
どうしてそれが卵だとわかるの?

タケセンの卵は、うち一つは
卵の形をしたピンポン玉でした(๑>◡<๑)

投げてびっくりした!!

そうなると、他の卵も「本物かな???」と
疑い出している自分がいます。

一つ無くしちゃった!!!と言っていたのも
「本当に無くしたのかしら?」
「最初から持ってきてなかったんじゃないか?」
と疑ったりして。笑。


つまり、何が本当か?何が真実か?
本当にそうなのか?
それを、確かめていこう、という哲学の分野が認識論。

でも、日常生活で、見るもの全部
あれもこれも疑っていたらキリがないので

「これっておかしいくない?」と思った時
「何か変じゃない?」と思った時は、

とことん調べて、
自分なりの正解、自分なりの真実を導き出していく。

それが哲学である、と、
私は掴みました。

まあここ数年は、あからさまに、
「これって変じゃない?」という
病気や、注射や、薬があります。


でも、全く自分で考えずに

「みんなが言うから」
「テレビで言っているから」
「偉い人が言っているから」
「お医者さんがいいって言うから」

って、なっちゃっているのかも。

はい。
認識論必要なのかも。


また、私がここで書いたことですが。

https://note.com/futennokayosan/n/n23a4edcf708d

「すべてのものは相対的で不確かなものなのでは?」と書きました。

「私はこう言う考え方が好きです」と。
だから他の意見もあると思いますが。

これについてもタケセンが答えてくれました。

客観という世界があって、何かが決まっている
というわけではない。

確かに、全ては相対的であると。

しかし、なんでもかんでもが相対的だからと言って
価値が同じという話ではない。

つまり、
なんでもいいよ!というふうにはならないのだと。

自分で実験してみる、
ある考えを何編も何遍も
考えてみる、やってみる。

自分の中で納得できるかどうかをやってみる。
何度も何度も。
(それが哲学)

そうすると、ある時「確信」がやってくる。

絶対はないし、客観的なことはないけれども
「確信」がやってくる。

それが一番重要ということでした。

その確信が、
自分にとっての普遍的な真理になるし
自分にとっての真実になる。

確かに。
確かにそうだと思いました。

そして「それは私の確信であって、あなたはどうかわからないけどね」という
態度、立場、が必要だなと。


はい。
そんなメモです。


哲学は普遍を追求する学問だとは
教えてもらっていたけれど

普遍なんてあるのかな?と
ちょっと疑問に思っていた自分でした。

それが「自分にとっての普遍的な真理」となると納得します。

だからこそ、こうではないか!と主張することもできる。

自分はこう思う!と言える。

ああ、そう立場なんだ!と。

改めて感動したので今日はそれを書いてみました!

認識論について
間違っていたら
またタケセンに訂正されそうですが(๑>◡<๑)

訂正されてなんぼと思って書いてみました!

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