完全分析:映画『パラサイト 』の考察

カンヌ国際映画祭で、
パルムドールを受賞した
『パラサイト 半地下の家族』を観ました。

私が今までで一番衝撃を受けた映画は、
『時計じかけのオレンジ』だったのですが、
それを更新しました。


私史上、最高傑作です。
映像、脚本、音楽ともに、最高です。

近年、『ジョーカー』や『万引き家族』といった、格差社会/貧富の差をテーマにしたトレンドがありますが、その流れを汲みつつ、最高のエンターテイメントとして仕立てあげた作品です。


また、私は『ジョーカー』について、
テーマ性は分かるが、エンタメとしていまいちで、中途半端な作品だと思っており、
いまひとつ、このトレンドを受容しきれないでいましたが、本作は別です。最高です。


本稿は、この映画トレンドを踏まえつつ、
『パラサイト』の素晴らしさについて、
分析していきます。

めちゃくちゃ長いですが、
その分、主要論点はコンプリートしていると思います。

以下、ネタバレを含みますので、
ご注意ください。

さて、
パラサイトの素晴らしさについて、
3つに分けて説明します。

1.絵の素晴らしさ
2.展開の素晴らしさ
3.テーマの素晴らしさ

ただ、私が最も主張したく、
この映画/映画トレンドの本質と考えているのは3です。

1と2も長いので、
3の要約だけ書いておくと、

●テーマの秀逸さ
社会の成熟によって多様性が認められ、
「意識的な否定」はなくなり、むしろ「意識的な肯定」が蔓延するようになったけれども、「無意識的な否定」はなくなってないよね?

ということだと思いました。
ジョーカーは、前段を描ききっていないですが、パラサイトはそこまで描き切っている点で秀逸です。


まず、あらすじから入りますが、
視聴済みの方は、すっ飛ばしてもOKです!


■あらすじ

韓国の金持ちの家族と
貧乏人の家族の2つの家族の話です。

それぞれ、
4人家族で下記の家族構成です。

金持ち
・父:IT企業社長。イケメン
・母:美人。家事が苦手
・姉:可愛いJK。勉強ができない。
・弟:小学生。芸術が好き。

貧乏
・父:無職。一応、車の運転が得意
・母:無職。一応、家事全般は得意。
・兄:ニート。一応、勉強は教えられる。
・妹:ニート。一応、デザインができる。


物語展開としては、
貧乏人の兄が金持ちのJKの家庭教師になります。

そこを切り口に、
・貧乏人の妹が、金持ち弟の美術家庭教師に
・貧乏人の父が、金持ち父の専属運転手に
・貧乏人の母が、金持ち一家の家政婦に
なっていきます。

そして、この金持ちには、
元々の家政婦がおりまして、
貧乏人一家は、この家政婦を追い出して、
母を金持ち一家の家政婦にします、

この元家政婦も、
物語のキーパーソンです。

言ってしまえば、
この映画は、2組の家族の話ではないのです。
実は、「3組」の家族の話なのです。

映画のポスターにある謎の足は、
「ほかに誰かいること」を示している訳ですが、この元家政婦の家族のことなのです。

この元家政婦には、夫がおりますが、
なんと、金持ち一家の地下室に住んでいます。

しかし、監禁されているのではなく、
借金取りから逃れるために、元家政婦がこの家に匿っているという話なのです。

この3組の家族が混ざることによって、
悲劇が生まれ、物語が加速していきます。


さて、前提整理はここまでにして、
映画の素晴らしさの分析に入りましょう。


■1.絵の素晴らしさ

この映画は、
絵として優れているのですが、
これには2つの要素がありますので、
それぞれ説明していきます。

A.綺麗な絵を見せる。
B.汚い絵を見せない。


1-A.綺麗な絵を見せる

この映画は、金持ち一家の豪邸内を中心に話が進むのですが、とにかく美しいです。

ぜひ写真や映像で見ていただきたいですが、
美術館のような豪邸です。

豪邸という映像コンテンツは、
その紹介だけで、TV番組が成り立つのが証左であるように、とにかく絵としての魅力があります。

また、
ソウルの貧民街の描き方も素晴らしく、
情景上、暗い絵になってしまう箇所で、
街灯の橙色がエモーショナルで、
ノスタルジックな絵を作り出しています。

とてもフォトジェニックで、
絵画として切り取ってもおかしくない、
非常に美しい絵面が続きます。

また、
スタンリー・キューブリックの作品のように、シンメトリーや光陰により、登場人物の関係性や心理状態をメタ的に伝えていました。芸が細かいです。

あと、マジで地味なポイントですが、
金持ち母が超絶美人というのも効果的です。
絵持ち力が半端ないです。


1-B.汚い絵を見せない

貧乏一家の住居は半地下にあります。
下水描写もありますが、全然汚くないです。

この描写であれば、
悲惨さを強調するために、
汚く描いてしまう場合もありますが、
本作では、必要最小限に抑えられています。

この点、同じ下水の描き方でも、
トレインスポッティングとは、
全く異なる思想を持った作品と言えます。

ほか、性行為や刺殺というシーンにおいても、絵として見るに耐えない描写は、
ほとんど描きません。

故に、不快感なく、
快適な状態で見れるのが、
この作品の魅力のひとつです。

ひとことでいうと、
重いテーマの割に見やすいのです。

下記のような、
監督の絵作りのポリシーが垣間見られる映画でした。

・視聴者が見惚れてしまう絵を作る
・物語上必要でも、見るに耐えないシーンは作らない


■2.展開の素晴らしさ

この映画は、展開も素晴らしく、
見てて飽きさせない仕組みになっています。

まず分かりやすいのは、
貧乏家族が金持ち家族に取り入っていくシーンです。

兄→妹→父→母という展開が、
非常にテンポよく進みます。

視聴者としても、
兄、妹が雇用された辺りから、
次は、父と母だなと予測できるので、
父と母をどう入れ込むか?という物語展開を予想した上で、楽しむことができます。

現代の視聴者は、
物語の主軸を早めに理解してもらわないと飽きてしまいますので、このやり方は非常に効果的です。


ただ、私が展開の作り方の中で、
特に強調したいのは、金持ち一家がキャンプから帰ってくるシーンです。

元々、金持ち一家は、
キャンプで一晩留守にするはずだったのに、電話がかかってきてしまう。

そして、

「あと、あと8分で帰ってくるから、ジャージャー麺を作って」

と金持ち母からオーダーがきます。


元家政婦夫婦と取っ組み合いをしていた、
貧乏家族は大慌て。

ここからのスピード感が面白いです。

父と兄は、
元家政婦夫婦を地下室に押し込め、

妹は、
散らかったリビングを片付け、

母は、
事件性のある家の中で、
黙々と高速でジャージャー麺を作る。


この描写を見たとき、私は感動しました。

飽きが来てしまう中盤で、
緩急の「急」の部分を作って、
視聴者を飽きさせないようにする。

しかも、
「ジャージャー麺早作り」
というコメディー感満載の描写です。

私は、「人を楽しませよう」とする、
監督のエンターテイナーとしての姿勢に感動したのです。

また、ここの視聴者体感としては、
LINEのツムツムのフィーバータイムに近いです。

キタキタキタキタ!!!という風に、
全身が興奮します。
とにかく、テンポアップが気持ち良い。


新海誠作品の「RADWIMPS早送り」より、
よっぽど効果的で、視聴者フレンドリーな演出だと思います。

※私は天気の子は大好きです。

この素晴らしさから、
私は下記の2点が大事かなと思いました。

・視聴者が飲み込みやすい物語展開の提示
・緩急つけて、フィーバータイムを作る

■3.テーマの素晴らしさ

いよいよ最後です。ここが本題です。

格差社会ものでは、
富裕層/貧困層が、
対照的/対立的に描かれがちです。

しかし、この物語では、
・地上の豪邸に住んでいる
・地下の住居に住んでいる
こと以外、対照/対立構造は描かれてません。

この構造について、
下記の2点を論じていきます。

A.幸福感の対照描写
B.存在の対立描写


3-A.幸福感の対照描写

金持ち一家、貧乏一家が描かれますが、
貧乏一家が不幸そうか?と言われると、
そうでもありません。

父親はユーモラスですし、
母親は元ハンマー投げ選手で明るいです。

兄は人当たりがよく、知性も高いですし、
妹は器用な性格で、賢いです。

最初の描写でピザの箱作りの内職がありますが、そこからずっと、4人は楽しそうです。

特に、金持ち一家が、
留守にしている間に、勝手にリビングで寛いでる時は、とても楽しそうでした。

生活レベルが低くとも、
幸福レベルが低いわけではありません。

そして、
頭が悪いわけでも、
家事ができない訳でもありません。
能力レベルも低くありません。

むしろ、
金持ち一家に対して、
勉強を教えたり、家事を代行しています。

※これがパラサイトの意味。金持ちに貧乏人が寄生しているのではなく、金持ちは生活を送るために貧乏人に助けられているのです。


貧困層だからといって、
富裕層と比較するために、
過度に不幸のドン底で、無能で、不幸せそう
という風に描いていないのが、この映画の特徴です。

貧乏一家は、
ずっと明るく、楽しそうで、前向きです。


3-B.存在の対立描写

はい、ここです。
この映画が素晴らしいのは、ここです。

この映画では、
3組の家族が存在します。

・金持ち一家
・貧乏一家
・元家政婦貧乏夫妻

しかし、どの家族も、他の家族に対して、
「意識的な否定」は一切していません。

「意識的な否定の不在」を描いている点こそが、この映画の真髄なのです。


金持ち一家は、貧乏一家に対して、
・兄と妹の家庭教師としての指導方法を認め
・母の家事のスキルを認め
・父の運転/会話スキルを認めています。

また、貧乏一家は、金持ち一家に対して
・あいつらは気にくわない
・金持ちが楽をしやがって
という嫌悪感情は一切ありません。

むしろ、母に関しては、
「金持ち母は、金持ちだから優しいの」
とまで言っています。

そして、貧乏一家は、
地下に押し込んだ元家政婦夫婦に対し、

・食事を持っていかなければと気遣い
・早く地下から出してあげないと

と考えています。

一方で、元家政婦夫婦側も、

・貧乏一家に対し、地下に閉じ込められている夫に食事をあげて欲しい
・金持ち一家の父に感謝と尊敬を示している
・というか、元々家政婦であり協力的

という関係性です。

つまり、
この3組の家族において、
誰も他の人に対して、
「意識的な否定」をしていないのです。

むしろ、言葉にして認めているという点で、
「意識的な肯定」という次元です。


格差社会映画であると、
「上が下を否定し、下が上を否定する」
というのが、明示的に描かれてがちです。

しかし、
否定が明示的に描かれていないのが、
この作品をまろやかに仕立てあげ、
「誰も悪くない中での悲劇」という印象を与えているのです。

悲劇は起こりましたが、
明確な悪者は存在せず、
全登場人物が
「自らの家族を守るための行動」をしている善良な人々なのです。

この家族愛が通底しているからこそ、
この作品は温かく、鑑賞後に胸にジーンとくる映画になっているのです。

悲しみがあるだけで、
怒りや憎しみはないのです。


しかし、
「意識的な否定の不在」と書きましたが、
「無意識的な否定の存在」を忘れてはいけません。

これこそが、
ジョーカーをはじめとする、
昨今の映画のトレンドです。


思いっきりネタバレですが、

貧乏一家の父は、
金持ち一家の父を刺殺します。


金持ち一家の父は、
貧乏一家の父を認めていました。

運転は上手だし、過度に介入しない。
度が過ぎているのは「匂い」だけだと。

たったこれだけ。
たったこれだけの否定が含まれるだけで、
貧乏一家の父親は、自分の存在を否定されていると感じ、金持ち一家の父親を刺殺してしまうのです。

いくら意識的に否定はしていなくても、
本質的には見下している。

そして、
無意識で否定が出てきてしまう。

そして、それが人を傷付けてしまい、
場合によっては、取り返しのつかないことになってしまう。

ジョーカーでは
「無意識の否定」が徹底的に描かれました。

しかし、パラサイトが秀逸なのは、
「意識的な否定の不在/肯定の存在」を描きつつも、その中にある「無意識的な否定」によって、人々の関係性が崩れていく様を描いていることです。


誰しも、
表では肯定して口に出なくても、
本当は否定的である場合、
ぽろっと出てしまうものです。


私は、社会が成熟するにつれて、
多様性理解が進み、「意識的な否定」は徐々に緩和されていると思います。

むしろ、
口だけでは「意識的な肯定」がはびこっています。

しかし、
「無意識の否定」は未だに根強いと思っています。それは簡単に変えられるものではない。

パラサイトは、
こうした社会の現状を、
エンターテイメント性にくるんで世の中に送り出している点で非常に素晴らしいと思いました。

私史上、最高の映画です。


■まとめ

以上が、
パラサイトを観て考えたことになります。

下記の3つの側面から考えましたが、
改めて素晴らしい作品だと思います。

1.絵の素晴らしさ
2.展開の素晴らしさ
3.テーマの素晴らしさ

私の主観に過ぎませんので、
ぜひ他の意見も聞かせてください。

また、3時間くらい考えて書いたので、
おひねりをもらえると感涙します!
※というか、他の作品も書きます。

終わり