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あれオレ詐欺

【あれオレ詐欺】 自分の功績を誇示する表現

「あれ、俺がやったんだぜ」
「あの巨大プロジェクト、俺も参加してたんだ」
「あの人が変わったのは、あたしのおかげなのよ」

こんなふうに、自分の功績をアピールする人はたいしたことがない。
むしろ功績のために善行を積もうとする人は偽物である。
と老子は言う。

以前、とある昆布の職人さんがこんな話をしていました。
「『昆布の出汁がきいてるね』と言われるようでは、まだまだなんです。昆布の存在なんて気がつかないけれど、口にした人が『なんか、すごくおいしいね』と感じてくれる。それがかっこいい仕事なのだと思います」

そう、この昆布のように、ほんとうに価値ある何かを為した人というのは、アピールなどしないのです。さらに「これは○○さんがやった仕事だ」という足跡すら残さないのが、本物だということです。

考えてみるとたしかにそうです。
たとえば、おいしい味噌汁を飲んでいるときに、トコトコと昆布がやってきて「それ、私の味だよ。どう?おいしいでしょ?」と言われたらどうでしょう?
「あ、この昆布が仕事したんだ」という意識のほうが強くなって、ただただおいしいと思っていた純粋な気持ちが消えてしまうと思います。

でも昆布は、そんなことはしません。自分が主役にはならないけれど、主役を陰でおいしく引き立てる。しかもそれなのに「あるのとないのでは大違い」といった役割を、無言でまっとうするのです。

ほかにも、私たちは日々舗装された道路を歩いていますが、その道を誰が作ったのかなんて知りません。電気やガスだってそうですし、大事な家族を救ってくれた薬があったとしても、その開発者の名を知ることなどまずありません。
私たちの生活というのは、そんな無数の「名もなき功績」によって支えられているもので、それこそすばらしい英雄の仕事だと思います。

人間どうしても虚栄心が先に立ち、アピールしたくなってしまうもの。
「言ったもん勝ち」という言葉もありますし、そういう人が目立って気になることもあるでしょう。

でももし、あなたが「自分は何も残せていない」と嘆いているなら、そんなことを気にする必要はありません。それよりも、事実として、あなたが日々やっていることは必ず誰かの役に立ち、回り回って誰かの人生を支えています。

「ああ、自分は名もなき功績を残しているんだ」とこっそり、人知れず胸を張ればいい。そのほうが、はるかに高貴な、いい生き方だと思います。


まとめ
「自分は何も残していない」と嘆く必要はまったくない。
ほんとうに優れた生き方をしている人は、自分の跡に、何も残していかないものだ。

人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉/野村総一郎


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